外房
鴨川から旭
2024.06.13 ~ 6.14
久しぶりに千葉県を訪れました。今回旅するのは鴨川市から旭市までの間、九十九里浜に沿っての旅です。景色も良かったし、お料理やお菓子なども
とっても美味しかったです。飯岡助五郎とか、自分の知らない歴史なんかもたくさんありました。
6.13 THU 天気:くもり
8:05
梅雨入り前のタイミングを狙って、1泊2日で外房の旅に出ることにしました。場所としては安房天津から飯岡の間、もう少しわかりやすくいうと、館山・鴨川と
銚子に挟まれたちょっと渋めのところです。
神奈川からだとアクアラインを使ってしまえば、都心を通らなくて済むので比較的に近く、2時間半ほどで外房の海岸に着いてしまいます。
ですがお天気は今一つ、予報は曇りのち晴れなんだけど、今一つ雲が厚いです。
せっかくなので海ほたるで休憩しましたが、どんよりしていて景色もかすみがちでした。
9:55
房総半島に入ってからは途中から一般道を使います。
田園風景とトンネルをいくつも超えて鴨川の少し東、安房天津に出てきました。ここから急峻な山道を登ります。途中、ループ橋などを超えた先に
見たのはこの風景です。
あいにくの雲天でしたが、遥か下に上ってきた道と鴨川の市街地が見えます。
急峻な山道ではありましたが、古来より海岸線と久留里を結ぶ主要道で旅人も多かったという。
その一人が歌川広重でこれと同じ風景が浮世絵として残っています。
ここは清澄というところ、清澄寺を中心とした小さな山岳都市といった感じです。
歌川広重もこの清澄寺を参拝したそうですが、その周辺にはこぢんまりとした門前町があって、そこにはいくつもの料理茶屋があったそうです。
だからこの景色は江戸時代そのものとは言いませんが、その雰囲気は十分に残っているんだろうと思います。
清澄寺(せいちょうじ)は西暦771年に不思議法師という僧侶が、この地で光り輝く柏の木で小さな虚空蔵菩薩を彫り、修行を行ったのがその始まりという。
日蓮宗の開祖である日蓮聖人は12歳の時にこちらに入山し、出家得度されたことでも知られる。今もその修行の庵が残っていて、日蓮宗の総本山の
風格を感じます。とはいえ自分の場合には信心深くはない、信ぴょう性にも欠けるのでそれ以上のコメントは避けます。
すごいなと思うのはその歴史や建造物だけでなく、国指定の天然記念物に指定されている大杉をはじめとする巨木です。これらの樹木がお寺の
存在感や威厳を高めているのは間違いないです。
境内の一番奥にあるのがこちらの仏舎利塔です。
近年に作られたものではありますが、見晴らしの良い高台に建つ姿は、一瞬ここが日本でなくインドに行ってしまったかのような錯覚に陥ります。
4方向、様々な姿の仏様がおられて世界を見守る。
晴れていたらもっとすごいんだろうなあ、そう思いました。
宗教に関することって、普通の日本人が一般生活しているなかでは、話題として避けられていることも多いと思う。神の存在の有無はともかくとして、
人が信ずる信じないも、よほど親しくならないとわからない。
でも歴史的には理解不能な現象の説明や、生と死の儀式、そして呪術といったところから宗教は始まって、今では政治や戦争などの世界情勢にまで
影響は及ぶ。
自分はというと普段は宗教的に何もしていない。でもお盆とか冠婚葬祭があれば実家でそれに従う、ある意味では普通の日本人かもしれません。
もし自分が立場を明らかにせよと言われたら、世の中に起こっている自然現象のすべてを受け入れるというところかな。
これは自分の考えではあるけれど、基本的には神がすべてを支配するものであるならば、それは自然界を支配する節理や根本的な自然界の法則
そのものと一致しなくてはならない。
だから客観的な事実とそれに基づく理論を述べる科学者と宗教を指導する立場の人間の考えに違いがあったりすると、歴史的にも面倒なことになります。
11:10
守屋という漁港周辺で、とってもきれいな景色に出会った。正面に見える小さな島は渡島渡島、海水浴で泳いでこの島にお参りする人も多いそうです。
この右手の海岸に洞窟があって、景勝地なんだそうですが、気付かずに立ち去ってしまいました。残念。
11:35
日蓮宗発祥の地である清澄寺を訪れたあと、今度は国道128号線を東に向かって勝浦を目指します。
勝浦市は外房のリゾートとして知られていますが、人口は昭和33年の31400人をピークにして今は半減しているようなところです。
市営の無料駐車場に車を止めて早速市街を散策します。
こちらは浄土宗 覚翁寺、創建は1634年で代々徳川家の幕臣であった植村家の菩提寺です。
境内には植村氏代々の宝筺印塔があって市指定文化財になっています。
こちらは本行寺、もともとは真言宗のお寺で下だ1339年に日蓮宗に改められた。千葉県は日蓮宗寺院が本当に多い。
珍しいのは釈迦堂で重層建築の釈迦堂になっている。これは日蓮上人の歯骨を奉安するため建てたところから、舎利塔の意も含んでいるのではないかと
考えられています。
こちらは遠見岬神社、四国から房総半島に移り技術や文化をもたらしたという天冨命を祀る神社とされますが、創建等は不詳、でも歴史的な流れを読み解くと、
ここが勝浦では最も古い寺社であると思います。
毎年春には勝浦市を代表するひなまつりが開催されますが、ここがメイン会場になって、60段の階段に約1,800体のひな人形が並ぶという。
神社はもともと勝浦城址だった半島の高台にあります。ここからの眺望はとても良いです。
あと社務所では「勝男、金女」のおみくじをいただくことができます、ここだけのものなので、我が家では開封せずに持ち帰りました。
神社の下で行われる日本三大朝市のひとつ「勝浦朝市」は残念ながら到着がお昼頃だったので、もう撤収がほとんど終わっている状態でした。新鮮な野菜や
果物などがたくさん並ぶ風景は見たかったのえですが、ちょっと残念です。
でも街自体は古くからある城下町なので少し歩いてみることにしました。
寂れた感じは少しありますが、良い雰囲気です。
勝浦というとB級グルメの「勝浦タンタンメン」が有名かな。
入ってみたのは「ニュー福屋」という大衆食堂で中華を中心に何でもある。もちろん勝浦タンタン麺(750円)を注文しましたが、ものすごくおいしかった。
加熱r調理してトロトロになった玉ねぎ、植えに乗ったシャキシャキの白髪ねぎ、そしてみじん切りになった小葱の使い分けが抜群でした。これはちょっと感動でした。
あとお買い物としては、駅前の松月堂という和菓子屋さんで「鯛せんべい」をいただいた。こちらも抜群でした。お土産におすすめします。
この勝浦には歴史も文化もあるのだけど、この60年で人口がほぼ半分に減っています。近くの夷隅、一宮、茂原とかは移住してくる人が多いと聞くのですが、この
違いはいったいどこからくるのか、少し興味を持ちました。
14:05
勝浦タンタンメンをおいしくいただいた後、次は一宮町を目指します。もちろん途中にいろいろと見るべきところはあるのですが、のんびりしていると宿泊地にたどり
着けなくなってしまいます。
一宮町を訪れた理由は1200年の歴史があるという玉前神社があるからです。玉前神社は上総国一宮で町名の由来にもなっています。
何のことはないこちらを選んだのは古いお寺や神社があるところなら、当然のことながら見るべきところはあるだろうという判断です。旅がつまらなくなるので、
今回もあまり旅の下調べはしていません。
玉前神社はご祭神として神武天皇の母である玉依姫命を祀っていることから、女性を守護する神社として知られ、縁結びや安産などにご利益があるとされて
います。
境内には「さざれ石」がある、そう君が代の歌詞に出てくるのがこの石だとされています。
それほど大きな神社ではないのですが、歴史と格式を感じる場所でした。
神社前には古いけど少しおしゃれな街並みが続く、勝浦の朝市とはまた違った感じです。
そのなかの一軒、「かね吉」という和菓子屋さんに入ってみた。
入った瞬間に並べられたたくさんの和菓子に目を奪われる。それほど和菓子に詳しいわけでもないですが、その造形や色彩、あるいは透明感といったところ
から、技術的なレベルの高さが分かります。
もちろん食べてもおいしい、ナチュラルな感じで上品、高級感はあるんだけど高くない。おすすめです。
調べたら200年以上も前、江戸時代創業の老舗の和菓子屋さんでした。でも新しいものにどんどんチャレンジしている感じが伝わってきた。
近くにはみかん大福で有名な「角八本店」もある、ただしこちらは定休日でいただくことができませんでした。残念。
一宮はお菓子のレベルが高いです。
こちらは国登録有形文化財の斎藤家住宅、明治時代から海産物問屋を営んでいたという。
少し離れたところには一宮城址もあって、自分のような古い町好きには良いかもしれません。
あと一宮というと、東京オリンピックのときにサーフィン会場になったこととか、最近では移住してくる人が多くなっているとか、プラスのイメージが大きいかな。
ここからだとちょっと遠いかもしれませんが、東京都内に通勤できないこともない。そういう意味ではバランスがとれているのかもしれません。
あとは海岸線に沿って今日の宿泊地は飯岡温泉を目指します。
曇りのち晴れの予報が外れて、3時を過ぎて九十九里の海岸に出てきたのに、まだまだどんよりとした曇り空です。
外房をドライブしていて思うのは平坦なことと信号が少ないこと、走っていて人も車もストレスが少ないです。
だからだと思うのですが、給油直前の状態で平均燃費は27.8km/L、もともと燃費の良い軽自動車ではあるのですが、これってこれまでの最高記録
かもしれません。外房は環境にも優しいです。
17:10
あまりにも道路状況が良かったので、ホテル到着は思いがけないほど早く、まだまだしっかりと明るい4時ごろでした。
宿の予約を入れていたのは飯岡、少しすすめばもう銚子市内というところです。飯岡はそれほど知名度は高くないかもしれませんが、漁港があって
ちょっとした温泉もあったりします。
予約を入れていたのは「飯岡温泉グロリア九十九里浜」というホテルで、平日は一人3000円から宿泊可能という、とてもリーズナブルなところです。今どき
Wi-Fi接続ができないなど設備は一昔前だけど、もともとホテルでの宿泊を楽しみにしているわけではないのでそれでよい。
ちなみに素泊り1泊3000円というのはこのあたりの相場のようで、ありこちに設置されている民宿の看板もみな同じようなものでした。
早く到着したので飯岡の街中を散策しました。
この日は曇りのち晴れの予報でしたが、やっと4時を回って晴れてきました。海岸線がとってもきれい、ここが九十九里浜の北端になります。
こちらは玉崎神社です。その創建は235年という古社、 拝殿や本殿、子生石など千葉県有形指定文化財に指定され、その他にも歴史的価値のある文化財を多く
保有しています。
霊石「子宝石」を抱くと子宝に恵まれると伝えられ、多くの人が御祈祷に訪れるという。
また左画像の右手に見えるのは「辰野本店」という和菓子屋さんで、皮に黒糖が入っているという鯛焼きが名物です。注文が入ってから一つ一つ焼いています。(120円)
飯岡という地名の由来は分かりませんが、その昔ここには飯岡助五郎という大親分がいたそうです。彼の名前が今に残っているのは「天保水滸伝」という講談が
名作として今に伝えられているからですが、この講談のヒーローは笹川繁蔵で、飯岡助五郎はその敵役でした。
講談や映画では悪役でしたが、実際には水産業をはじめとして様々な分野でこの地の発展に尽力した人物であったそうです。
すでに閉館してしまったけど、以前ここには「飯岡助五郎資料館」などもあったという。
助五郎は1792年に三浦半島に生まれ、江戸での相撲修業を経て干鰯景気にわく九十九里浜に稼ぎに出たという。その時代、鰯はこの地域の名産物だった。
そしてここで頭角をあらわし、一家を構えるに至った。
神社の裏側には飯岡助五郎が信じていたと伝えられる助五郎稲荷神社があります。
一の鳥居の前にあるのが、こちらの「鹿島屋旅館跡」です。
作家である子母沢寛は天保水滸伝の取材のために飯岡を訪れていましたが、そのなかで座頭の市のモデルとなる人物の話を耳にして「座頭市物語」をここで書き上げた
のだという。
「天保の頃、下総飯岡の石渡助五郎のところに座頭市という盲目の子分がいた」という書き出しで物語は始まります。 (石渡助五郎とは飯岡助五郎の本名)
海岸線に出てくると玉崎神社の一の鳥居があって、その脇に「座頭市住居跡」の案内があります。
googleマップにもその記載はないので、その信憑性は何とも言えない。もしかしたら映画のロケに使われたってことなのかな? 完全に資料不足です。
飯岡助五郎はこの地の光台寺にその墓所がありますが、座頭市のモデルとなった人物の方も会津に葬られている。どうやら座頭市は実在する人だったようです。
その市という人物は元々「長岡藩」のお殿様のご落胤で、居合道の達人であったといいますが、成人してから失明して将来の希望を失ってしまう。その後は母の故郷
である会津へ流れつき、この地であんまや鍼灸で生計を立てていたそうです。
そしてしばらくして千葉房総で縄張りを広く持っていた侠客・飯岡助五郎の元へ発ち、活躍した後に晩年、再び会津に戻り亡くなっています。
彼の生涯は1960年代に子母澤寛氏が短編小説で発表され、その後は原作に惚れ込んだ勝新太郎氏が実写化の権利を手にして、人気TVシリーズ「座頭市」として
制作されました。
座頭の市、確かにミステリアスで魅力的な存在です。 (座頭市の墓所は井上浄光寺で会津若松市にあります)
しばしの散策の後、ホテルに戻って温泉に入ります。
とろっとろの黒い温泉で効能も十分にありそう。温泉好きにはこたえられないのでしょうが、自分の場合には「全身が猫舌」みたいなものなので、1分浸かっているのが
精いっぱいでした。
18:05
夕食は港近くの「しらす亭」というお店です。ほかにもいくつか候補はあったけど、おいしい地物のお魚が食べられるというので、こちらを選びました。
左は地魚のユッケで抜群においしかった(1100円)。右も地元産の生しらうお(600円)で鮮度抜群。そのほか、さるえびの唐揚げ、しらすコロッケなど、ここでしか
食べられないものがたくさん出てきて大満足でした。
お店に入ったのが6時ごろだったかと思う。ガラス1枚向こうには太平洋が望める。
生ビールが実に良い色で輝く。景色も最高のおつまみです。
刻々と変わる空の色。
夕焼けを楽しみながらの食事は最高でした。
帰り道、いつものようにコンビニに立ち寄ってよってハイボールなどを買ってホテルに戻ります。
飯岡って大きな街じゃないから7時になると、小さな商店街も暗くなる。
今静かにその1日が終わります。
ホテルの自室でハイボールを飲みながら、あらためて読んだホテルの案内に「夜景が良い」とのコメントを見つけました。
エレベーターは5回までで、6F、7F、屋上は階段利用になる。それでもこのレトロなホテルの屋上に登ってみた。それがこの夜景です。
長崎や函館の夜景を見たことはあります。そのほかにもたくさんの夜景を見てきました。
それらにスケールはもちろん及びません、でもこの小さな温泉街の夜景はこれまで見た中でもトップレベルです。人々の生活を感じられるほどに近く、そして美しい。
6.14 FRI 天気:晴れ
5:00
朝食はないので近所のコンビニまで買いに出かけます。ついでにちょっとだけ早朝の散歩をしてみました。
海岸でホットコーヒーをいただく幸せ。
途中。「津波到達地点」の碑を見つけました。そうか、ここでも被害が出ているんだ。
6:00
朝食はホテルでなく、この景色の良い刑部岬でいただくことにしました。
小さな灯台、刑部岬展望館、そして小さな美術館がある。
そして飯岡は「ちばてつや」氏の育ったところということで、矢吹ジョーの石像があったりします。
景観は抜群で飯岡漁港を眼下に、太平洋と九十九里浜が一望できます。
がしかし東日本大震災の時には、この高台に飯岡の人々が集まり、津波でいままさに街が流されてゆく様をリアルタイムで眺めることになったという。
こちらの鐘は「希望の鐘」、震災10年を経\\\過して設置されたものだそうです。
この津波によって命を失った方はこの飯岡で16名でした。津波はこの飯岡からたくさんのものを奪ってゆきました。
合掌。
三崎の下にあるのがこの屏風ヶ浦です。(国天然記念物)
高さ35m~60mの断崖絶壁がここから銚子までの約10kmにわたっていて、「東洋のドーバー」とも呼ばれています。
過去700年間で6kmの陸地が浸食され、かつて平安時代末期にあったという佐貫城はすでに海中に没しています。
7:45
今度は神奈川に戻るため国道126号線をすすみます。道を変えて再びアクアラインを利用するつもりです。途中の旭市や匝瑳市を通過するのは多分3回目ぐらい
なのですが、このあたりは移住者が多いらしく、街自体が若々しい感じがしました。大きなお店や企業も多くて発展しているみたいです。
途中、気になったところにいくつか立ち寄ります。
こちらは浪切不動院、天平年間(729年~749年)に行基が難破船の海難除けとして不動尊像を刻んだものを、弘法大師がこの石塚山に移して開眼供養したという
古寺です。
このお寺の西側にはその昔、成東城というお城もあった。このあたりは地形的に平坦地の上にいくつかの丘陵がぽつんぽつんと存在するようなところです。
こちらがその石塚山で標高30メートル。本堂は入母屋造りの瓦葺き、間口三間、奥行四間、欄干・回廊をめぐらせた、朱塗りの懸崖造りのお堂です。
この鮮やかな朱塗りの本堂からは山武市成東の町並みが一望できます。
漂流した漁船が寺の灯に導かれて帰還できたという話が伝わっており、漁民からも長く崇拝され続けた。
この本堂の周りを巡る廊下がすごく狭くてちょっと怖い。
高いところが苦手な自分にとっては、十分スリルがあって涼しい気分にさせていただきました。
8:30
波切不動院を訪れた後、まだ時間的にも早いので東金を訪ねてみることにしました。東金というと千葉県の中東部にあって、中心的な都市の一つであることは
知っているけど、実のところ細かなところまでは良く分からない。
その昔は酒井氏の居城だった東金城があったということらしいので、まずはその城跡に行ってみることにしました。
酒井氏によって東金城が築かれたのが1521年(諸説あり)、その後1590年の小田原攻めの際に、酒井氏が北条氏についたために豊臣に接収され、徳川家康の
関東入封後は家康の御鷹場となった。そのため場内には宿泊施設として東金御殿が建てられたという。
現在、東金御殿のあったところは高校の敷地になっています。
お城自体はこちらの本漸寺の背後に見ることのできる山中にあり、またそこに行くこともできるようなのですが、道もきちんと整備もされていない様子だし、このような
時期なので踏み入れることはしませんでした。
もともと本漸寺は1509年にこことは違う場所で開山しました。そして酒井氏が東金城を築城する際に、その鬼門除けの祈祷所としてこちらに移転、建立されたものと
伝わっています。
参道の杉がすごい、30mを越えるような杉の巨木が両脇にそそり立つ様は結構な迫力です。
あとは本堂や庭、そして池がすごい、これだけ見事な庭園はなかなかないです。
そもそもお寺の山門前にある周囲800mの八鶴湖も、徳川家康のために整備された庭池です。桜、あじさい、菖蒲などその季節によって様々な花が湖畔を彩られ、
今では東金市民憩いの場となっています。
このあたりは街の規模に対して何かすごい贅沢な感じがする。
幕府から潤沢な資金が東金にもたらされていたんだろうなあ。
こちらは八鶴湖の湖畔にある最福寺というお寺です。807年に伝教大師最澄によって開山されたという古寺です。おそらくこのあたりでは最も古いお寺です。
境内には徳川家康の銅像、切られ与三郎の墓などがある。
この東金というところ、古くから商業都市として賑わっていたというけれど、家康によって更にその繁栄は極まったんだろうと思う。
こちらも最澄によって807年に建立された日吉大社です。
それほど大きな社ではないけれど、古く厳かな佇まい。鷹狩の際には徳川三代が参拝されているという。
家康が改築を命じた本殿や樹齢400年以上の表参道の杉並木は指定文化財になっています。
画像右のの杉並木のある長い参道はまさに圧巻で、歩いているだけでも何か感じるものがあります。
東金は戦国の世を経ては徳川の天領となり、家康の手によって様々なものに手が加わった。この景色は家康の思い描いたものの一つが400年の月日を経た
完成形なのかもしれないと思いました。
9:05
歴史ある寺社を巡った後、さらに市内を歩いてみることにしました。八鶴湖の周辺には、まだまだいろいろな歴史的な建造物がありそうな感じです。
こちらは「松の湯」という銭湯で昭和レトロそのものの雰囲気がある。
こちらは Santos というカフェですが建物は国登録有形文化財だそうです。通りの奥には木像の洋風建築の建物もあります。
もともとは80年以上前に建造された東金税務署の建物だったそうです。それが税務署の移転に伴い多田屋という会社の本社および店舗として長らく使用されていたという。
更に駅近くに行くと、あれ? 何かおかしい、という感じになります。
普通なら駅に近づくにつれて、住居店舗が密集してくるのが普通なのですが、何か逆に寂れた感が増してゆく。
廃業したタバコ屋さん、撤去された宅地につくられた花畑等々。
ここは駅徒歩1分の風景、誰も人が歩いていない。
駅前なんだけどそもそもお店が少なくて、また閉まっているお店も多かったりする。
県道119号線(千葉銚子線)がもともとは千葉と銚子を結ぶメインストリートでしたが、国道129号線が駅の少し南にできて、そちらにショッピングモールや大型店舗、
そして道の駅などができて、こんなことになってしまったそうです。
それにしてもすごいな、建物の使用率でいうと50%あるんだろうか?
ただこの駅前通りには、よくよく見るとあちこちにブロンズ像などが飾られています。
案内には街再生のために地元東金のアーティストの作品を展示しているそうです。なんとか人を取り戻そうと、今までも何度となく試行錯誤されてきたという。
こういう場所ってときおり地方都市で見かけます。
いま日本国内では、無条件に人が集まり商店街が成立しているところって、都心から1時間以内の場所に限られる。それ以外の意所、たとえば県庁所在地であっても、
中心街から30分も歩くと人の住まない地区や寂れてしまった商店街があるのが現状です。
「人を取り戻す」とは言うけれど、地方同士の人の取り合いになっては意味はない。根本的には東京一極集中をあらためないと、どうしようもない気がする。
ここ東金は千葉から1時間、東京都心から2時間半です。
世界的に見れば首都圏に90%の人々の住む国も多いです。その昔、市町村の大合併があったことは記憶に新しいけど、しばらくしたら、人口減少の影響もあって、きっと
今度は都道府県の合併が話題になるような気がします。これって考えすぎでしょうか?
最後は東金の街中で頑張っていたお店を一つ紹介します。
こちらは創業100年の木村屋ベーカリーの店内です。食パン、あんぱん、クリームパン、メロンパン、コッペパンなどなど昔懐かしいパンが並びます。柔らかくてモチっとして
いる食感が好きな人には、たまらないお店だと思う。
これで外房の旅の話はおしまいです。
期待していた以上に楽しかった。
2024.07
camera:Panasonic DMC-GM1 + LUMIX 12mm-32mm / graphic tool: SILKYPIX Developer Studio pro 7 + GIMP 2.8 + Ichikawa Daisy Collage 10
サイトのトップページにとびます