ikumi

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黄金色の波









<伊勢原>













<平塚 土沢・土屋>



















<買い物に行った日のこと>













<花菜ガーデン>






















<平塚 金目。真田>









ikumi (オリジナルヘッド+TBLeagues14A 27cm 2018 )



2022.10
camera: Canon Powershot G9X Mk.2 / graphic tool: SILKYPIX Developer Studio pro 7 + GIMP 2.8 + Ichikawa Daisy Collage 10



<伊勢原>
 小田急線の愛甲石田から伊勢原まで歩いた時の記録です。古道を選んで歩きました。
 沿道には大山詣りの名残を感じるものがたくさんあります。
 

  画像は愛甲石田駅から徒歩5分の所にある子安神社です。創建は不詳ということですが、少なくとも平安時代末期にはこの地に存在していたと推測されます。
1184年に粟津の戦で木曽義仲を討った武将 石田次郎為久が当神社を守護神としいたと伝えられます。
 この近くには為久の居城であった石田城跡のあります。
 ここから伊勢原駅に向かう途中には戦国時代に扇谷上杉氏が築いたと推測される丸山城址があり、今も土塁や空堀などの遺構が残されています。今は戦国時代の
姿が残されているわけですが、もともとは鎌倉幕府の御家人である糟屋氏の居館がここにあったとされています。
 平安初期、藤原良方の子元方が糟屋太郎を名のってこの地に住みついたのがその始まりで、糟屋氏は当初平家方でしたが,のちは立場を変えて平家追討に加わって
います。



 こちらは高部屋神社、糟屋荘の総鎮守だったところです。創建年代は不詳。目の前に立つと巨大な茅葺の屋根に圧倒されます。(国指定の有形登録文化財)
 鎌倉幕府の御家人だった糟屋有季が、守護神として新たな社殿を造営したと伝えられています。



<平塚 土沢・土屋>
 このあたりは日頃のお散歩道として何回も歩いているところです。

 

 一体は丘陵地帯で、良いところが多いです。
 画像右は1615年開山の妙円寺です。お庭が整っていてとてもきれいなお寺です。
 本堂のほかに辯天堂や岩屋霊穴などが立体的に配され、胎内くぐりができたりする。パワースポットとしても有名で、訪れる人も多いです。
 ここに来るとなんとなく鎌倉にやってきたような気分になれる。このあたりは鎌倉幕府に仕えていた有力武将の住む地区でもあったのですが、もしかしたらそういうこともあるの
かもしれません。


<花菜ガーデン、 平塚 金目・真田>
 彼岸花の咲くころに訪れました。もちろんもちろんお花もきれいなのだけど、他にも見どころはたくさんある。



 左は花菜ガーデン(県営のフラワーパーク)の景色です。世の中はまだまだ暑いけれど、ガーデン内はすでにハロウィンの飾り付けが整っていました。
 けっこうお人形の撮影スポットにお困りの方もいるとは思うけど、こういう場所が近くにあるってことはとてもありがたいです。しかも一ヶ月の間には咲く花も変わるし、
飾り付けも変わる。だからいつも違う写真が撮れる。



 花菜ガーデンからの帰り道、天気も良いので最寄り駅までの4kmを歩くことにしました。



 こちらは光明寺(金目観音)という名刹で、北条政子も安産祈願に訪れたというところです。
 開山は702年、観音菩薩像や本堂、ほか多数の重要文化財が多数ある。(本堂内の厨子は国の重要文化財)



 近くにある天徳寺、ここには真田与一を祀った与一堂があります。
 ここには真田与一(佐奈田与一義忠)によって築かれた真田城があったと伝えられる場所で、墓地の周辺に土塁の遺構を見ることもできます。また現在は
「鎌倉殿の13人」が放送されていることもあって、真田与一に関係する資料がお神輿とともに展示公開されています。
 源頼朝が旗揚げしたとき、平家方と最初に大規模な合戦となったのが石橋山の戦いでした。平家方3000に対して源氏方300、圧倒的に不利な状況のなかで
真田与一は先陣を任されていました。そして窮地に追い込まれたときに僅か15の兵で敵陣に切込み、源頼朝の本隊が逃げ延びる余裕をつくったと伝えられて
います。享年25歳、そのその奮戦ぶりは平家物語や源平盛衰記などで詳しく描かれています。
 この周辺には頼朝旗揚げの時から、ともに戦ったと伝えられる真田、岡崎、土屋などの武将たちの城があり、鎌倉の西の守りの要となっていたところです。



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