目久尻川


海老名から歩いて源流を探します



2022.09.29
 神奈川県の中央を流れる相模川の支流の一つに目久尻川があります。
 春には自然豊かな景色や遺跡を眺めながら、いちばん下流の部分から中流域の海老名までお散歩しました。そしてやっと涼しくなった今、この先をお散歩して
みようと思います。
 
前回のお散歩はこちら→相模線の旅4


9.29 THR  天気:晴れ
9:50



 もちろんスタートは前回の終了地点の海老名です。
 東名高速や圏央道、そして小田急や相鉄、JR相模線などが交差する交通の要衝で、近年急激な発展を遂げているところです。20年ぐらい前までは、駅から
田園風景が見ることができたなんて、最近引っ越してきた人は知らないだろうなあ。





9:15
 途中、国の指定史跡「国分寺跡」に立ち寄りました。



 このあたりでいちばん有名な史跡は多分ここ「国分寺跡」だろうと思います。
 住宅街の真ん中に広々としたその跡地があります。
 建立は741年、奈良の法隆寺と同じ配置であったとされ、今は発掘調査ののちに一部伽藍の基壇や平面形が復元されて公園として親しまれています。

 

 シンボル的な存在だったのが七重塔でその高さは65mもあったんだそうです。
 今は巨大な礎石だけが残されています。 (海老名駅前には復元された七重塔があります)
 そばには資料館もあるので、当時の様子をうかがい知ることができます。

 

 国分寺そのものは消失してしまったのを機に、少し離れ高台に移転しています。
 当時の国分寺から引き継がれたのは梵鐘で、こちらは国指定重要文化財。




 

9:35
 そのまま東にすすむと今回歩く目久尻川につきあたる。
 前回の目久尻川の景色とは全く違っていて、住宅街のなかを流れる川といった感じです。



 相鉄の電車が通りかかったので、まずは記念撮影です。




 それでもところどころに小さな田んぼや畑があって、終わりかけた彼岸花も咲いていました。
 このあたりは最後に残った「田舎の風景」といったところでしょうか。


 

 でも住宅街を流れる河川としてはとても水が澄んでいて野鳥もたくさんいる。



 ところどころに湧水があふれ出ているところもあります。ここもその一つで小さな公園になっていました。



 目線を上げれば密集した住宅街、目線を下げれば清流が流れるという少し不思議な景色が続きます。





10:25
 相鉄線の「かしわ台駅」に近い巨大な団地を通り過ぎると、ここからお隣の座間市に入ります。



 こちらは龍藏神社、創建された年代は不詳。石碑には旧称「龍藏大権現社」とあり、 目久尻川の改修に伴って、近年ここに移転してきたみたいです。



 神社から見た景色は何か象徴的です。ここまでやってくると田畑はほとんどなくなり、びっしりと住宅が立ち並ぶようなところに出てくる。
 正面上方に見える巨大な橋脚は国道246号線のもの、渋谷と沼津を結ぶこの国道は、3ケタ台の国道としては最も交通量の多い道とも言われています。
 このあたりは都心から半径50km以内のいわば通勤圏にあたり、もはや開発できるところは開発しつくしたという感じかな。





 だから昔ながらのものがあっても、建物群に埋もれて気づかないこともある。
 この栗原神社もその一つで本当に近いところまで行かないと気づかない。自分自身、この近くに勤めていたことがあるのですが、その存在に気付いたのは今日が
初めてのことです。





 もともとは栗原村の村社で境内の白樫の樹は樹齢500年以上、神奈川の銘木百選に選ばれているそうです。








 突如、轟音とともに輸送機が低空で飛び去って行った。
 このあたりは米軍の厚木基地を離着陸する航空機のコース上にあって、地域住民は1年中、騒音被害を受けているようなところです。







11:10
 少し先にある栗原遊水地です。ここだけは開発されずに豊かな自然が残っています。



 この付近もたくさんの湧水に恵まれているところ。ホタルの名所でカワセミもいる。またこの付近まで鮎が遡上するそうです。

 ここが自然豊かなままに残され、一方で遊水地が整備されたのにはもちろん理由があります。
 昭和の時代以降、大規模な開発が行われて田畑が失われました。そのため田畑で使われていた河川水は利用されなくなって、降水はすべて目久尻川を流れる
ようになった。結果として洪水が頻発、そのためこの遊水地をつくることになったんだとか。
 なるほど・・・。


 

 更にその上流になると、目久尻川は住宅街のなかに深く掘られた排水路という面持ちになります。
 そしてそれは巨大な団地の中を通り、地図上では小田急線の線路の手前で消える。





11:55
 それがここで、ちょうど「小田急相模原」と「相武台」の中間地点あたりです。

 

 実際下りてみたのですが、やはり線路を越えて北側に流れはありませんでした。
 小田急線は昭和の初めに開通したので、ちょうどその頃に埋め立てられてしまったということかもしれません。




 ただその先、更に北に向かって更に谷は続いている。だから目久尻川の源流は昔はもっと北側にあったものと推測できます。
 上の画像でいうと、左側が最上流域と思われるところです。(左から右に向かって流れがあった)
 おそらくは砂利で目久尻川を埋めて地下水化し、更に土を盛ってコンクリートで固めたってところだろうな。

 小田急線が開通した直後の国土地理院の地図を見たことがありますが、このあたりはいちめん桑畑で、あとは点々と普通の畑が混じっているという感じでした。
 もし大正の時代を知る人がいたら、全く違う景色だったと言うと思います。




 ちょっと源流そのものがなくなってしまったのは寂しい感じです。
 昔のことだったから、環境保護とかそういうものはどうでもよくって、ただただ人の住める場所ができればいいやって感じだったのかな? 広大な緑地帯が消えて
コンクリートやアスファルトで固められ、夏の暑さもきっとそれまで以上になったに違いないです。
 今回は何かいろいろ考えるお散歩旅でした。
 夏休みの自由研究だったら、いい線いってるかも。



2022.10
camera: Canon Powershot G9X Mk.2 / graphic tool: SILKYPIX Developer Studio pro 7 + GIMP 2.8 + Ichikawa Daisy Collage 10



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