喜連川




2023.01.20
 那須に行く途中、久しぶりに立ち寄った喜連川(さくら市)がとても面白かった。城下町あるいは宿場町の風情を残しながら、大正昭和の街並みが
今も残っている。もちろんそれほど賑わいでいる訳ではないのですが、歩いていてほっとするような場所になりつつある気がします。



2023.01.20 SAT 天気:晴れ
09:35
 今年はマイカーを車中泊仕様にするなどして、今まで自粛していた旅行も安全性を確保しながら再開してゆこうかと思ったりしています。
 とりあえずこの日は那須の別荘に向かう途中で喜連川というところに立ち寄ってみました。道の駅は別として、街中を散策するのは久しぶりのことです。



 この喜連川は宇都宮の少し北にあって、旧喜連川藩の城下町だったところです。
 見どころとしてはこの旧市街、そして街の真ん中にある城址公園、そして少し離れたところにある道の駅「きつれがわ」あたりかな。




 こちらは龍光寺、室町幕府の初代征夷大将軍・足利尊氏が創建したお寺です。

 

 室町幕府が滅んだあとは、その直系の子孫である喜連川氏の菩提寺となり、境内には歴代城主の墓所があります。

 平安に始まる武家社会ですが、その後の戦国大名に至るまで栄枯盛衰を繰り返し、最終的には豊臣秀吉によって全国が平定される。この間、様々な大名が
滅んだとされていますが、一方で直系の子孫がその後も当主を引き継ぎ続けた例も多いです。
 その代表的な例が、今「どうする家康」にも登場している今川氏真で、今川家滅亡後は徳川家康を頼り、家康の相談役を務めたり朝廷との交渉役などを任されて
いたと伝えられています。

 朝廷との交渉や様々な行事を司るなどの役割を担った武家を一般には「高家」といいますが、今川氏真はその最初に選任された人物でした。ほかにも上杉、武田
などの武将の末裔がこういった高家に任ぜられています。
 高家は石高こそ大名に及ばない一万石以下ではありましたが、幕府での地位は譜代大名以上とされていたそうです。

 ちなみにこちらの喜連川氏は高家ではなかったものの、足利幕府の将軍職を務めていた家系であるために、それに準ずる扱いを受け、石高5千石なれど地位としては
10万石の譜代大名と同等とされていたそうです。




 説明が長くなってしまいましたが、城下町を歩きます。
 こちらは「御用堀」、きれいな水は160年前から農業用水にも利用されているそうです。その横には板塀が続くという、その昔は武家屋敷が立ち並んでいたという面影を感じます。




 こちらは「寒竹囲い」です。六代藩主が板塀よりも費用が掛からないので経済的に奨励したのだと伝えられています。こちらもドラマの撮影スポットになりそうなところ。
 繰り返しですが喜連川藩は5千石なれど10万石の扱い。ということは収入が少ないのに10万石の格式を保たなくてはならない、実はそれが藩政を経済的に苦しめていたの
だといいます。




 1563年創建の喜連川神社です。神社を取り囲む樹々がすごい。
 喜連川っていうのは確かに観光地としては知名度は高くない。けれど城下町の風情という点では、規模こそ小さいもののトップレベルだと思います。



 今回のモデルドールはオリジナルでなく、j-doll の Via Sant'Andrea(ヴィラサンタンドレア)です。一般にはプーリップで有名なグルーヴのものが知られていますが、
こちらはそれ以前のジュンプランニングから発売されていたものです。(17年前の製品)
 ジュンプランニングが破産してグルーヴが引き継ぎ、そして2012年ごろをもって生産は終了しています。けっこう楽しいシリーズだったんだけどなあ・・・。
 けっこうたくさん j-doll は持っているのですが、ほとんどお披露目する機会もないので、今回連れてゆきました。
 ちなみにヤフオクやAmazonあたりで売られていることもありますが、今となっては4万円以上、下手すると10万円以上のお値段がついていたりします。





10:05
 喜連川氏の御殿があった場所は旧喜連川町の庁舎があります。
 そしてその入口にあるのが、復元されたこの立派な追手門です。5千石で普通はこういうものはやはりつくらないでしょって感じです。



 庁舎の背後にあるのが、こちらの「お丸山公園」です。遺構がきちんと残っていて、構えも御殿というよりは立派すぎるお城です。
 ここからの景色は素晴らしい。四方に遮るものはなく下野の国が一望できる。ただこの日は風がものすごく強くて寒かった。



 ちなみに画像の左奥は展望塔なのですが、震災で一部損壊して今もなお立ち入り禁止になっています。  

 喜連川家は戦国から江戸に至る時代をこの地の領主として過ごし、明治になってからは自主的に領地を新政府に奉還、そして喜連川家は足利姓に復して
子爵に叙せられたという話です。




10:30
 喜連川は一方で江戸時代には奥州街道の宇都宮から3つ先の宿場町でもありました。石高の小さな喜連川藩としては、貴重な収入源だったみたいです。



 お丸山公園を下りてくると、街道に面するところにゾウさんのレリーフがあります。
 どういう意味でつくられたのかは分かりませんがゾウさんの瞳がとても優しい感じで良いと思いました。


 

 こちらは「和い話い広場」という観光案内所です。駐車場も隣接するので散策するならここを起点にするのも良いと思います。
 建物は旧喜連川銀行のもので、なかなかにおしゃれです。


 

 ほかにも大正昭和の時代を感じるような看板建築が多数あって、歩いていて楽しい。あちこちに撮影ポイントがあります。
 画像左は呉服屋さんで、通りの中では一際立派な構えです。右は大正時代の警察署の建物を利用したレストラン。




 こちらは古き良き看板建築、歴史を感じます。



 この建物にはどういう歴史があったのか、聞いてみたくなるような佇まいです。
 もちろん空き地や空き家もあって街自体が賑やかという訳ではないけれど、ちゃんと生業が成立している感じがある。

 正直なところ、数年前に訪れたときにはもっと寂しかった感じがする。地元の人の頑張りで、今少しずつ活性化しつつあるんじゃないのかな。道の駅
「喜連川」はそれなりに賑わっているけど、街中もなかなかに魅力的です。


 

 ちなみに上の「竹末」というお店は老舗の中華料理店のようで、狭い店内はお客様でいっぱいでした。
 我家は「初代竹末食堂の焼きそば復活」という看板に惹かれて、お土産に1パック買って帰りました。少し酸味の効いたタレが独特で美味しかったです。


 

 こちらは「HAYAKIKAZE cafe」という築100年の古民家を改装したカフェです。休憩に立ち寄りました。(コーヒー450円)
 古きよきものを時代に合ったものとして使い続ける、これが基本です。



 喜連川には他にもレベルの高い飲食店があるみたいなので、それはまた次回以降のお楽しみということにしたいと思います。


 

 「紙屋」という和菓子屋さんです。ひっきりなしに店の前に車が止まってお菓子を買ってゆく、そういうお店です。もちろん我が家もお買い上げ、お土産を買うならここだと思います。




 寒い寒いと言いながらも梅も咲き始めた。
 地方の衰退というのは今に始まったことじゃないけれど、それでもちゃんと頑張っている人はどこにでもいると思いました。



2023.01
camera: Canon Powershot G9X Mk.2 / graphic tool: SILKYPIX Developer Studio pro 7 + GIMP 2.8 + Ichikawa Daisy Collage 10



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