三渓園

横浜山手から根岸あたり



2017.02.12

 今回も横浜の中心街からちょっと離れたところをお散歩します。時期的には梅が
そろそろ見頃な時期なので、広大な日本庭園で有名な三渓園に行こうと思います。



02.12(土)
09:30
 JRや小田急線を利用することが多いのですが、今
回は久しぶりの相模鉄道です。
 濃紺の車体の特急が海老名・横浜間をわずか26分
で結びます。始めて見た車体だなって思ったのです
が、9000系をリニューアルしたもので、スコットランド
製の本皮ボックスシートを装備、車内でwifiが使えた
りと、なかなか豪華で快適です。



 横浜でJR根岸線に乗り継ぎ、山手駅から歩いて本牧山頂公園にやってきました。
なかなか広大な公園で、園内にはレストハウスやバーベキューの施設なんかもあり
ます。




 周辺には外国人居留地やアメリカ坂なんて名前のつけられた通りがあります。そして
もともとこの公園も米軍の住宅地だったそうです。

 

 びっしりと埋め込まれた住宅街の向こうに、広大な工業地帯が望めます。本当に横浜の
中心地って隙間なくモノが詰め込まれているって感じですね。

 まだまだ寒い時期ではありますが、公園内にはもういくつかの花を見ることができます。

 

 早咲きの桜がとってもきれい。そして足下にはオオイヌノフグリの可憐な花。




nano (オリジナルヘッド+オビツボディ 27cm 2014) 着ているのはジェニーちゃんの服です。





 公園から三渓園を目指して本牧に降りてきました。



 ちょっとこの通りはおしゃれな感じだね。(イスパニア通り)

 ふらふらしてたら、こちらの神社では梅の花が満開でした。(吾妻神社、創建不詳)







11:45
 いろいろ遠回りしましたが、本日の目的地である三渓園にやってきました。(入場500円)
こちらを訪れたのは今回で2回目になります。



 三渓園は面積175000平方mのなかに、いくつもの歴史的建造物が配置されていて、その
うち10の建物が重要文化財に指定されています。現在は国の名勝として一般公開されてい
ますが、もともとは製糸・生糸貿易で財をなした原三渓の造り上げた私的な公園でした。

 池のまわりを歩いていたら、大きなレンズを構えた
人たちがいました。どうもこの池にカワセミがいるよ
うです。こんなところにカワセミが住んでいるって珍
しいと思う。

 

 早咲きの梅が見頃になっていました。風の穏やかな日だったので、あたりは梅の
香りでいっぱいです。

 


 こちらの建物は旧天瑞寺寿塔覆堂、桃山時代に建てられたものを京都から移築
したんだそうです。






 いちばん奥まったところにある月華殿と天授院、脇に小さな滝なんかがあって、
とてもすてきな空間です。地形の起伏を生かした庭の設計が実に良く計算されて
いると思います。


 




 大きな合掌造りのお家でちょっと休憩です。



 この庭園の中央は高台になっていて、そこにそびえているのが三重塔。





 この三重塔は燈明寺(廃寺)にあったものを移築したもので、つくられたのは室町時代と
伝えられます。関東ではいちばん古い木造の塔だそうです。
 でも昔だから重要文化財をこんなに集めて持ってこられたんだろうね。今じゃとても考え
られないです。スケールが大きくて、とても個人が造り上げた庭園とは思えません。







13:00
 JR根岸駅です。
 美容院に行くという連れと分かれて、ここからは
単独行動です。

 横浜といえば中華街ということで、駅近くの中華料理店に入りました。オーダーは
豚肉炒めのご飯とラーメンのセット(920円)。けっこうなボリュームで味もOK、満足
です。

 



 近くに「根岸なつかし公園」という場所があるらしいのでやってきました。こちらでも
梅が咲き始めています。



 こちらの邸宅は豪商柳下氏によって大正時代につくられたものです。(入場無料)
当初は別宅として、その後は増改築を繰り返して本宅として利用されるようになった
ようです。
 ちょうどこの時期、「横浜ひなめぐり」というイベントを実施中で、たくさんのおひな
様が展示されていました。



 



 ちなみに「横浜ひなめぐり」は、この「旧柳下邸」「三渓園」「横浜人形の家」の3館
で実施しており、3つとも回ると記念品がいただけます(3月3日まで)。
 もし回られるようであれば、割引の関係から、この「旧柳下邸」を最初に訪れると
良いと思います。

 こちら旧柳下邸は建物自体もとても面白い作りかたをしています。基本は高台の
和風別荘の感じなのですが、洋風のスペースがあったり蔵が併設されていたりで、
とても変化のあるおもしろい作りです。



 

 今ここからはほとんど海が見えませんが(海岸線まで1km近くある)、もともとは根岸湾を
望む高台の別荘地だったようです。それが昭和34年からの大規模埋め立てによって、根岸
湾は工業用地に姿を変えてしまいました。





 横浜は江戸時代までは小さな漁村だったと聞きます。それが開港によって開発が一気
にすすみ、たくさんの人がここに住むようになりました。今でも横浜山手には居留外国人
の邸宅がたくさん残っています。大正時代にはここに電鉄も通っていました。
 この周辺はまだまだおもしろいところがありそうなので、また日をあらためて訪れてみた
いと思います。




2017.02
camera:Canon PowerShot G7X / graphic tool: SILKYPIX Developer Studio pro 7 + Ichikawa Daisy Collage 10



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