渡瀬


2019.03.09
 暖かくなってきたのは良いのだけれど、今年はいつもより花粉が多くてつらい。それでもお天気の良い日はお散歩です。
 今回はまたまた地味に、群馬県と栃木県の県境にかかる渡良瀬大橋のあたりを巡ってみました。



3.09(土)
8:00
 なんでこんなところなのかというと、以前、渡良瀬川の土手にはたくさんの菜の花が咲いていたのを思い出したからです。



 東北道を館林ICで降りてそのまま北上、佐野方面に向かいます。




 こちらは東武鉄道の渡瀬駅、正面にタヌキがお出迎えです。でもなんでタヌキなんだろ? 調べたけど良く分かりません。
 列車の本数は朝夕は1時間に2から3本、日中は1時間に1本といったところです。掲示板にはいろんなものが貼ってあるけど、
「卒業おめでとう」のポスターが何枚かありました。はじっこに駅長のサインがあるってことは、駅長自らが描いたのかな?




 渡良瀬川の土手、こちらは群馬県、対岸は栃木県です。
 菜の花は咲き始めていたけど、ちょっと早かったかな。




 東武鉄道佐野線の橋梁です。小さな橋梁ですが赤煉瓦でできていて、そのうち歴史遺産に指定されるんじゃないかと思えるような風情があります。



 まだちょっと花の数は少ないけれど、満開になるとここは良い撮影スポットになりそうです。


 

 こちらは館林の下早川田町(群馬県)という集落です。もともとこのあたりで渡良瀬川の渡しが行われていたようで、今でも昔の町並みを
少しだけ見ることができます。


sayaka(オリジナルヘッド+TBLeague S26A ボディ 27cm 1018)

 ところどころに細く見通しの悪い曲がった路地がそのまま残っていたりする。きっと町割りは江戸の頃から変わっていないんだろうなあ。





9:20
 渡良瀬川の対岸に渡ってきました。
 グーグルマップを眺めていたら対岸に城跡があるってことに気づいたからです。



 日当たりはよいのだけれど、まだまだ草花が芽吹くには早いのかな。
 周辺を眺めても城跡というか、丘のようなものすらないのでマップをたよりに周辺を探します。

 

 こちらは椿田城址跡、渡良瀬川の河川敷につくられた完全な平城です。おそらくは渡河地点を管理する出城のようなものだったのでしょう。
 椿田城は戦国時代の終わりも近い1560年に築城されました。福地氏が代々の城主を務め、現在もこの一角は福地家の敷地になっています。
 福地家には代々約5cmほどの大きさの黄金の十一面観音が伝わっており、それを現在納めているのが右側の椿田十一面観音福地堂(1467健立)。
詳しくはよく分かりませんが、こちらの福地家は少なくとももう6世紀以上にわたってこの地に居を構える名家だってことになります。激動の時代に6世紀
以上続くってなかなかないです。




 風化した道祖神と梅、実に日本的な風景。


 

 渡良瀬川を望む場所に早川田氏が創建した雲竜寺というお寺がありました。(1553年創建)
 こちらのことも全く知らずにやってきたのですが、こちらには「足尾鉱毒事件被告の碑」とその中心的人物である田中正造のお墓があります。
(佐野市内にもお墓がありましたが、こちらにも分骨したみたいです)

 足尾の鉱毒事件というのは足尾銅山から出た鉱毒が渡良瀬川に流れ出し、中毒をになった人が多数出たという、日本で最初の大規模な公害
事件でした。
 全く知りませんでしたが、鉱毒被害民はこちらのお寺に集結し上京を繰り返したという、いわばここは闘争の中心地だったところのようです。
(そうか、そのときにはさっきの渡瀬駅から東京に向かったんだろうな・・・)
写真は田中正造の没後に彼の意志を汲んで建てられた救現堂。桜が咲いたらきっと見栄えのする景色になりそうです。





 こちらは県道7号線の脇にある椿田稲荷神社です。

 

 それほど古くなく、こじんまりした神社なのですが、奉納された小さなキツネ様の数がすごい。きっと霊験あらたかな神社として
有名なんだろうと思います。


 

 ここから佐野の市街地に向かいます。周辺には著名ではないものの、景勝地や歴史的建造物が点在しています。
 上は1684年年創建の二柱神社。この近くの町並みも古く、今は廃業してしまっているようですが味噌・醤油造っていた蔵などもありました。


nano(オリジナルヘッド+TBLeague S26A ボディ 27cm 1018)

 谷中村廃村100年企画として、田中正造のドキュメンタリー映画「赤貧洗うがごとき」がつくられたのだそうですが(知らなかった)、そのときにもここで撮影が
行われたそうです。(谷中村は鉱毒に侵されたため住民は移住させられ、廃村となった)
 谷中村は渡良瀬川沿いにあった村で、ちゃんとした堤防で守られていたのですが、当時の栃木県は工事を理由に堤防を破壊し、故意に鉱毒を流入させる
という考えられない行動に及んだ。その理由は鉱毒を沈殿させる池がこの地に必要だったためで、これが現在の渡良瀬遊水地というわけです。これで鉱毒の
害は下流の東京や千葉方面にはかろうじて及ばなかったわけですが、退去させられた住民に用意された新たな土地はサロベツ原野、ひどいね。
 ちなみに鉱毒を流出させた足尾銅山にも行ったことはあるけど、会社はその頃「古河掛水倶楽部」みたいな政治家や貴族を接待する豪華な迎賓館を立てて
しまったりしていているわけで、それはさすがに反感を買うだろうな。

 今回、何か知らないうちに田中正造ゆかりの地を巡ってました。
 ここしばらくNHKの大河ドラマでは江戸の末期から明治の政府が比較的好意的に描かれているように思うけど、一般の人々の生活は大切にされていなかった
のが現実だと思うよ。
 今は? これ以上はやめときます。



12:10
 おなかが空いたのでこちらのお店でお昼にします。

 

 ものすごく野菜のだしがきいている、まるで上質なポタージュみたい。美味しい。



 テーブルを彩る鉢植えですが、水菜が黄色い花を咲かせていました。こうやってみると水菜って可憐な花を咲かせるんだなと、感心しました。

 今回の旅はこれでおしまい。
 旅のこつは、もしかしたらあまり下調べしないことかも。すると予期しないものに出会えたとき、「見つけちゃった!」みたいな楽しさがあります。
ガイドブック片手の旅ではこういう面白さは味わえません。でもそういう旅が成立するかどうかは、観察力や想像力に基づいた勘のようなものは
絶対に必要だと思います。



2019.03
camera:Panasonic Canon Powershot G7X / graphic tool: SILKYPIX Developer Studio pro 7 + GIMP 2.8 + Ichikawa Daisy Collage 10



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