南足柄歴史散歩


沼田・岩原・塚原を巡るお散歩旅



2023.12.28~2024.01.27
 南足柄は東海道が整備される以前は、関東と東海を結ぶ主要道であった足柄道が通っており、交通の要衝として栄えていた地区でした。
今回は小学生向けの期間限定イベント「歴史を巡るミステリーラリー」に乗っかって、歴史遺産いっぱいの山間の地区を巡ることにします。



12.28 THU 天気:晴れ 
10:20
 連れの実家は神奈川県でいちばん西にある南足柄市にあります。その関係で訪れることは多いのですが、お散歩するにはなかなかに良いところです。
 一般によく知られているのは大雄山最乗寺で、室町時代中期開基600年の歴史を持つ曹洞宗の古刹。全国に4000余りの門流を持っており、ここを目的に南足柄を
訪れる人も多いです。



 実家を訪れたら、町のあちこちにこういったポスターが貼られていました。
 大雄山最乗寺は有名だけど、南足柄にはそれ以外にも、地味ながらたくさんの歴史遺産があります。こういう企画はとっても良いと思う。せっかくなのでこの機会に
このポスターにある場所を訪ねてみようということになりました。ただ1日に全部は大変なのでまずは大雄山線の「岩原駅」より南の範囲を回ります。



 大雄山線と平行して流れるのが酒匂川水系の狩川です。岩原駅からほんの数分歩くと河原に出ます。住宅地のなかを流れているのですが、水がとっても澄んでいて、
浅瀬に生えているマツモの黄緑色がとってもきれい。



 表通りから少し外れると、そこには昔からある曲がった細い道が続き、道祖神や石仏その他、判別の難しいものがいくつも並んでいる。もう何百年も道のつながりは
変わっていないのだろうと思います。





11:00
 最初の目的地である西念寺です。もともとは小田原にあって1375年創建、その後の洪水被害があって1446年洪水被害に現在地に移転してきたという。一見して
格式の高さを感じます。



 墓地には徳川家康の家臣で駿河興国寺城主の天野康景の墓があります。康景が興国城主の時、ある家臣が隣接する徳川領の農民を斬り捨ててしまう
という事件があり、そのとき康景は家臣をかばって1万石の大名の地位を捨てました。
 ここで出会う地元のヒーローはこの天野康景です。

 ポスターにあった「相模沼田・岩原・塚原の歴史を巡るミステリーラリー」というのは、そのほかヤマトタケル、伊能忠敬、二宮尊徳など、この地にゆかりの
人物の足跡を訪ねてみるというのが目的らしいのですが、大人が参加しても結構面白いと思うし、新しい発見があると思います。





 すぐそばにあるのが八乙女神社で、かつては沼田城の出丸の1つがあったとも言われています。境内には沼田城の湧水の1つである池が現在も満々と水を
たくわえています。
 八乙女神社の創立年代は不明ですが、新編相模風土記稿にもその記載があることから、それなりの歴史があるらしいです。
 ここで出会うヒロインは天岩戸伝説で有名な天鈿尊女命です。




 池から坂道を登ってゆくと相模沼田城があります。
 最初は波多野氏の一族である沼田氏が平安時代末期にこの城を築いたとされる。長年、城の場所が不明でしたが、1973年に地元の旧家から城図が発見され、
特定されたという。
 ここでの出会えるヒーローはこの城を築城した沼田左衛門尉です。
 沼田城はそこそこの規模があり、戦国時代に至るまで城としての機能を果たしていたったようです。ところがご覧のように本丸のあったという場所は今はやぶの中で
「沼田城」という看板と今回のイベントに関連した説明書きがあるのみ。
 あたりは林に隠れて堀を見ることができたり、城郭の高低差がそのまま畑として利用されていたりするのだけど、その分当時の状況は分かりにくくなっているという
感じです。

 歴史散歩というのは難しい、圧倒的な想像力を必要とすることがあるから。
 そしてその想像力って、いろんなものを見ないと、なかなか身に着かない。
 つまんないジョークですが、藪に覆われた古城と形を失った古墳を見て興奮することってまずないです。



1.9 TUE 天気:晴れ
10:30
 小田原から南足柄を結ぶ伊豆箱根鉄道の大雄山線、その途中にある「沼田」「岩原」「塚原」駅周辺の歴史散歩をするという話の2日目です。
 前回は「岩原駅」から「相模沼田」の範囲を歩きました。今回は「塚原駅」に近いところをお散歩します。

 

 実は前回訪れた岩原駅と塚原駅は僅か300mほどしか離れていません。だから岩原駅で下りてからダッシュすると、同じ電車に塚原駅で乗ることができる
という話です。
 沼田駅もまたそれほど離れていません。なんでこんなに近いところに駅ができたかというと、このあたりにはそもそも沼田村、岩原村、塚原村があって、
それぞれの村の中心地に平等に駅をつくったという理由かららしい。



 駅から旧道に出てみると、ここにもまた懐かしい景色がひろがります。





 こちらは駅から歩いて5分ほどのところにある岩原八幡神社です。
 源頼義が陸奥守として奥州へ赴任するときに建立されたというからかなり古い。源頼朝も富士の巻狩に際して社殿の改修したという。
 また八幡宮の祭神は八幡神ですが、応神天皇と同一であるとみなされたということで、こちらで出会える地域のヒーローは源頼義と応神天皇です。





 

11:00
 神社から更に5分、高台にある岩原城址にたどり着きます。といっても土塁等が残っているわけでもなく、看板が無ければ気付かないだろうと思う。ただ景色は
それなりに良くて小田原方面が望めます。
 大森氏は室町から戦国時代にかけてこの地を支配していた戦国大名で、その最盛期を築いたのは大森氏頼で小田原城主ともなった。その後、子の実頼に城主の
座を譲ってこの岩原城に移ったと伝えられる。





 

 神奈川県内でもこの辺りは最も昔の風景が色濃く残るところだと思う。
 密集した古い住宅地には昔からある曲がりくねった細い道が続き、道祖神や石仏その他、判別の難しいものがいくつも並んでいる。



11:40
 こちらは1470年開山の満蔵院です。この周辺が最も歴史を感じるところです。



 このお寺の裏手に太刀洗川がある。歌舞伎や浄瑠璃の演目のなかに楠正成を討った武士大森彦七の武勇伝があるが、太刀洗川の名はこの演目に由来するという。



 沼田城主沼間左衛門尉が1414年に創建したという天王院です。沼田氏が滅亡してからは北条、徳川の庇護された立派なお寺です。格式の高さを感じます。






 

 太刀洗川が狩川と合流するところにぽつんと観音堂が建っている。
 この駒千代観音堂は馬頭観音を祀るものとしては結構立派なもので、近くの5つの自治会が主催する駒千代観音祭も開催されるという。
 ここはけっこう自分の好きな場所で、春には脇に植えられた大きな桜の樹が覆いかぶさってとてもきれいです。そしていつ来てもいろんなお供えがされている。



 もう馬頭観音を立てようとする人などいないと思いますが、先人の思いを引き継いで、今もなお大切に祀られているというのはすごいことかもしれない。
 昔は動物も神様も、今よりずっと身近な存在だったのだろうと思います。





1.27 SAT 天気:晴れ
10:05
 駅周辺は全て回ったのでこの日は箱根外輪山の麓の集落を訪れます。
 やってきたのは三竹という地区です。いちばん近い大雄山線の岩原駅からだと2.5kmほどなので、歩いてこれない距離ではないのだけど、かなり山坂道を
登ってくる必要があります。



 三竹は見た目で戸数50ほどの、とてもきれいで静かな集落です。おそらくは農業と林業が中心の昔ながらの生活が残っているところだと思います。

 

 満開の白梅が朝日に輝いてとても美しい。



 

 乗り合いタクシーの終点となるのが「三竹」の待合所、このあたりにはたくさんの石碑や石仏、神様が鎮座している。すでに何が刻まれているのか分からない
ものも多いけど、その風化しつつある状況に長い歴史を感じます。





 集落から更に山道をすすんで600mほどのところに、平安時代に建立されたと伝えられる「御嶽神社」があります。地区の「三竹」という名前もこの神社に
由来すると言われています。
 この鳥居の後ろにそびえる「鳥居杉」樹高50m、推定樹齢が500年以上で神奈川名木100選にも指定されています。実際に見るとすごい迫力です。
 向かって左手には「お神水(おみたらし) 」という箱根外輪山起源の湧き水もあって、1年中枯れることないという。



 急な苔生した石段を登って本殿に出る。
 それなりに立派な社なのですが、それをはるかに超える高さのスダジイなどの照葉樹がそびえていて、むしろそちらに圧倒される。






 ここから先は箱根外輪山の領域で、植樹された杉が果てしなく続く感じです。
 少し奥に進むと光が地面に届かない、真っ暗でちょっと怖い感じさえします。
 ここで出会える地元のヒーローは御嶽神社の御祭神である「ヤマトタケル」ということですが、それよりも何よりも巨大な樹木に圧倒されるようなところでした。







10:40
 三竹から更に奥まったところに矢佐芝という箱根外輪山の麓の集落があります。三竹地区からは更に2kmほど太刀洗川を遡ったところにあって、公共の
交通機関はない。おそらく買い物は自家用車なしではできないようなところです。
 ぱっと見の戸数は30ほどありそうですが、もちろんどう見ても空き家という家も目立ちます。

 

 ただ集落はどこもかしこもきれいに整えられていて、ゴミがないのはもちろん、集落の入口には水車を配置したビオトープがあり、集落に沿って流れる太刀洗川には
まるで和風庭園のようにきれいに整えられたところまであります。



 まだ谷合の2月ということで咲いている花はほとんどないのだけど、おそらく3月になれば花の溢れる景色になるに違いないです。



 畑の真ん中にはところどころに直径3mに及ぶような巨大な岩が転がっています。これらの石は何度となく繰り返された箱根の火山活動によるものに間違いないです。
 その昔この辺りには石丁場があり、ここで産出される石は久野石と呼ばれ、耐火性に優れ細工も容易なことから様々な用途に使用されていたと伝えられます。先に
レポートした御岳神社に向かう階段もこの石を使ってつくられていました。

 

 集落にはこの石を使った「箱庭」を展示している家がありました。柔らかい石なので滝を彫り、盆栽を植えこむ場所をつくって、鶴など配置している。こういう作品が
いくつもあったので、もしかしたらこれを生業にしているのかもしれない。

 

 あともう一つこの地区での名産品というと「石窯パン空豆」さんのパンなんだろうな。
 無添加の石窯焼きで、うまみのあるハード系のパンです。とっても香ばしい。こういうところなんだけど、結構人気があって、ひっきりなしにお客がやってきます。



 

11:00
 集落に入ってから更に2km、林道は急な上り坂になってきた。前方に微かに見えるのは箱根外輪山の一つ明神ヶ岳です。この林道はその明神ヶ岳に続く登山道に
つながっている。



 ここにぽつんと二宮金次郎像が置かれていた。
 今日の最終目的地はここで、出会える地元のヒーローはもちろんこの二宮金次郎です。
 もともと二宮金次郎は江戸時代後期に栢山村(現小田原市)の農家に生まれた人物でしたが、酒匂川の洪水で田畑は流失して一家離散、その後一人で家を再興し、
更には小田原藩をはじめ諸藩、諸村を再興し幕臣となった人物です。
 かつて全国の小学校に勤勉で尊敬すべき人物として薪を背負う金次郎が設置されていましたが、その薪はこの矢佐芝山あたりで拾っていたと伝わっています。
 石丁場だったこの地域にたまたま座りやすい形に刻まれた石があって、おそらくはこのあたりで金次郎も休んだに違いないと考えられ、後に石像が設置されることに
なったんだそうです。
 小田原の栢山から大雄山線の岩原駅まで2km、そこから三竹まで2km、そして矢佐芝のこの地まで2km、つまり往復12kmも歩いたっていうことだから1日がかりだったに
違いない。そうなると往復する間に書物の一つでも読めてしまうという訳ですね。
 それが後々の偉業につながってゆく、なるほど。



 そして帰り道、太刀洗川につくられた和風庭園を手入れをしていると思われる方とお話をする機会がありました。
「とっても素敵なところですね」というところから話が始まったのですが、結論としては「この景色もいつまで保ち続けられるか分からない」ということでした。
 今この地区のなかで子供というと、中学生が一人だけなんだそうです。だから数年後には子供のいない地区になる可能性は十分にある。
 もちろん人が住まなくなれば全てが回らなくなる、これが厳しい現実です。



2024.02
camera:Panasonic DMC-TZ60 / graphic tool: SILKYPIX Developer Studio pro 7 + GIMP 2.8 + Ichikawa Daisy Collage 10



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