二宮から国府津
東海道沿線の旅
2023.05.10
だんだん暑くなってきて、歩いて旅するなら今のうちという感じになってきました。
東海道は江戸から数えて8番目の宿場町が「大磯」、9番目が「小田原」ということですが、この間は16kmもあったことから、途中に旅人の休憩場所や大名の
宿泊施設などがおかれていました。そしてこういうところを間の宿(あいのしゅく)といいます。
訪れたのは東海道線の「二宮駅」、今回はここからおとなりの「国府津駅」まで歩いてみようと思います。どちらも大磯・小田原間にあった間の宿だったところです。
2023.05.10 WED 天気:晴れ
7:20
二宮の駅から300mほど離れたところに車を留めて街中を歩きます。一つ手前の大磯が「湘南のリゾート、別荘地がたくさんあっておしゃれな場所」そういうイメージが
あるのに対して、こちら大磯は少し地味な感じがします。
こちらは駅から200mほど北側の商店街です。昭和レトロそのものかもしれません。
右側に見える道は、もともとは道路でなく軽便鉄道の通っていた軌道でした。右奥は湘南軽便鉄道の本社があった場所で、ここから昔は10km離れた秦野まで
蒸気機関車が走っていました。
一時は大山詣りなどにも利用されて賑わっていたそうですが、小田急線などの他の交通機関が発達したために1936年をもって廃止されました。今でもその軌道
の通っていたとこっろは90%以上が道として残され、石碑が停留所ごとに残っているので、こちらをお散歩するのも楽しいです。
江戸情緒を感じる富嶽三十六景、こちらは印刷会社の壁に描かれた絵です。
こちらはサンタモニカの景色、こういう壁画が少しずつ増えていて、今は全部で7ヶ所あるんだそうです。
気付いたら、ちょっとおしゃれなパン屋さんだったり、カフェが増えていてちょっと良い感じになってきたように思う。
8:00
町の看板とも言えるのが、駅から見て西側にある「吾妻山公園」です。春は菜の花、秋はコスモスの名所として知られ、その時期には結構賑わうけど、ふだんは
とってものどかで静かです。
山頂は広い原っぱになって真ん中に樹が1本あるのですが、この樹がとても画になっている。
この山頂からの景色がなかなかに絶景、湘南の海はもちろん、伊豆半島から富士山、小田原の街並み、そして丹沢国定公園の山々が望める。細かいことだけどここに
据えられている双眼鏡は無料で使用できるのが有難い。
公園の中腹にある吾妻神社です。
創建は第十二代景行天皇の頃(大和時代 4世紀前半)というから無茶苦茶古い。このあたりはそうとう歴史ある地域ということなんでしょうね。ちなみに日本武尊は景行天皇
の息子です。
ちなみにこの神社は、今はものすごく境内が小さくなってしまっているけど、もともとはこの山一つが神社の境内だったようで、急な参道を下り、東海道線をくぐって国道一号線に
出るところに一の鳥居はありました。
この神社に伝わる伝承は、この地が日本武尊に深いゆかりがあることを示しています。
日本武尊が東征したとき、三浦から上総へ渡ろうとすると突如として暴風が起こって遭難しそうになったという。その時妻の弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)は海の神の怒りを
鎮めるために自ら海に身を投じると、たちまち海は静まりかえった。
後日、海辺に流れ着いた櫛を日本武尊自ら吾妻山山頂に埋め、ありし日の命を偲んだ。
伝承によればその場所が吾妻神社であるといい、この地域の名前は「埋澤」が転じて「梅澤」と呼ばれるようになったという。
8:30
吾妻山から下りて旧東海道を西に向かいます。国府津まではおおむね4km少々の道のりです。
まずは夫である日本武尊を助けるために、妻の弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)が身を投げたという伝説の残る梅沢海岸に出てみた。
この日はとても波が穏やかで突堤ではたくさんの人が釣りを楽しんでいた。今ここでは観光地引網なども行われており、そういう話が伝わっているとは考えられない
ようなのどかさです。
ここでしばし時間を過ごす。ずっと昔、この海岸に櫛が流れ着いたんだね。
旧東海道の面影の残るところをできるだけ歩き、消えてしまったところは現在の国道1号線を歩く。残っているところは全体の3割ぐらいかな。
旧道を歩けばそこには古いお寺や神社などが残っている。
こちらは樹齢400年の藤が有名な藤巻寺、毎年4月から5月にかけて真っ白い花を咲かせるそうです。
旧道のないところは国道1号線の歩道を歩く。少々通過する自動車がうるさいけどやむを得ない。
それでも歴史的な建造物もときおりあって目を楽しませてくれます。
上の画像は大正から昭和にかけて流行ったと聞いている和洋折衷の住宅、「となりのトトロ」に出てきた草壁家のような感じですね。
このあたりは旧道で梅沢の間の宿の中心地になります。
左の画像は「一里塚」、右側は「本陣跡」、とはいうものの看板があるだけで今はその面影はありません。
国道1号線から少し入ったところにある浅間神社です。創建等は不詳ですが、かなり昔からある感じです。今は国道沿いに住宅が立ち並んでしまっているけど、昔は正面に湘南の
海の広がる景勝地だったと思う。
この先、googleマップによれば、もう一つ北に向かう古道があるらしいので訪ねてみることにしました。
9:30
こちらがその入口で「従是大山道」の記載がある。
大山とは神奈川県の丹沢大山国定公園のいちばん東側にある信仰の山で、大山詣りにやってくる人々は江戸からだけでも10万人(当時の江戸の人口は100万人)、
全国では20万人以上と言われています。
大山はここから北東に位置しているので、ここは西国から訪れる人たちにとっては参拝の入口のようなところだったに違いありません。
二宮から国府津の区間というのは、どちらかというと「通過してしまう区間」であって、自分たちのように歩いている人はほとんどいません。また地域に住む人々の数も
減っています。
でもその昔は往来する人の数も多く、もっともっと賑やかだったんだろうなあと想像します。
歴史あるところは、それなりに魅力のある場所だと思うんだけどな。
9:35
現在地点は目的地である国府津の駅まであと1kmちょっとというところです。
このあたりは背後に丘陵地帯がひろがっているので、海岸線との間には平地が幅僅か200mほどしかない。この狭いところにJRと国道1号線、西湘バイパスが通っていて、
かなり騒々しい感じがします。
この前川という地区には「車坂」という史跡がある。
解説によればその昔、源実朝、太田道灌、北林禅尼といった方々がここで句を詠んだところだそうです。
「浜辺なる 前川瀬を逝く水の 早くも 今日の暮れにけるかも」(源実朝)
西に向かう途中、洪水が起こって川を渡ることができない、そのままその日は日暮れを迎えようとしている、そういう状況を読んだのだそうです。
西には伊豆箱根を望むことができるので、そこに沈む夕日が印象的だったのかもしれません。
こちらは仲宿公民館前にある道祖神です。
大切にされているみたいで存在感がある。毎年1月の初めには道祖神祭りも行われているそうです。
10:00
駅前に着きました。このあたりは平地の幅が100mほどしかないので、住居や商店がひしめき合っている感じです。
そして、いかにも街道沿いの街という感じの古い建物がいくつもある。
商店街としては少し寂しい感じなのだけど、昭和レトロな看板建築もいくつか残っています。
そのなかでも最も有名なのがおそらくはこの建築物、今はパン屋さんになっているけど国登録有形文化財に登録されています。 もともとは1935年に建てられた
タクシー会社の倉庫だったそうです。(神戸屋)
裏通りにも古い木造建築があったりして、ここだけお散歩しても結構楽しい。
なぜこの狭いところに街ができたのかというと、その昔ここは鉄道の要衝であり起点駅だったからです。
今ここから出ているのはJR東海道線、湘南新宿ライン、御殿場線といったところです。だからご覧のようにJR東海とJR関東、両方の車両を見ることができます。
その昔、東海道線は現在のように小田原や熱海を経由することなく、現在の御殿場線を通って静岡方面へ向かっていた。その後、丹奈トンネルが開通して現在の
ルートになったのが1934年、それまでの間は小田原、熱海、箱根には、ここを起点とする「小田原電鉄」という地方鉄道を利用していたのだそうです。
そういうこともあって、昔は鉄道の町として賑やかな時代があったのだと聞きます。
ちなみに駅前には創業130年のお弁当屋さんがあって、こちらは東海道線で最初に駅弁を売り始めたお店だそうです。(東華軒)
帰りはJRで二宮に戻ります。
ただその前にちょっとお買い物、小田原もすぐ目の前ということで鮮魚をお買い上げです。こちらのお店は小さいですが地物のお魚が安くて新鮮で、もちろん美味しい。
あとは今年豊漁だというサクラエビも置いてありました。(魚伊三)
nano ( オリジナルヘッド+オビツSBHボディ 26cm 2019 )
消えてゆく昭和レトロ、何かもったいないなあ。
本当にそう思います。
2023.05
camera: Canon Powershot G9X Mk.2 / graphic tool: SILKYPIX Developer Studio pro 7 + GIMP 2.8 + Ichikawa Daisy Collage 10
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