甲府


何処から見ても山々がきれい



2024.04.25~4.26
 さて旅行には仕事や趣味の関係であちこちでかけてきた。
 まだ行ったことのない県は宮崎県と鹿児島県、ゴールデンウイーク中に行こうかと思ったけど、さすがに混んでいるしお金もかかりそうなので断念、じっとしていることも
できないので、近場に1泊することにしました。
 そして選んだのは甲府です。神奈川に住んでいるので、もちろん山梨県には行ったことはあるけれど、八ヶ岳や富士五湖周辺が中心でまだ甲府近辺を訪れたことは
ありません。





4.25 THU 天気:晴れ
 甲府周辺で一番の観光名所というと昇仙峡でしょう。こちらも聞いたことはもちろんある、でも行ったことはない。 「きっとよくある観光地だろう」
 失礼ながら、そう思ってこれまで訪れようと思わなかった。



 自宅から2時間半、甲府からは必ずしも走りやすいとは言えない山道を走り続けて20分ほど、ものすごい景色の中、昇仙峡の入り口にある県営無料駐車場にたどり着きます。



 この駐車場の景色がまたすごい。
 実のところ、1泊目の宿だけ予約は入れて、あとは何も下調べしてない。
 田川・蛭子の「バス旅」じゃないけど発見が面白い。調べすぎるとつまらない。



 この駐車場から先、一般車の通行も制限されているようなので、乗り合いタクシー(1区間 300円)に乗ります。



 途中でこんな風景が・・・、すごい。

 

 山の中、何もないかと思ったら、ちゃんとした集落もあって、ロープウエイで更に上に行けるみたい。



 まずは山頂の神社にお参りです。
「旅が無事に終わりますように」



 山頂駅からは甲府市街地の向こうに富士山が見える。
 太平洋側から見る景色とは違って、青くシルエットに近い。



 もっとすごいのは南アルプスの風景です。スキーとかパラグライダーで遊んだことはあるけれど、外から見るとこんなにきれいだったんだ。



 ズームを望遠端の720mmにしました。
 山の名前は・・・分かりません。



 「山はあっても山梨県」とはいうものの、山梨県は山があって美しい。



11:30
 昇仙峡の所在地は甲府市ではあるけれど、山中の県道7号線で10km以上移動したところにあって、必ずしも交通の便の良いところではありません。
 山深いこのあたりの町名は「甲府市猪狩町」、なるほどと頷けるような住所です。



 がしかし、ロープウェイの山麓駅周辺は結構にぎわっていて、おしゃれなお店があったり、ちゃんと郵便局もあったりする。
 山中に忽然と現れた賑わいに、正直なところ少々戸惑いました。

 

 あとは宝石、特に水晶を扱うお店が多いです。甲府は宝石産業が盛んだと聞きますが、その加工場がこのあたりにひしめいている。通りを歩いていても、こんなに大きな
水晶の結晶や加工品を目の当たりにします。
 山中にこんな宝石街があるなんて、やっぱり少し驚きです。

 ではなぜここに宝石加工所やその美術館が多いのか(多くは無料)。その昔、武田信玄は金山を求めて採掘を続け、そのなかで良質な水晶がこの地で発見されて宝石加工
が始まったらしいです。
 現在、稼動している鉱山はありませんが、その技術を生かした宝石加工が続けられているってことなのかな?



 今度は車を止めた駐車場を目指して谷合を歩いて下ります。



 山もすごいけど、谷もすごい!




 

 あちこちで巨大な岩が割れたりしてるけど、こちらはぎりぎり保っている。
 ヒビの入った岩の隙間に1円玉が詰め込まれています。「落ちない」という縁起担ぎだとか。



 もの凄い景色の荒川を下ってゆく。
 mapによると羅漢寺というとても古いお寺があるらしい。

 

 羅漢寺は「北山筋の高野山」とも呼ばれた真言宗の寺院で、一帯は修験道場だったということでしたが、1651年に焼失して今は荒川近くにお堂があって、阿弥陀如来像が
残っているだけ、でもまたこちらがすごい。



 ちょっとだけ羅漢寺の遺構まで行って見ようかと思いましたが、こんな張り紙があってやめました。

 そもそもこの荒川流域の地区は自給自足を基本とした山村で、人々は米や塩を手に入れるために険しい山道を歩いて1日かけて薪を甲府の街に売りに行くような僻地でした。
 江戸時代初期、長田円右衛門という人物がこのような歩きやすい道を整備して、その景観が人々に知られるようになったのだという。彼がいなければこの景観と賑わいは後世に
伝わっていなかったという説明が、その渓谷の遊歩道にはありました。



13:10
 昇仙峡でその景観を楽しんだ後、ホテルの予約を入れてある甲府の市街地に戻ってきました。



 甲府市街地の見どころとしては、やはり個人的には武田神社かな。武田信玄公を祀っている神社で1919年に創建されました。



 もともとここには甲斐武田氏の本拠地、躑躅が崎館(武田城址)のあった場所で、甲斐武田氏3代、信虎公・信玄公・勝頼公が60年余りにわたって国政を執った。



 正面から見る鳥居も凛々しいけれど、振り返った景色がまたすごい。
 ここから甲府駅に向かって2.2kmもまっすぐな道が道が続きます。途中、山梨大学や様々な公共機関もあるのだけど、これだけすっきりとした城下町って少ない。普通は
見通しがわざときかないように曲げられたり、遮蔽物をつくるけど、ものすごくすっきりしていて、イメージは平城京や平安京に近い感じがします。

 

 神社の表側(南側)は訪れる人も多いのですが、裏側はむしろ閑散としていてる感じです。今このあたりは発掘が続けられていて、様々な当時の遺構が確認されているところです。



 武田神社の境内にも濠、土塁、石垣、古井戸等が残っていて、宝物殿には国指定重要文化財の太刀をはじめとした武田氏ゆかりの鎧・甲冑・刀剣などが展示されています。



 また歴史に詳しくない方には、神社前のにある「甲府市武田氏館跡歴史館」で予習してから、歴史散策を始めると良いと思います。



 神社の北東に龍華池という高台のため池があって、ここから城跡が一望できます。
 でも自分は少し違和感を感じました。お城の近くにそれを見下ろす展望見晴台があって良いのか?



 お城の周りには重鎮たちの館跡もたくさんある。
 城防御という意味では高低差のない平城で、目立った防御機能というと幅10mほどの堀があるのみです。これまでいろんな城を見てきたけれど、こちらの城址について言えば
防御能力はそこそこで、どちらかというとやっぱり御所のような感じです。

 実際には信玄はここで籠城をするということはあまり考えていなかったのかもしれません。
 実際、自分の知る限り信玄のかかわった戦は野戦となることが多かったように思う。この城も結局は一度も大きな戦に巻き込まれることなく、武田勝頼の死後以降、今の甲府城に
統治の中心が移転してから崩壊の道をたどっていった。





 こちらは臨済宗の圓光院、武田神社から900mほどのところにあります。

 

 こちらは三条の方の菩提寺でお墓もあります。高台にあってとてもその景色がきれいでした。





 こちらは圓光院からすぐそばにある「武田信玄公の墓所」です。
「自分の死後3年間はその死を明らかにしない」という遺言は有名、信州伊那駒場で53年の生涯を閉じた武田信玄公は、混乱を避けるため、その死を3年間秘密にするよう
遺言を残したそうです。
 その後、信玄は塩山の恵林寺で葬礼を行って埋葬されましたが、死を隠していた3年の間、葬らえていたといわれているのが、こちらの場所です。



 源氏の血をひき、最終的には鎌倉幕府の再興を生涯の目的としてきたと伝えられる武田信玄ですが、53年の生涯はあまりに短かった。
 自分の勝手な想像ですが、あと3年本当に長生きしていたら、歴史は本当に変わっていたかもしれません





14:50
 旅行に行って様々なものを見たり、なぜそのような景観になったのかを考えたりするのは楽しい。実際に見るというのはネット上の 画像や動画を見るのと違い、いろいろ体感
できるから想像力が働く。ついでにジオラマのアイディアも浮かぶ。



 武田神社から下りてきて次に行ったのは甲斐善光寺です。
 ちなみに善光寺の本家は長野市の善光寺ですが、もともとのご本尊は飯田にあったそうで、今そちらは元善光寺と呼ばれている。このほかにも、この甲斐善光寺、そして
善光寺東海別院、関善光寺、岐阜善光寺の全部で6つあるそうです。
 自分としては、こちらで3つめの善光寺参りかな。



 聳え立つような立派な山門です。
 なかの金剛力士像はものすごい迫力なんだけど、撮影するには苦労した。撮影できる隙間がものすごく狭い。
 ちなみにこちらの像はなぜか未完成のままなんだそうです。



 そして振り返ると武田神社同様、南に向かってずっとまっすぐな道が伸びている。武田神社はその先に甲府駅があったけど、こちらは700mほど先に甲斐善光寺駅があります。
とっても分かりやすい。
 ちなみにこの状況は長野の善光寺と同じなんだけど、こちらには残念ながら散策を楽しめるような門前町はできていません。



 こちらの善光寺をつくったのは武田信玄で、川中島で合戦があったときに信濃善光寺が焼失する可能性があると考えた。そこで1558年に御本尊をはじめとした仏寺宝類を守る
ためにこちらの甲斐善光寺をつくったという。
(御本尊は織田、徳川、豊臣氏を転々として、最終的には信濃の善光寺に戻ることになります)
 現在の金堂と山門は火災のために1796年に再建されたものです。

 中心となる金堂は善光寺建築に特有の撞木造で、高さ27m、総奥行49mという日本有数の木造建築、山門とともに重要文化財に指定されています。



 このまま宿に向かうのももったいないので、更に歩いてみることにしました。
 甲府は県庁所在地だけど、とてもコンパクトにまとまっているところで、歩いて行けるところにいろいろと見どころがあります。



 30分ほど歩いて少し雰囲気の良い神社にたどり着きました。
 こちらは酒折宮という古い神社だそうで、今回の旅行では下調べは全くしていませんでした。

 社伝によれば、ご本尊は日本武尊で古代日本を平定した日本神話の英雄、こちらに鎮座したのは今から1900年前のことだという。神社としては無茶苦茶古くて、山梨県では唯一、
古事記、日本書紀の両方に記載がある。

 甲府は古い建物が失われているところではありますが、この酒折宮周辺には古墳やたくさんの石造物が点在しているようなところです。
 この酒折宮の記録によれば日本武尊が東夷征伐の帰りに酒折宮に立ち寄り、「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる」と片歌で問いかけたところ、御火焚の者が「かかなべて夜には
九夜日には十日を」と答えたとされています。
 この問答歌のやりとりが日本における連歌の起源とされ、酒折宮は「連歌発祥の地」と言われています。
 こちらには歌碑がいくつもあって、きっと古典文学に興味があったら必須の場所なんだろうなあと思いました。



17:25
 自分の場合、旅行に出かけると、食事つきの宿に泊まることはほとんどなく、多くは安いビジネスホテルに予約を入れ、5時ぐらいから周辺を散策しながらお店を探すというのが
行動パターンになります。



 今回は甲府駅から徒歩5分、1泊朝食つき駐車料金無料、二人で7000円台という格安なホテルにチェックインして夜の行動開始です。



 甲府は県庁所在地ではあるけれど、結構コンパクトにできていて、繁華街は駅周辺のみ、そしてそれを取り囲むように住宅地があって、駅から20分も歩くと、もうそこには
ブドウ畑があったりする、そんな感じです。
 だから良さげなお店を探すにも、あまり苦労はしないと思います。

 自分の選ぶお店の条件は、美味しいお料理が食べられて地元のお酒がいろいろ置いてあること。二つ目にリーズナブルで地元の方々に愛されているということです。あとは
絶対という訳ではないけれどチェーン店は選ばない、オーナーが店長、そういうお店が多くなる。

 だから旅行雑誌やその他グルメ情報よりは、まずはgoogleマップの方を参考にします。ざっくばらんに言いたいことが書いてあるし、メニューも載っている。
 そして3軒から5軒ぐらいをピックアップして、実際にお店の前を通ってみます。

 良いお店はお店の構えに何か感じるものがある。そして最終的には感のようなものがものを言う。こうやって選んできて、外したなって経験はここ数年間ほとんどないです。

 

 今回選んだお店は「寅」という宿から歩いて3分ぐらいの居酒屋さんです。もともとは餃子からスタートしたお店だそうですが、メニューはお魚からラーメンまで様々な種類がありました。

 

 基本は本日のおすすめからまずは2つばかり選ぶ、時間のかかりそうなものは、まだお客さんの少ない早い時間帯に選び、最後はすぐに出てきそうな定番メニューで補うという感じかな。
 結果こちらのお店は大当たりでした、餃子はもちろん、ゴーヤチャンプルー、そして飲み物はサワー系のものがとっても美味しい。





4.26 FRI 天気:晴れ
5:30



 翌日は5時からお散歩に出かけました。
 前日は明るいうちから飲み始めているので、9時ぐらいには間違いなく寝てしまいます。すると翌日は4時ぐらいにはもう目が覚めていてやることもない、だからお散歩です。



 駅前の武田信玄像はなかなか立派、風貌からすると40代をすでに回った頃ではないかと思う。

 

 甲府というと大きな城址は二つあって、一つは前の武田氏の躑躅ヶ崎館、もう一つは豊臣秀吉のつくった舞鶴城(甲府城)で、こちらは駅のすぐ近くにあります。
 こちらは武田氏滅亡後、関東の徳川家康に対抗するための重要な戦略拠点として、豊臣秀吉の命により築かれたといわれています。そして徳川幕府成立以降は、
今度は西への守りの要として重要な役割を果たすことになった。



 舞鶴城は天守閣こそ失われたものの、城壁や掘割はきちんと残っています。そしてその存在感は圧倒的で、発掘がすすめられている躑躅ヶ崎館とは全く違う。
 甲府は1582年に武田氏が滅亡してからは、まず織田信長の所領となり、その後は徳川、豊臣、そして再び徳川へと支配する勢力が変わった、いわば戦略上の要です。
 御覧のように本丸からは甲府の市街地が一望できて、南に富士山を望める。
 西には南アルプスの山々が連なります。
 甲府は少し高いところに上ると富士山や南アルプスがきれいに見える、そういうところです。



 舞鶴城のお堀の横に小さなお稲荷さんがあります。
 こちらは庄城稲荷神社といい、甲斐源氏の祖である一条忠頼が祀った神社と伝わっています。明確な創建等は不詳ですが、少なくとも800年の歴史を持つことになります。
 以前は舞鶴城の稲荷曲輪に鎮座していたらしいですが、 戦災で焼失して現在の地に遷座したといいます。

 今この舞鶴城で武田ゆかりのものは何もない。でもその昔は一条小山と呼ばれていて、武田氏の砦のほかにこの庄城稲荷神社や一蓮寺というお寺があったそうです。
 歴史というのは古いものが新しいものに塗り替えられてゆく過程そのものですね。そして上に塗り固めるというのは、基本的に新たな支配者が必ず行うことで、過去を捨てさせ
自分の方が優れていることを示すための手段です。



 でもそれは必ずしも正しいことではなく、争いは結局なくならない。
 武田信玄は鎌倉幕府の再興を生涯の目標としていたと伝えられますが、それは源氏の血を引く信玄にも時代を越えて伝わっていたのだと自分は考えています。

 ここ舞鶴城は景色は良いし、石組も立派、今も天守が残っていれば近代日本を代表するお城の一つになっていたに違いない。
 でもやっぱり自分は躑躅ヶ崎館の方が好きかな。舞鶴城に比べたら堀も石垣も貧弱だけど、場所的なロマンがある。近隣の神社やお寺、そして道祖神やお地蔵様等々、
人々が生きてきた本当の歴史を感じます。



 そのまま市内の散策も続けました。

 

 こちらは印刷屋さんかな、今も活字を組んで名刺などをつくっているみたいです。

 甲府はコンパクトにまとまった都市であるがゆえに、戦災の被害が色濃く残っている都市であるかもしれない。歴史的建造物は爆撃の対象にならなかったとは思うけど、
それでも特に市街では大正以前の歴史的建造物が少ないと思いました。
 次は昔懐かしい風景の残るところに行きないな。



8:50
 甲府は戦争の傷跡が深く残るところで、市街地は甲斐善光寺周辺を除けば伝統的建造物はあまり残っていない。だから翌日はちょっと古い町並みの残るところに
行ってみようと思いました。



 左右口宿、こちらは中道往還の古い宿場町です。
 宿は南にある峠に向かって、緩やかな傾斜をもって真っすぐ伸びています。



 中道往還とは甲斐と駿河を結ぶ古代からの道で、中世になると軍用道としても活用され、江戸時代には人や馬による魚や塩の輸送路となり「魚の道」「塩の道」とも呼ばれました。
 そしてここ左右口宿は中道往還の宿場町の1つで、織田信長が往来するために徳川家康が整備したといわれています。



 徳川家康にまつわる場所であるという一方で、ここで生まれた歌人、山崎方代の生家跡や直筆の歌碑などもあって、和歌の里という一面があって、こちらも見どころになっています。
 自分はあまり日本の近代文学は得意ではないけれど、街中のいたるところに紹介されている和歌には、何度を目をとめることになりました。






 こちらは敬泉寺(きょうせんじ)、徳川家康が戦に備えて、寺内に兵士のための仮小屋を建てて高台の観音堂に見張りの兵を置いたという伝承の残る歴史のあるお寺です。



 その更に少し上に観音堂があります。
 とっても素敵。

 ここでまた見かけた一句。
 
一度だけ本当の恋がありまして 南天の実が知っております

 思わず南天を探しました。

 その恋は実ったのでしょうか?
 意味深です。




 この観音堂は高台にあって、ここからの景色がすごい。
 甲府市街から南アルプスまで一望です。山登りしたわけではありませんが結構な登りです。でも上ってきて良かった、あまり知られていないところだけど絶景だと思います。
 ここは絶対のおすすめです。




 この観音堂につながる参道にも、ここを歌った和歌がありました。
 めしひなる母を背にして詣てつる 観音堂を夢に見しかな

 しみるなあ。このお母さんも観音堂からの景色を何度も見たんだろうと思う、泣けます。




9:50
 右左口宿から最後は塩山に立ち寄って帰宅しようと考えた。
 いったん中央高速に乗ってしまった方が早いのだが、そこはもしかして良いところがあるかもしれないと、そのまま広域農道をすすみます。
 甲府盆地の縁を反時計回りに進む感じです。



 比較的標高が高いので、結構な絶景がひろがりはじめた。



 途中、笛吹市八代ふるさと公園で休憩、桜の名所で古墳などの史跡もあるというのですが、南アルプスから秩父奥多摩、そして甲府盆地そのものが一望できます。



 すごい!
 空が住みわたっていて、とてもきれい。
 梅雨入り前の最後の快晴といった感じです。



 右左口宿から広域農道、みやさか道、県道34号線というルートはまさに絶景のドライブコースです。信号もほとんどないし、混雑もしない。この区間は絶対に中央高速
使っちゃダメです。



10:40
 やってきたのは塩山下小田原の上条集落というところです。甲府盆地の北東のはずれにある山村集落です。もともと養蚕の盛んな地域だったようで、江戸時代以降の
独特で伝統的な集落の雰囲気が残っている。現在では国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されているというところです。

 

 左はその一つで、国重要文化財 旧高野家住宅(甘草屋敷)です。今は宿泊施設としても使われています。
 右はそのすぐ下にある観音堂。



こちらは集落の入り口にある金剛山 福蔵院というお寺です。行基が平安時代に開創したと伝えられています。こちらのお寺も重要伝統的建造物群として本堂、庫裡、
仁王門、石垣、参道が保存対象として選定されている。



 この地域を散策するのであれば、このお寺を起点にするとよいと思います。駐車スペースも提供されています。



 この少し上には金井加里神社という雰囲気の良い神社もあります。この一帯は平安末期から鎌倉初期にかけて隆盛した甲斐源氏安田義定公の要害の館であったとも
言われています。



 観音堂を見上げるこのあたりの景色が自分はいちばん気に入りました。






 訪れた日は平日で人も少なかった、というより散策していたのは自分たちだけでした。
 でも本当にきれいな所です。「重要伝統的建造物群保存地区」というのもあるけど、こういう普通にある民家の庭先が美しい。

 修学旅行というと、ここ神奈川では小中学校は奈良・京都、高校では北海道や沖縄、私学だと海外という感じなんだけど、おかげで「ちゃんとした旅行というのは
遠くに行くもの」みたいな感覚が出来ていたような気がします。

 今回の旅で分かったのは、甲府は何回か来ていたし神奈川に隣接しているということで、知っているつもりになっていたということ。でも実際に歩いてみればそれが
全然違う。
 知っているようで知らない素敵なところを、もう一回探してみる必要があるね。



2024.05
camera:Panasonic DMC-TZ60 / graphic tool: SILKYPIX Developer Studio pro 7 + GIMP 2.8 + Ichikawa Daisy Collage 10



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