原当麻から上溝
相模線沿線の旅
2023.04.27
暑くなってくるとお散歩も楽しくなくなるので、その前にたくさん歩きます。相模線沿線は何度か足を運んだことがあるけど、今回はその未踏破区間に向かいます。
観光的にはぱっとしないところなのだけど、探せば歴史的に意味のあるところが多いです。そして思いがけない出会いもたくさんありました。
2023.04.24 THU 天気:晴れ
09:20
JR相模線の「原当麻液」までやってきました。
桜並木を楽しんだり、ゴールデンウイークに大凧が上がるのを見たのは「下溝駅」のあたりまで、だから今度はその更に北の「原当麻駅」から「上溝駅」ぐらいまで
歩こうと思う。鉄道路線だと3kmちょっとですが、途中興味のあるところに立ち寄ったりすれば、だいたいその2倍から3倍ぐらい歩いてしまうこともある。
時間的には多分半日がかりです。
原当麻駅から県道を西に向かって相模川をまずは目指します。
9:40
途中で全く知らなかったとても立派なお寺の前を通りかかりました。
このお寺は無量光寺といい、もともとは一遍上人の修行の場だったところで(1263年)、その後を引き継いだ真教上人が寺としての体裁を整えたのだと伝えられます。
明治26年の火災で山門以外をすべて消失してしまいましたが、静かな森の中にある境内の雰囲気は、南関東一円に末寺があったという古刹そのもの。
事前にコースのチェックは入れていたのですが、こういう古刹がこんなところにあるなんて、全く知りませんでした。
観光地でないところや広告費を出さないところについては、googleの扱いも小さいのは分かるけど、ここについてはもう少しランクを上にしても良いのではないかと
思う。
9:55
このあたりは相模線のほか圏央道や国道129号線のバイパスが南北に走っているようなところ、また東名や新東名も近く、交通の要衝とも言えるようなところです。
圏央道と国道129号線交差する場所を上から見下ろすと、たくさんのトラックが走り、その向こうにはたくさんの倉庫や工場が立ち並んでいる、今の日本を表から支えて
いるような場所です。
途中で見つけたお花畑、遠目には工場地帯や倉庫群が目立つけど、その合間合間には人々の生活の場がある。住宅の多くは近年に建てられたものです。
このあたりは相模川のつくった扇状地の扇央あたるところなので、もともと水源に乏しく、水田には活用されなかったところです。「相模原」というぐらいだから、
その昔は原っぱで雑木が生えているようなところだったのではないでしょうか。
10:10
でも狩猟と採集の時代にはここに多くの人々が暮らしていたという。近くにある田名向原遺跡は旧石器時代の遺跡で、約3000点もの石器が出土しています。
出土品のいくつかは資料館に展示されているほか、屋外展示場では住居状の遺構や復元家屋などを見ることができます。
ちなみに出土品の8割は黒曜石だそうで、このあたりはその産地ではないから、すでに旧石器時代には交易がおこなわれていたってことですね。
そしてその先、延々とトタンの塀に囲まれた道が続くようなところに出る。
その多くは産業廃棄物の処理業者。ある意味、裏から日本を支えていると言っても良いかもしれません。
壁の落書きですが、ときどき良いセンスのものがあって感心したりします。
10:55
相模川の東側に沿って伸びる道は八王子に抜ける古道です。だから圏央道や国道を少し離れると昔ながらの街並みが続いていたりします。そのなかでもこの田名
という地区はその名残のようなものを色濃く残しています。
またこのあたりは甲斐の国から相模の国に入る最短コースでもあったわけで、きっと武田や北条の軍勢もきっとこの道を通って戦地に向かったんだろうね。
そして田名のなかでも、この望地という地区は特に歴史ある地区のようで、まっすぐな道はほとんどなく、古民家も点在していて、角を曲がったら石仏や道祖神が
あったみたいなところです。
その望地で最も古いお寺と思われるのがこちらの南光寺、臨済宗建長寺派の寺院で佛壽禅師が1354年に開山したと伝えられています。
いつも思うんだけど、こういうところを歩く時って、想像力がものを言う。想像力がないと面白くもなんともない。
きっと昔はこうだったんだろうなって思って歩いていると、だんだん見えてくるものがある。
人口72万人の相模原市の中心街は、今はここから北東に4kmほどのところなんだけど、おそらくはその昔最も栄えていたのはこのあたりに違いない、歩いていてそう
思い始めた。
ここにはそれだけ街としての密度と歴史を感じます。
11:40
古い道を北西に進み続けて相模川に出てきました。
ここまで遡ったことで川幅はおおよそ200mほどに狭まりました。
この久所(ぐぞ)というところには、旧大山街道が相模川を渡るための渡し場があって、宿場町としてたいそう栄えていたところだといいます。ちなみに
江戸幕府は相模川に橋を架けることを禁じていました。
このすぐそばからは「烏山用水」という古い用水路が整備され、ここから北側は「水郷田名」と呼ばれる水田地帯がひろがっていました。
そしてここが宿場町として栄えていた頃、この通りには花街があって賑わいを見せたというのですが・・・。
少し大きな神社こそあるものの、それらしい史跡や面影を残すものは見当たらないなあ。
この通りの一角に「駄菓子屋マミー」なるお店があった。
懐かしい駄菓子がたくさんあってとっても安い。また風船や飛行機などのおもちゃもあって、おそらくは今も子供たちの憩いの場所です。
10品ぐらい買ったのですが、それでも350円というのは嬉しい。
多分水道屋さんだと思うのですが、何故か足場に隠れて戦闘態勢に入っている人がいた。
おそらくはマネキンを加工したんだろうと思うけど、上手。
12:10
そして住宅街に忽然とあらわしたのがこちらの科学館です。
こちらの「アクアリウムさがみはら」は、約110種類8,000匹の淡水魚を中心とした水棲生物の飼育展示のほか、人とのつながりの解説、環境保護などを目的として
開設された施設です。
(入館300円 2014年にリニューアルオープン)
メインはやはり相模川の水源から河口までの間を長さ40mの巨大水槽で表現した「流れのアクアリウム」 でしょう。実際の自然環境に近い流れが再現されています。
このほかタナゴなどの希少生物の水槽などもあります。
水生生物だけでなく、ウズラやカエルなどの流域に住んでいる生物の展示もある。
なかでも体長3cmほどしかないカヤネズミが可愛い。でも明るい水槽のなかでは藁の中からなかなか出てきてくれない。夜行性ということで、暗い水槽では活発に
動く状況で観察できるのですが、こちらは暗いのとあまりに速いので、今度はカメラが追い付かない。
もちろんお勉強のためのコーナーもある。
トータルで川とその周辺の環境や人間生活を結び付けている、こういうことがやはり肝心なところだとだと思います。
さていよいよ最後の上溝駅に向かいます。
この相模原の大正元年につくられた国土地理院の地図を見たことがあります。もともとは原っぱか雑木林だったところが、完全に桑畑に置き換わっていた。
横浜線や小田急線、京王線の開通とともに宅地開発がはじまり、その後はさまざまな工場が進出して現在にはいたるというわけです。おそらくは、これだけ
景色の変わってしまったところはおおくないでしょう。
相模原の中心部に近づくにつれ、昔の面影のようなものは薄くなってくる。ところどころに石仏や道祖神を残すのみといった感じです。
13:20
上溝の市街地に入って裏通りを歩きます。
すると上溝本町大鷲神社(明治初期の創建)という小さな神社で「七福神巡り」のイベントを行っていました。この地域のあちこちに七福神が置かれていて、
この7ヶ所を巡ると記念品がいただけるということでした。
上溝駅に到着です。結果、17kmほど歩きました。
お土産は上溝駅近くの老舗和菓子屋「杉山本店」のかしわもち、昔ながらの懐かしい裏切らない味でした。
ikumi ( オリジナルヘッド+TBLeagues24Aボディ 27cm 2019 )
途中思いついたことですが、人口72万人の相模原市の中心地はやはり昔は相模川沿いにあったのだろうと思う。そしてそれが近年の交通事情の
変化もあって東側に移っていった。
そしてそこでも地域としての歴史が作られ始めているってことでしょうか。
でもそこには、やはり人々のつながりや、やはりそれなりの時間が必要なんだろうと思います。
2023.05
camera: Canon Powershot G9X Mk.2 / graphic tool: SILKYPIX Developer Studio pro 7 + GIMP 2.8 + Ichikawa Daisy Collage 10
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