2024
金乗院
2024.01.06 SAT 天気:晴れ
7:45
寒いなかですが、先日別荘のある那須に行ってきました。特に那須に行って何かやろうとか、何をして遊ぼうとかはあまり考えないで、気が向いたところに出かけて行って、
あるがままを楽しむ、それがいつものペースです。
この日も東北道を上河内SAで降りて適当にドライブします。
途中、羽黒山神社に立ち寄ることにします。
羽黒山神社はけっこう山深いところにあって、細い林道をずっと登ってゆかなければなりません。でももう元旦からはかなり時間が経ち、しかも早朝ということで車はほとんど
通らず、展望台近くの駐車場まではスムースにたどり着きました。
こちらの神社、名前が同じなのですが、山形県の羽黒山とは直接の関係はないようです。
標高が約460mほどの山の山頂近くに建てられており、駐車場からもけっこうな数の階段を上って参拝することになります。
栃木県での最初の初詣は羽黒山神社。
とっても厳かな雰囲気で、社殿の木彫がすごい。毎年11月には300年前ほど前から続く梵天祭が行われてたいそう賑わう。その創建は康平年間(1058~1065)で宇都宮氏の
初代当主 藤原宗円によるものとされています。上河内で篤く崇敬され続ける存在で、愛称は「おはぐろさん」。
山頂の駐車場近くには展望台があって、北関東一円を展望できます。
左手に見えるのはおそらく筑波山、付近に遮るものがないので、地球がなんとなく丸いことを感じることができるぐらいです。早朝だとこの景色も独り占めです。
石鹸のような香りを感じて上を見るとロウバイが咲いていました。
黄色い枯葉のなかではその存在に気付かず、まずは香りで気づく。そして青い空に映える黄色が美しい。
ロウバイは1本でなく、100m近くにわたってロウバイのアーチができていた。
この日の始まりは最高でした。
8:55
羽黒山神社に行った後はもう一度東北道自動車道に乗り直すことはせず、そのまま箒川に沿って那須高原を目指します。天気も良いし空気も乾いていてドライブには最高です。
寄り道したのは川崎城址です。
川崎城は鎌倉時代(約800年前)に塩谷地方を領有していた塩谷氏の5代朝義が宇都宮業綱の次男朝業を後継者に迎え築城した川崎城の跡地を整備した公園です。
この地で那須氏などとの戦いが幾度となく繰り広げられたという。規模の大きな半山城で、今も空掘や土塁、本丸や二の丸などの遺構がはっきりと残っています。
この日は梅などが咲いているかと期待したのですが、まだまだ全然速かった。みんな凍り付いていて、霜柱がザクザクしてました。
9:40
途中、矢板を通過したのですが、たまたま見つけたのは矢板市立郷土資料館です。もと小学校の跡地につくられたという矢板の歴史や文化が学べるという施設でしたが、
残念ながら現在資料の大規模整理をしているということで休館中でした。
ただ展示内容は「矢板市デジタルミュージアム」からその概要を知ることができます。
このあたりはとっても歴史ある地区のようで、矢板市内でもけっこう栄えていた場所らしいです。
ということで少しだけ周辺を散歩してみました。その昔、このあたりを東武鉄道の矢板線が通っていたということだけど、その痕跡は分からなかった。
「関谷街道」に沿って街並みは続き、ものすごく立派な構えの家が何軒もある。こんな立派な門だと、なかに2家族ぐらい住めちゃうだろうな。
東武矢板線が廃止になったのは1959年、今は資料館となった上伊佐野小学校の廃校が2009年、やはりこの周辺の人口は少しずつ減ってきているんだろうと思う。
10:20
少し北上して那須塩原市に入る。
こちらは嶽山箒根神社高清水です。創建は806年、鳥居の左手に並ぶのは歴代の領主の墓だという。それほど大きな神社ではありませんが歴史を感じる佇まいです。
何よりご神木をはじめとする杉の巨木の存在感がすごいです。
10:40
この一帯は箒川や内川など、那珂川水系・荒川水系の河川が何本もあって昔から豊かな穀倉地帯でした。ただそれゆえに領地を巡る戦は何度となく繰り返されてきた。
こちらは野沢城址、塩谷氏の支城だったところです。1584年に大田原氏に攻められて落城したと説明にあります。一見、平坦に見えますが、ここは曲輪だったところで、
ここにやってくるには苔生した急な階段を50mほど登らないといけない。
建物の方は912年創建の箒根神社で、もともとは平地にあったものの洪水の被害を受けて城址に再建されたものだという。
こちらは要金寺、一見すると地元密着のよくあるお寺さんでが、すでに1000年近い歴史があるという。
こちらのお寺は全く観光とは無縁なのですが、その境内はすごく整った庭園のようで見応えがあります。さほど広くはない境内ではありますが、鐘楼や仏像、起伏ある
境内や池、滝など一流の人物が造園したって感じがします。
新年なので、真っ赤な衣を皆さんお着換えしてました。
別に観光地じゃなくても、歴史のあるところを巡るのって面白い。原因と結果が結びついて、なるほどって頷けるときが嬉しい。なぜならその時、その時代の風景を思い
浮かべることができるからです。想像力は時代を越えてトリップできる手段です。
12:10
那須は基本的に避暑地として知られていて、特に11月の紅葉のシーズンが終わると3月になるまではとっても静かです。だからこの期間はお休みというお店も多いです。
今回はそんな冬の那須でおすすめのスポットをご紹介します。もちろん自分のおすすめスポットというのは、ドール撮影に向いたという意味ではありますが。
こちらはコピスガーデンです。基本はお花屋さん+フラワーパーク+レストランみたいなところです。フラワーパークは普段は有料なのですが、冬のこの時期は無料で公開しています。
凍り付いた池やドライフラワーになった花壇がなかなかに渋い。葉の落ちてしまった林からはひたすら青い空が覗き、バードウォッチングもできる。
こんなところにお友達が隠れてました。
これが春になると一気にモネの絵画のような空間になる。
12:45
那須高原は様々なアーティストの住むところとして知られていて、ギャラリーや年に何回かのイベントでその作品を見ることができるだけでなく、ちょっとした喫茶店やバー
などでもそれらを展示していたりします。
さてその一つギャラリーバーンに今回も立ち寄りました。
現在はオーナーの清野さんの作品を中心とした常設展を開催中です。
こちらは動くおもちゃシリーズの一つではばたく飛行機、空を飛ぶもののメカニズムをいったんすべて開放して組み立て直した感じです。こういう「天空の城ラピュタ」に出て
きそうなものがいっぱいある。
こちらは以前からある蒸気機関車シリーズです。完成度が高くって、本当にモデルになったものがありそうに見える。実際には存在しませんがリアル感がすごい。機械の本質をとらえて
再構築する、この構成力とアイディアが秀逸です。
こちらも評判の立体コラージュ的な作品です。
こういう作品は、失礼ながらある意味ガラクタの再生品なわけで、実際には使うかどうか分からないようなものを大量にストックしておく必要がある。そしてそこからいくつかを選んで
組み直すという発祥の豊かさが必要です。
こういう発想力の高いものを見るとジオラマづくりのヒントになったりします。モノつくりの道に入り込んでしまった方にはとっても参考になると思います。間違いなくものを見る目が進化する。
こちらも以前よりあるペーパークラフトの家シリーズですが、以前とは変わった。何が変わったかというと、以前はすべて床やテーブルに置かれていたのですが、それを壁に取り付けて光で
魅せるように工夫している。
こちらは高さ10cmの小さな作品ですが、2つのスポットライトで影をつくっている。
もう完全に目から鱗です。
現在多くの美術館は暖色系のやや暗い照明を使っている。LEDになって紫外線の影響も少なくなっているはずなのに、ここは変わらない。
もしも美術館の照明が舞台照明のように変化させることができたり、自然光を使うことができるようになったら、そこにある作品の見え方は当然変わってくるだろうし、
最終的には作品制作も変わる可能性があると思います。
13:50
話はまたドール撮影ポイントの話に戻ります。
今日二つ目の撮影ポイントに選んだのはアジアンオールドバザールです。アジアンオールバザールはバリ、ベトナム、タイ、ネパール、インドの5カ国のテーマが異なる
ショップがあって、それぞれで衣料品や雑貨が買えるというもので、レストランも併設されている。
ご覧の通り異国情緒がたっぷりで、簡単に海外旅行に出かけたような写真が撮れます。
たとえばこんな感じです。
ただ結構な人気店なので、できるなら平日に訪れたいところです。
14:25
最後は那須ステンドグラス美術館です。英国のコッツウォルズ地方にある中世の貴族の館を模した美術館で、自分は2回ぐらい入ったことがあります。もちろんステンドグラスを
はじめとする装飾やパイプオルガンの演奏が素敵なところなんだけど、お庭の散歩だけでも十分に楽しいです。 (入館しなくてもショップ利用やお庭の見学はOKです)
この時期は人の少ない分、のんびりとこういう施設を回ることができます。
なんか半日で世界旅行をしたような写真が撮れちゃいました。
17:25
今日もいつもの殻々工房にやってきました。この黒板のメニューを眺めているだけで幸せになれます。
ニョッキのクリームソースが抜群に美味しい。
お酒はメイエールのアルザスウイスキー ピノアール フィニッシュが抜群のバランスで美味しかった。連れの注文したのはザクロのカクテルで、
味はもちろん見た目と舌触りが抜群に良い。
お年玉にチョコレートいただきました。
また今年もよろしくお願いします。
2024.01.07 SUN 天気:晴れ
6:20
最近我家でブームになっているのが、夜明け前に朝ご飯を持って景色の良いところで、夜明けの風景を眺めながら朝食をいただくというものです。
那須から自宅のある神奈川に戻る日の朝、買っておいた朝ご飯をレンジで温め、クーラーボックスで保温しながら東那須野公園を目指します。
とっても寒い日だったので、朝食は車のなかです。
こんな感じで夜明けの景色を眺めながらの朝食は最高の贅沢だと思う。
とっても寒い日だったのですが、きれいな風景についついお散歩に行って見ようかな、などと思ってしまった。
田んぼの真ん中にそそり立つ地蔵堂、下から見ると迫力がある。
こちらは金乗院というお寺の奥の院になっているそうです。総けやき造りの建造物で施された木彫も見事です。
太陽の光がようやく地面まで下りてきて、延々と続く田んぼを黄金色に照らす。
金乗院は奥之院から400mほど離れたところにあります。
寺伝では806年に弘法大師がここを訪れた際、地蔵尊の霊夢に会ったことから一夜の内に自ら尊像を刻み、この地を霊場と定めたところからお寺の歴史は始まったという。
境内はそれほど広くはないけれど、いくつもの地蔵尊や不動尊、大日如来が安座していて見応えのある佇まいです。
そして毎年6月28日に開催される「那須波切不動尊火まつり」では全国より行者が集まり、多くの参拝者で賑わうといいます。
8:00
東那須野公園に戻ってきたら南東斜面の牡丹の並木道が赤く彩られていた。
極寒の冬の朝、こういう朝のお散歩も悪くないと思いました。
2024.01
camera: Panasonic DMC-TZ-60/ graphic tool: SILKYPIX Developer Studio Pro.7
+ GIMP 2.8 + Ichikawa Daisy Collage 10
宇都宮ライトレール
2023.03.09 SAT 天気:晴れ
8:30
久しぶりの那須です。今回はその途中で昨年8月に開通した宇都宮ライトレール(LRT)に乗ってみることにしました。
LRTは宇都宮と芳賀・高根沢工業団地の間を結ぶもので、途中たくさんの学校や住宅地、工場などを経由しています。所要時間は普通列車で44分です。
ライトレール というのは路面電車と通常の電車の中間的なもので、排気ガスを出さない分、自動車などに比べると環境に優しい交通機関と言われています。
やってきた駅は「飛山城跡駅」です。今日はここから「宇都宮東駅」までの間を往復する予定です。
何故この区間を選んだのかというと、一つには飛山城址を見学するつもりだったこと、駅に無料駐車場があること、そしてここから芳賀方面は工業団地になってしまうので、景色がそれほど良くないのでは
ないかと思ったからです。(違っていたら、ごめんなさい)
このLRTが画期的なのは、駐輪場はもちろんいくつかの駅には駐車場がそなえられていて、LRTにリンクしてバス停があったりコミュニティバス運行されているということです。地域の交通手段をLRTの駅を
中心に整理しなおしたってことだと思う。
運行は日中でも12分間隔、もちろん交通系ICカード使えます。
駐車場に着いたときLRTがちょうど出発するときだった。「あー、やっちゃった」って感じだったけど、すぐ次がやってきた。素晴らしい。
乗ってすぐ鬼怒川をLRTで超える、景色がとっても良いです。
運転席のすぐ後ろに陣取って、運転席周辺を眺めていた。
まず言いたいのは運転席が中央にあってせっかく一番前に陣取っても、前方が見にくいことです。あと基本的に富山で見た景色と同じなんだけど、かなり運転に感じては自動化されているみたいです、
運転士は、おそらくは緊急ブレーキと思われるレバーに右手を置いているけど、操作自体はドアの開閉のみで、あとはほとんど自動化されている感じです。
ドアの開閉と料金の受け渡しさえなければすぐにでも無人化できるでしょう。
多分、将来的にはそうなる可能性が高いです。
宇都宮市外に入ってくると交差点が多くて、信号待ちが頻繁に起こります。 LETはスピードについてはバスに近く、料金は電車に近いイメージかな。
9:05
宇都宮駅の東口に到着です。19分間、250円の旅でした。
通勤通学を主目的として考えられたLRTということでしたが、行ってみたら土曜日だったこの日も満席状態でした。ニュースでも滑り出し上々と伝えられていたけど、結構な人がこのLRTを目的にやってきている
ような感じでした。
宇都宮ライトレールのHPを見たら、平石駅にある本社の基地見学会が開かれるとか、ラッピング電車のスポンサー募集とかのお知らせがありました。
可愛いラッピングのNゲージのLRTが出たら、きっと自分も買うと思います。
9:30
ただ飛山城跡と宇都宮の間を単に往復するだけではつまらないので、ちょっとだけ宇都宮市内もお散歩してきました。そういえば宇都宮を訪れるのも久しぶりです。
宇都宮の繁華街はライトレールの終着地でもあるJR宇都宮と東武宇都宮の間に広がっていて、主だった施設や庁舎もこのあたりに集中しています。とはいっても関東の南部に比べると、高層建築と言える
ようなものはまだないです。
こちらは宇都宮二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ)は、宇都宮の中心部、明神山と呼ばれる標高135mの小高い丘にあって、ここから市街地が一望できるようなところです。
創建は353年というから、その1600年以上もの歴史があるある古社です。ちなみに宇都宮の地名は、ここが神社の格付けで下野国一宮であることから、「いちのみや」が転じて「うつのみや」なったという
説があるそうです。
日光にも二荒山神社がありますが、こちらの読み方は「ふたらさんじんじゃ」であって、直接の関係はなく祀っている祭神も違うそうです。
こちらはオリオン通りです。懐かしいアーケードが残っているのは珍しいかもしれません。しかも全国には寂れてしまったアーケードが多い中、結構にぎわっていて、市民広場のオリオンスクエアでは常にイベ
ントが
開催されているところです。
1931年に東武鉄道新栃木―宇都宮間が開通すると宇都宮はたくさんの人の集まるところとなり、こういった賑やかな商店街が誕生することなった。歴史の古い商店街だからこそ、今はやりのお店だけでなく、乾物屋さん
だったり、駄菓子屋さんだったり、すでに全国では消えてなくなってしまったようなお店がたくさんあって、自分には貴重な風景に見えます。
でもやっぱり人が集まるのはここ、宇都宮FESTAです。(自分のような人間は、ということですが)
ボークス宇都宮ショールームを筆頭にして様々なフィギュアやプラモデル、模型工作用品などを取り扱うお店が集います。北関東随一というけれど、もうここは秋葉原そのものです。
オリオン通りを少し外れたところにある「かまがわプロムナード」です。
宇都宮市の中心市街地を流れる釜川を憩いのスペースとして整備しています。街中にこういうスペースがあるのは貴重です。
この川を見下ろす喫茶店で今回は休憩しました。
旭町にある大いちょうです。宇都宮城三の丸跡に位置し、2020年現在の樹齢は約400年と推定されています。
第二次世界大戦では宇都宮空襲で被災したものの、翌春には芽吹いたことから、宇都宮の復興のシンボルと称されているところです。
カトリック松が峰教会は大谷石建築としては現存最大級のロマネスク・リヴァイヴァル建築です。1932年に建造されるも戦禍で被害を受け、その後修復されて1998年に国の登録有形文化財に登録された。
入館は無料なんだけど、この大谷石でできた建物には維持管理のための費用が必要とのこと、自分たちもいくばくかの寄付をしてきました。
あらためて見ると、宇都宮って新旧が入り混じっていて、しかもコンパクト。けっこう面白いと思います。
12:15
飛山城址駅と宇都宮東駅を往復した後、駅名になってる飛山城を訪れてみました。ちなみに宇都宮ライトレールのなかで最も景色が良くて、最大の観光スポットはこの飛山城址駅だと思う。
こちらが城址公園の入り口です。ごらんの通り土塁や堀がきれいに保存されている。天守閣の残っているお城ならともかく、400年以上も前に廃城となったお城で、これだけ保存状態の良いものはないと思います。
(国の指定史跡)
飛山城は鎌倉時代の後期に宇都宮景綱の家臣・芳賀高俊によって築かれたといわれ、その後300年以上の長きにわたり様々な攻防の歴史を経て造成が続けられ、最後は豊臣秀吉の命によって廃城となる。
このあたりの歴史や背景、そして城郭のジオラマなどは隣接する「とびやま歴史体験館」で見ることができます。入館無料なのはありがたい。
あとこちらでは頻繁にイベントなども行われているので、HPなどで確認してから行ってみるタイミングを考えると良いかもしれません。
鬼怒川の東岸の段丘面を利用して築城されているので、特に城の北側からの眺めは絶景です。
現在残されている遺構は約14ヘクタール、そこに7つの曲輪と何重もの堀が残されていて、当時の宇都宮氏の一大拠点だったことが分かります。
現在では発掘調査の情報を基にして、敷地内にいくつかの兵士の詰め所や貯蔵庫などが復元されています。また出土品のいくつかは先のとびやま歴史体験館にも展示されている。
お花も咲いていて、とっても素敵なところなんだけど、人は結構少なめです。
自分が思うに、名所というのは人が集まるところやネット上の評価が高いところじゃなくて人それぞれによって違う。自分はきれいな花が咲いていて、さりげなく歴史を感じるところが好きです。
14:25
長い寄り道の後、やっと那須にたどり着いた。那須に行くと必ず立ち寄るのがギャラリーバーンとBUZZなのですが、またまた面白いものが出現していました。
ギャラリーバーンでは例によってオーナーの清野さんの作品が大量に展示中されていました。
コーヒーなどいただきながら、最近の那須の状況とか、作品制作の方法や様々なアイディアについて会話がはずむ。
これはいわゆる起き上がりこぼしというおもちゃで、もちろん清野さんの手作りです。
かわいい。トトロやこういう動物たちをデフォルメして起き上がりこぼしにすると、また別な可愛らしさが出てきます。
こっちはボックスアートの新作です。こういう構想ってジオラマにつながるものがあって面白い。参考になります。
感心するのは質感の出し方です。ペーパークラフトなんだけど、ちゃんとさびてる。
こっちはBUZZに展示されていたものです。ペーパークラフトの家を白い壁に貼り付けて展示している。
こういう感じで空間を埋めるというアイディアが素晴らしい。
こちらはスルメ、どこから見てもスルメ。
でも食べられません。こちらも清野さんの制作物でその表現力には脱帽です。
17:10
晩御飯は例によって、ギャラリー&バーの殻々工房です。
暖かい時期だと、予約なしでは入店できないことも多いのですが、さすがにまだ人の多くない時期なので、すんなりと入れました。
暖かいラムがしみる。
身体が温まったところでいただいたギネスとエビのフリッターが、本日のベストチョイスでした。
ふと気付くと、外では雪が降り始めていました。
まだまだ4月までは長い冬が続きます。
2024.03.10 SUN 天気:晴れ
5:50
やることもないので早起きしました。
寒いとはいえ、春は近い。庭に置いてあった巨神兵が雪から顔をのぞかせている。
寒いので朝ご飯はカレーうどんと宇都宮餃子です。
8:40
翌日は久しぶりに歴史散歩をしようと、大田原市の黒羽地区を目指します。今でこそ東北自動車道や国道4号線が北に向かう最も主要な道だけど、その昔は今の国道294号線にあたるところが東北と関東を結ぶ
街道で、今も宿場町の面影を残すところがいくつもあります。
こちらは黒羽にある物産センター「くらしの館」です。移築された古民家には人間国宝の竹細工や雛人形が飾られていました。
物産センターの方も人気があって、新鮮なお野菜が安く手に入る。あとはお蕎麦が美味しい。
こちらは笠石神社です。江戸時代に大金重貞によって、現在は国宝となっている那須国造碑がこの地で発見された。当時この碑のことを知った徳川光圀はこの碑の調査と保護を命じ1691年に笠石神社が
創建されたという。
解説には「日本考古学発祥」の地とあります。
こちらは近くにある「大田原市なす風土記の丘湯津上資料館」です。(入館100円) 右側の画像は国宝に指定されている那須国造碑のレプリカです。
館内にはこの碑の建立をテーマにした展示や、縄文から古墳時代に至るこの地の様々な出土品とその解説があります。
碑の文面によれば西暦700年、当時の那須国を治めていた那須直韋提(なすのあたいいで)の没後、その子である意斯麻呂(おしまろ)父の偲んで建碑したと記されている。また使われている「永昌」という
元号は、日本でなく当時の中国のもので、下野毛国に帰化した新羅人が碑文に関わった可能性が高いとされています。
こちらは資料館の前にある上侍塚古墳で西暦400年ごろの築造と推測されています。全長114mの巨大な前方後方墳で、こちらも徳川光圀の命により日本最初の学術発掘調査が行われました。
周辺は古墳群の宝庫と呼ばれるところで、その数20基、それらはみな田んぼの中にあってちょっとしたハイキングコースになっています。
古代が最も近い地域、そう言い切れるような場所です。
こういうところだから、お地蔵さまや石仏、そして様々な碑文や道標のようなものがあちこちにある。 この旧東山道をいったいどれだけの人々が往来したのだろう?
小さな農産物直売所があったので入ってみた。なかではおばちゃんたちが5~6人集まって談話中でした。
こちらもお野菜が安い。あとは卵を買いました。ちなみに500円で20個ほどあったのですが、抜群に美味しかった。
9:55
こちらは光丸山法輪寺というお寺です。但し「光丸山」のほかに「正覚山」の部分があって、異なったお寺が複合されているという。また三つの鳥居があって、11月3日の本祭では寺院としては
珍しい神輿の渡御が行われ、今も神仏習合の形態を色濃く残しているのも特徴です。
こちらは慈覚大師円仁によって860年に開山されたと伝えられるが、こちらも諸説ある。
右は大天狗面で高さ2,14m、重さ1トンで木製の天狗面では日本一といわれています。
こちらは西行桜と呼ばれる巨大な枝垂桜です。
本当にこちらのお寺には見どころと謎がたくさんあります。
多少なりとも歴史が好きならば、国道294号線(旧東山道)沿いはとっても良いところです。想像力を働かせると、昔の風景を思い浮かべることもできるかもしれません。
ちなみに法輪寺の三つの鳥居ですが、三つ目の位置がやっと分かりました。(二つはすぐに見つかる)
こちらは桜が満開の時に訪れてみようと思います。
2024.04
camera: Panasonic DMC-TZ60 / graphic tool: SILKYPIX Developer Studio Pro.7
+ GIMP 2.8 + Ichikawa Daisy Collage 10
桜めぐり
2024.04.04 SAT 天気:晴れ
8:50
毎月一回程度は那須で遊んでくるのですが、さすがにこの季節だと「桜めぐり」をしたくなります。
もちろん人のたくさん集まるような名所も悪くないのですが、自分としては知名度は高くなくても、知る人ぞ知るといわれるような名木や絶景を見てみたい。
そして今回まず選んだのは泉崎村(福島県白河市のお隣)にある大泉山昌建寺のシダレザクラです。
昌建寺は1509年の創建といわれる曹洞宗のお寺です。
境内に上がってみると、お寺全体を覆うようなとても大きな桜でした。
樹齢は230年以上ともいわれ、村を代表する名木として、2007年には村の天然記念物として指定されました。
お寺の全体はこんな感じで、シダレザクラ以外にも何本かの異なった種類の桜が植えられている。だからこの季節はこんもりと盛り上がったお寺の境内全体が、濃淡のある桜色に染まる感じです。
泉崎村にはソメイヨシノを初めとしたさまざまな桜が約3000本もあるそうで、民家の庭先、駅、田んぼの外れなどにこのような花を見ることができます。
もちろんこの季節だと新緑や菜の花の黄色も彩の一つ、村全体がパステルカラーに覆われる感じと言ったら言い過ぎかな?
やはり人の住まなくなった家がいくつもあって、実際にはそれが目についてしまいます。ここも人口の減り続けている地域であることに間違いはない。
それでも桜はこれからも丘の上から村人やお寺を訪れる人を見守り続けるに違いありません。
昌建寺のシダレザクラは印象に残る名木だと思います。
9:40
福島県の泉崎村にある昌建寺のしだれ桜を見学した後、那須方面に戻ります。道路に「烏峠稲荷神社」の案内があって、それほど遠いところでもなさそうなので、ちょっと立ち寄ってみることにしました。
平坦地に一の鳥居があって、そこから急で細い道を車で上ってゆく。 「これじゃまるで、ぽつんと一軒家だな」 途中、神社の駐車場があって、今度は急坂を徒歩で上ります。
歩くこと15分ぐらいで、峠の頂上付近に出ました。
この峠に目的地だった烏峠稲荷神社がありました。
烏峠稲荷神社の創建は平安時代の初期に遡ります。
東夷東征の任に着いた藤原俊仁が苦戦を強いられて敗走、烏と白狐に導かれて峠にたどり着く、そしてその山頂の小さな祠で戦勝祈願をして再び戦を挑んだという
伝承があります。
その故事から藤原俊仁は828年に峠の山頂に社殿を造営し、峠を烏ヶ嶺と名づけたと伝えられます。
こちらは本殿横の小さなお稲荷さんですが、歴史を感じます。山門などこのほかいくつか建造物がありますが、そこから感じる歴史的な重みがすごい。
でも本当にすごいのは、これらの重い資材を下から運び上げた人間なのかも。
こちらが本殿です。
それほど大きくはないけれど、その木彫は見事。こちらの本殿は江戸時代に白河藩主松平定信が修復したものだという。こちらの神社は知名度こそそれほど大きくないけれど、様々な
人物がこの神社と関りを持っている。
834年、弘法大師が修行、1052年、源頼義が前九年合戦の戦勝を祈願し社殿を修復、1196年、源頼朝が奥州合戦の勝利に感謝して社殿の造営などなど。
神社の北側にはカタクリの群生地がある。
でもなんといっても、山頂からの風景は最高です。
でも吹きさらしの山頂だから建物の老朽化は著しい。これまでもたくさんの人が修復をしてきたのだけど、だんだんそれも厳しくなってきているみたいです。村役場でも神社と協力して
3年前に大規模な修復工事を行ったそうです。
でも正直、もっと本格的な修復をする必要があるように見えました。 地方が衰退してゆく現在、日本全国でこういうところは多いのだろうと思います。
11:15
福島県 泉崎村から戻ってきて向かったのは、那須塩原の寺子というところです。旧奥州街道の間宿だったところで、今でも古い町並みの残るところです。
ここに樹齢350年、樹高16mの見事なエドヒガンがあります・・・。がしかし今回は遅かった、ほぼ花の9割は散っていました。今年は桜の咲くペースは自分の住む神奈川と
関東北部ではあまり違いがないみたいです。
このエドヒガンは「寺子のサクラ」として親しまれており、墓地に眠る人の冥福を祈るために江戸時代に植えられたものと伝えられます。(那須塩原市の天然記念物)
でも一方でソメイヨシノやヤマザクラは満開の状態、寺子の集落のあちこちで見事な桜を見ることができました。
こちらは余笹川見晴らし公園です。このほかにも陸羽街道の一里塚などの桜もきれいでした。でも訪れる人は少なくて、この風景のなかにいたのは自分たちだけです。
橋のたもとには大きなお地蔵さまがいました。
写真に撮ってしまうと小さく見えますが、台座を含めた高さは2.9mもある、これだけ迫力のあるお地蔵さまも珍しい。こういうものが普通に消防団の車庫の横にあったりします。
江戸時代の享保年間に大飢饉があって、たくさんの人が飢餓によって亡くなりました。こちらはそれを供養する為に建立されたということです。これも自分は名所だと思います。
12:10
一時は那須も新型コロナの影響でとっても静かだったけど、少しずつイベントの数も元に戻ってきて賑わいだ感じです。とはいっても、冬の間はやはり寒くて訪れる人は少ない、だから
これからがある意味で本番という感じかな。
春になるとここギャラリーバーンや、ギャラリー&カフェのBUZZで開催されるのが「野鳥と巣箱展」です。那須在住の作家の作品が並びます。
こちらの巣箱は単にアートとしてつくられただけでなく、実用品でもあります。ちゃんと野鳥が中に巣をつくります。我家でも以前に一つ買って庭の樹にくくりつけてあります。
こちらは木彫のリアルな野鳥たち、きちんとその動きまで再現されています。
そのほかにもいくつか作品が追加されていたのでご紹介します。
こちらはオーナーの清野さんによる緻密な鉛筆画です。雰囲気はハイキーなモノクローム写真ですがよく見ると長さ2~3mmぐらいの細い線が、もの凄い数描かれて表現されています。
この切り取り方が好き。
顔だけでなく手に表情がある。
これはちょっと真似できないな。
自分の方はというと、リメイクがほぼ完了した球体関節人形、youki を持ってゆきご披露しました。ここギャラリーバーンには那須在住のアーティストがたくさん集まる場所で、いろいろ参考に
なるような情報も多いです。
この日話題になったのは、まずはAIの話です。
AIがグラフィックデザインの分野で必要不可欠な存在であるだけでなく、もうリアルな写真の部分でも当たり前のように使用されているのは周知の事実です。そんなところから話は始まって、
作品の中で占めるAIが担当する部分はどんどん大きくなっていて、主と従の関係が入れ替わって、そのうち完成した作品は人の作品とは呼べなくなるのではないかっていのではないかって
ことです。
人間はポイントになるアイディアを出すだけ、あるいはそのアイディアさえもAIが行って、人間は不要になる。分野によってはその可能性も十分にある。将来的に運転手という仕事がなくなる
可能性が高いように、グラフィックデザイナーという仕事もなくなるかも。
それは3次元の分野でも同じです。もう今は一つの原型さえあれば、あらゆるポーズ、あらゆるスケールのフィギュアは3DスキャナーとPC、3Dプリンターがあればできてしまうし、AIの助けが
あれば顔の表情の変更やコスチュームデザインの変更も簡単にできてしまう。
さてそれでも自分のように、あくまでも人の手でつくり続けるという人がいたとき、AIが完成させた作品と比較してどちらが好まれるか? もちろん人間の苦戦は必至です。
あとはギャラリーバーンに「大量のアートを処分したい」という話が、なんと1日に2件もあったということです。
美術館や人目に付く場所に展示されるアートはそれほど多くはなく、ほとんどの場合は個人で所有されることになります。そしてその人が亡くなれば次の世代がそれを引き継ぐ。世の中には
多くのアートを所有するコレクターもいるわけですが、もしその子供がアートに興味がなければ、何らかの形で処分を検討することになります。
買い手や引き取り手がいなければどうなるか? そのまま廃棄されることもあるだろうし、倉庫や蔵の中で放置されて忘れ去られることもあるでしょう。
「長生きできるアート」って、実際にはものすごく数が少ないかもしれません。
自分の造っているものも100年後に生き残っている可能性はきっと高くない。
最初のAIの話を含めての感想でもあるけれど、「アートというのは永遠のもの」みたいに言われることはあるけれど、むしろ多くは繊細で壊れやすくって、その時代限りで価値を持つものである
可能性が高いように思います。
おそらくは普遍的な価値があって、AIに負けないものだけがアートとして生き残るのでしょう。でもそれっていったいどういうものなのかな?
14:30
もうちょっとで那須も春、だからコピスガーデンで花の苗などをお買い物。
18:00
今日の晩御飯は予約を入れたmoon breeze へ。飲み放題+おつまみ+パスタのセットで1500円、こちらのパスタは絶品です。
04.05 SUN 天気:晴れ
5:15
早朝のお散歩です。
まだしっかりと寒い。
土筆やすみれ、やっと那須にも春がやってきた感じです。
家の庭は苔の緑のじゅうたん、そしてスミレやもっと小さな鼻がちらほらと。
数年前までは笹だらけだったから、やっと落ち着いてきたというか庭らしくなってきた。土も柔らかくなって、これからいろんな花が育つんだろうと思う。
8:45
桜めぐりの続きです。
こちらも桜の名所として知られる法輪寺です。860年に慈覚大師円仁によって開山されたという記録はあるが、それは定かでない。
こちらにも西行桜という大田原市の指定記念物の枝垂桜があるのですが、御覧のようにこちらもちょっと訪れるのが遅かった。
西行桜は樹齢800年、地元では結構有名で多くの人が訪れます。でも今回は時期が遅くって、ここにいたのは自分たちだけでした。
あとこちらのお寺の見どころとしては天狗堂に祀られている天狗面がある。その高さは2.14mもあって、大きさでは日本一だそうです。
天狗というのは日本の伝承に登場する神や妖怪ともいわれる伝説上の生き物なので、大陸から伝わった仏教の教えにはないものです。こちらの法輪寺は約1000年の歴史を持つ天台宗の寺院
ですが、神仏混淆の流れが色濃く残り、3つの鳥居があるという全国でも珍しい寺院でもあります。
お見せしたいのはこちらの画像です。お寺なんだけど鳥居があって、その一の鳥居は川をまたぐように建てられている。そしてその土手のソメイヨシノが満開、おそらくはこちらだけの風景です。
西行桜は時期を外しましたが、一の鳥居のベストショットは撮影できました。
資料によれば、一昔前までは信徒は祭礼のときに、この御行川で寒中に水垢離をとってから六根清浄のうえ、奥の院に参詣してしたという。
一の鳥居から北に向かって、300mほどのところに二の鳥居があります。
こちらはもの凄く急な階段の上にあって、下から見えるのは空だけです。
本来、鳥居というのは神域であることを示すものなので、この景色は空に神の世界があるということを伝えたいのでしょう。
そうすると先ほどの一の鳥居は水の神を意識していることになって、なるほどと頷けるわけです。
思うのだけど、こういうのって誰かに聞いたり調べたりすればすぐわかるんだろうけど、それをしないで実際に歩いて、考えてみて結論を導くのはとっても楽しい。
ただこのあたりの考察はあくまでも「自分の考え」であって、詳しい方に確認をとったわけではないので、念のため。
それから次に気付いたのは鳥居の向いている方向です。一の鳥居は南側から北に迎え入れるようにつくられている。二の鳥居はあえて直角に参道が曲げられていて東側から西に
迎え入れるようにつくられています。
本来は全て奥之院に向かって建てられることが多いはずなので、これもけっこう珍しいと思います。
ちなみに次は三の鳥居の話になりますが、以前訪れたときにはgoogleマップに三の鳥居や奥之院の場所が示されていなかったので、ここから先は見るものすべてが初めてということに
なります。
参道は徐々に上り坂になってゆく、北北西に向かって400mほど歩くと三の鳥居があって、ここから先は急坂になって山中に続きます。
一の鳥居は南北、二の鳥居は東西、そして三の鳥居は急坂の手前ということで、天と地を意識してるんじゃないかと自分は考えました。おそらく3つの鳥居で空間的なひろがりを表現している。
鬱蒼とした山中の一番高いところに奥之院はありました。
杉の葉に覆われて踏みあと多くない、多分ここを訪れる人は少ないと感じました。
では三の鳥居から先はどういった神を意識しているのか、それが次の疑問でした。
この状況からは分かりませんでしたが、あとあとmapで確認したら気づきました。それはおそらくは火だろうと思う。今は鬱蒼とした山林だけど、この地から見てmap上では北北西に那須火山がある。
那須山(茶臼岳)は今でこそ活動は休止状態だけど、1400年頃と弥生時代の2600年前には大規模噴火の記録があります。
縄文時代すでに宗教は存在していて、精霊崇拝や自然崇拝、そして死霊崇拝などの場面で神を招いて祈り、そして呪術によって運勢を変えようとした。そしてその儀式の名残は今、土偶や配石遺構
などで確認することができます。
おそらく炎を上げる那須岳は、昔のこのあたりに住む人たちにとって最も神に近い存在、あるいは神そのものだったに違いないです。
三の鳥居は那須岳は火の神の世界、二の鳥居は空の神の世界、一の鳥居は水の神の世界への道を導くもので、そして自分たちは4つ目の地に住む、それが自分の結論でこれで全部で4つの世界が
出そろう。これは古代四元素説につながる考えではないかと思います。
那須岳の中腹、那須湯本温泉の奥に温泉神社(ゆぜんじんじゃ)があります。630年頃に建立されたと言われている那須温泉のシンボル的な存在です。
讃岐屋島での扇を射抜いたという伝説のある那須与一ですが、出陣前にここで戦勝祈願を行い、また帰国した際には弓を奉納したという。
温泉神社はこの周辺にいくつも分祀されていて、こちらの温泉神社の創建は686年だという。だから法輪寺の建立より実は更に古い。この画像の奥に見えているのは二の鳥居です。
奥の院に向かう途中になぜここに神社が作られたのか?
神としての存在していた那須岳の活動もこの時期には沈静化していた。もしかしたら存在の遠くなってしまった火の神を自らの住む地の世界に引き寄せようとしたのかもしれません。
奥之院の近くでは古墳が発見されています(佐良土上の原古墳)
そして二の鳥居と三の鳥居の間には平坦な丘陵地帯があって、今ここでは発掘調査が続いています(佐良土上の原遺跡)。
上の画像がその場所なんだけど、ここにも誰もいなかった。
現在、公的機関があった可能性を示す区画溝の跡が見つかり、古代の行政施設や交通施設、軍事施設など公的機関の「官衙」である可能性が高まったという。
(あとで紹介する那珂川町の国指定史跡「那須官衙遺跡」から約3キロ北にある)
古代から続く独特の精霊崇拝や自然崇拝がここにあったのは事実、そしてきっと事あるごとに、あるいは冬至や夏至などの区切りの日には丘の上で様々な神事が進められていたに違いないと思う。
その後は天狗に代表される山岳信仰が結びつき、そしてその後の仏教文化が結びついてゆく。
しかし明治維新になって、政府の都合で神仏分離がすすむ。
ただこの法輪寺の周辺では完全に融合がすすんでしまっていて、分けることなどできなかったのではないかと想像します。
こちらのお寺でのお祭りを見たことが一度だけあるんだけど、なんかすごくインパクトがあった。
お祭りの行列に僧侶が並ぶ、その雰囲気にちょっと不思議な感じもしたけど、少なくともそういう景色が数百年は続いていたのでしょう。
ここには人と神とのつながりの原点のようなものを感じます。
9:55
やってきたのは珂川町の「ふるさとの森公園」周辺です。
こちらは「梅曽しだれ桜」と呼ばれる樹齢250年のサクラです。
ごらんのとおり散り始めの状態で、こちらも3日ぐらいやってくるのが遅れた感じです。満開の写真も見たけどとってもボリュームがあってきれいでした。
ただこのあたりはとても歴史あるところのようなので、気を取り直してお散歩開始です。
こちらは「永森家、小口家古民家」、現在は元あった場所から移築されて民俗資料館として利用されています。なかは民具などが昔そのままで置かれている。
建物そのものも良いですが、庭のタンポポがとってもきれい。
ここから眺める小川地区の景色が最高です。
ほぼ左右180°の範囲で懐かしい景色がひろがる。
こちらは「那須官衛遺跡」です。
このあたりでは昔から古い瓦が掘り出されることから「梅曽廃寺跡」と呼ばれ、もともとは古いお寺があったものと考えられていました。ところが1940年に古い銅印が発見されて、1955年から大規模な
発掘調査が行われることになりました。(銅印は現在、国の重要文化財に指定されている)
結果としてこの遺跡は寺院跡ではなく郡衙であることが明らかになり、国指定史跡となりました。
遺跡の範囲はおよそ南北200m東西600mで、敷地には郡事務所である郡庁,居館,倉庫などがあったとされる。郡衙の成立は7世紀末から8世紀初期、終焉は10世紀前半と考えられています。
ようするにここは中央集権化をすすめるヤマトの一大拠点だったということですね。
近くの「那珂川町なす風土記の丘資料館」ではそれらを詳しく解説しているので、訪れてみると良いでしょう。(入館100円)
ちなみにお隣の大田原市には「上侍塚古墳」と「なす風土記の丘湯津上資料館」もあるので、古代史に興味があるようでしたら、合わせて訪ねることをおすすめします。
国道294号線沿いのこの周辺というのは、前にも取り上げたように巨大な古墳や古い寺社がたくさんあって、この時代の代日本においてはとても大きな意味を持つところなのですが、観光地としてはかなり地味なので、
人がたくさん訪れるようなところではないです。
さてぐるっとまわって車を止めた場所に戻ってきた。
すごい、休耕田に菜の花がいっぱい。
きっとこのあたりって、昔から最も豊かだった場所に違いない。
桜は終わってたけど、この菜の花の風景を見ることができただけでも良かったなと思いました。
2024.05
camera: Panasonic DMC-TZ60 / graphic tool: SILKYPIX Developer Studio Pro.7
+ GIMP 2.8 + Ichikawa Daisy Collage 10
澤観音寺
2024.05.17 SAT 天気:晴れ
8:20
基本、那須の家に行くときには景色の良いところだったり、ちょっと興味のある史跡などを巡って向かうことにしています。
この日も東北自動車道を矢板北で降りてマップを頼りにドライブします。
栃木は北に行くほど水田が多い感じで、特にこの矢板あたりはいちめんに水田という景色も珍しくないです。
水の入った水田は本当にきれい。
農業用水路には澄んだ水が流れ、水草が繁茂する。
そして近くには水生植物の育つ小さな公園があり、その近くには集落もあるようなので、立ち寄ることにしました。
公園の駐車場に車を止めて集落に向かいます。
集落に続く細い道の脇にはピンク色の花がずっと続いています。家々にも様々な花が植えられていてほっとする感じです。
途中、小さなお稲荷さんもありました。
5分ほどで目の前が開けた。
「あ、ここ来たことがある・・・、以前に枝垂桜を見に来たお寺だ!」
こちらは澤観音寺、下野三十三札所巡りの8番札所で825年開創という古いお寺です。ご本尊の千手観音は鎌倉時代の作で県の文化財になっています。
以前は直接車で乗り付けたので、この景色を見るまで気づきませんでした。
前回は枝垂桜でしたが、今回は参道に真っ赤なポピーが本堂に向かってずっと続いていました。
境内にはほかにも 八重桜や蓮、牡丹、つつじ等々四季折々の美しい花が咲くことで知られており、「花の寺」として知られているところです。
実はこちらのお寺は1675年にこの地に再興されたもので、それ以前にはここに城がありました。
1187年に那須七郎満隆は箒川西岸にこの沢城を築き、塩谷氏との度重なる戦いの場となったという。ちなみに那須満隆は源平の合戦で名を挙げた那須与一の兄にあたります。
お城の本丸はこの澤城址の裏山にあります。ただ現状ではうっそうとした杉林になっていて、遺構は残っているものの本丸から対岸を望めるような状況ではないです。(ここも行ったことがある)
こちらはお隣の湯泉神社、ここも城郭の一つだったというから、かなり規模としては大きいです。
景色は歴史によって塗り替えられる。そして人が利用しなくなれば本来の姿に変わって行く、ただそれだけ。
「自然を守ろう!」そう、その通りです。
こういう看板は増えてよいと思いますが、ここでなく霞が関や北京で示されるような世の中になってほしい。 「地球環境の保全」「平和な世界を実現」「人権の尊重」世界を視野に入れた
政治家はみんな言っているけど、それが実現する世界はあまりに遠いような気がするのは自分だけでしょうか。
10:00
那須にたどり着いてまずやってきたのはヒロガーデンです。春なので庭に植える花などをいくつか買って行って植えました。
でも生き残るものは数えるほどで、その多くは雑草に負けちゃう。
庭仕事が終わって、時間もまだ早いのでドライブに出かけた。
ここはヒオウギアヤメの咲く田んぼなんだけど、今年は天候のせいなのか花の数が少ない。なんたって昨年はこのあたりでも気温35℃を記録した。気象条件の違いで植物の
育ちも違うと思う。
14:10
那須塩原というと、旧黒磯市、塩原町、西那須野町が合併してできた市ですが、昔からの街並みから温泉街、農地、そして那須の山々と、それぞれ特徴のある地区があつまってできています。
新幹線の停まる那須塩原駅周辺は比較的新しい街で、昔からの街並みは少し北の黒磯周辺に残っています。
黒磯というと駅から西に延びる県道55号線の通称「shozoストリート」が全国的に有名で訪れる人も多いです。
自分たちはふだんあまり黒磯方面には行かないのですが、駅周辺の再開発も完了したみたいなので久しぶりに行ってみることにしました。
今回まずはshozoストリートの北側のごちゃっとしたところを訪れます。
この周辺を散策するなら黒磯公園をベースにすると良いでしょう。無料の駐車場は広いし、様々な植物を見ることのできる那珂川河畔公園にも下りてゆくことができます。
またすぐそばには黒磯郷土館(入館無料)があって、もとこの地域の名主だった旧津久井家の古民家などを拝見することもできます。
黒磯よりも西側の地域はもともと原野だったところで、明治以降に開拓されて現在のように広大な牧場や農場のひろがるところとなった。黒磯は那須野原に国道、鉄道が開設されてから
交通の要所になり、人々が集まるようになってできた街です。
こちらの黒磯神社もそういう状況の中で明治35年に建立されました。比較的新しい神社ですが林に囲まれていて、厳かな感じがあります。
駅前にやってきました。ところどころに明治の雰囲気を残す建物がある。
そのランドマークとも言えるのが、もともとは旧黒磯銀行本店だったというこちらの建物です。(登録有形文化財) 現在はカフェ・ド・グラン・ボワというお店として営業しています。
人気店なのでお昼時には予約していった方が良いかもしれません。
こちらもレトロな木造建築、もともとは酒屋さんだったみたいですが、今は使われていないみたいで、ちょっと惜しい。
あとお店としては、この建物の筋向いの冨陽というお蕎麦屋さん、お隣の明治屋という和菓子屋さん、少し離れたところにある丸信本家というラーメン屋さんあたりが個人的なおすすめかな。
今回行ってみたら、本当に駅周辺はきれいになっていた。昔ながらのごちゃっとした感じから時代が一気に20年ぐらい進んだ感じがしました。
黒磯は那須周辺の観光地の玄関みたいなところだから、この方が良いのかな。
駅前のお店もリニューアルされていました、左からピザ屋さん、カフェ、パン屋さんとならぶ、どちらのお店も賑わっています。
こちらのkanel breadというパン屋さんでお買い物です。
地元の粉を使って、たくさんの種類のパンをつくっている人気店です。黒磯や那須ってパン屋さんがものすごく多くて、しかもレベルが高い、それぞれのお店に特徴があってパン好きには
こたえられないところです。
こちらは今回初めて発見したお店で、Jazz Salon 黒磯 というらしいです。今回は営業時間外でしたが、コーヒーを飲みながら本格的なジャズが楽しめるところだという。(土日の夜だけ営業)
このほか、黒磯駅周辺のカフェやレストランでは音楽やアートを楽しめるところも多いです。なかなかに深いところです。
14:40
今回、黒磯の街でいちばんすごいなって思ったのがこちらです。
このおしゃれな建物は何だろ? 黒磯駅前の一等地には、これまで見たことのないおしゃれな建物ができていた。
中に入るとあちこちに本があって、こちらが公立の図書館であることが分かります。こちらは「みるる」、那須塩原市の図書館です。
図書館というと、静かでぎっしりと本が詰め込まれているようなイメージだけど、ここはひろく明るく、開放的です。
しかも司書の方の工夫なのか、おすすめの図書が目立つところに配置され、そして基本的なコンセプトなんだろうと思うけど、美術館的な装飾にも圧倒されます。
普通の雑誌でも1冊1000円以上になってしまって、軽い気持ちでは買えなくなっている現在、ここでは主だった雑誌がたくさん取り揃えられていて、それを眺めながら喫茶スペースで
コーヒーをいただくこともできます。
コーヒー+ソフトクリーム (600円) で気になる雑誌を読むだけで、完全に元がとれちゃうね。
逆に静かな環境が確保できるようなサイレントルームも用意されていて、ここには心落ち着かせる観葉植物が栽培されています。なかには入りませんでしたが、きっと浄化された空気の
なかで勉強も捗るだろうと思います。
この「みるる」ですが、こういう居心地の良い空間であるがゆえに、可能性として本にはあまり興味のない人たちのたまり場になってしまいそうな可能性がないわけではない。
もちろんそれも計画段階で織り込み済みなんだろうけど、実際にこうやってつくってしまったところがすごいと思う。
その勇気のある自治体って少ないかもしれません。
17:20
食事はいつもの殻々工房です。いつ行っても美味しくってリーズナブル。
那須に格安の別荘を構えてすでに14年になるのですが、この14年間に変わったなと思うこともあれば、どこも変わらないところもある。いちばん変わったのは賑わい方で、この数年間のコロナ禍では
いったん死んだように静まり返ってしまった。
その後、那須町や那須塩原市の人口そのものは減ってはいるのだけど、いわゆる観光スポットに近いところには新しいお店が出来たり、新たに移住してくる人も増えているように思います。自分の住んで
いるところも、最近は人口密度がちょっとだけ上がってきている感じかな。
一方で変わらないのは景観、条例で派手な看板はつけられないというのもあるけど、基本的には那須高原は田舎そのものです。
美術館や博物館、様々なアミューズメントと温泉があるというのが那須の売りではあるのだけど、自分たちが別荘を構えた理由はやっぱりすてきな景色です。
等々工房に行った帰りです。美味しいごはんとお酒をいただいた後、まだまだ6:30なので空は明るい。
那須高原は標高が高く、しかも高層の気象状況の変化を受けるので、オーロラとまでは言いませんが空の色の彩度が高いです。しばし立ち止まって撮影をします。
刻々と色は変わってゆく、でもこれがごく普通の夕暮れです。
5.18 SUN 天気:晴れ
5:15
翌朝は夜明け前からご近所のお散歩です。
梅雨入りの直前、田んぼに水が入ると突然に景色がきれいなる。
水面を境に上下対象。こういう景色で見られるのは早朝のみです。
夜が明けてしばらくして光が地上に降りてくる。
自分がいちばん好きな瞬間です。
7:15
この日はとっても天気が良かったので、コンビニで朝食を買ってドライブに出かけます。
やってきたのは大田原市黒羽の高岩というところです。那珂川に突き出すような形で大きな岩が突き出している。
これからの季節はアユ釣りでたくさんの人が訪れるところです。 自分はここからの景色が好きで、この岩で朝食をとるのはこれで3回目かな。
景色の良いところ、空気のおいしいところでの朝食は最高です。
この高岩というところは、那珂川の流れでえぐれたような形になっている。そして右手の上段には高岩神社という古い神社があって、那須の与一が扇の的を射る際、波を沈めてくれるよう祈願した
伝説があるそうです。
ちなみにこの高岩は火野正平のNHK「こころ旅」で目的地になったこともあります。
でも本人の腰痛のため、予定されていた旅が中止になったとか、大丈夫なんだろうか?
黒羽というと、那珂川の東岸にある黒羽城址や芭蕉の館などが有名ではありますが、西岸の風景もなかなかに良いです。江戸幕府が整備した宿場町の名残が色濃く残る、一言でいえばなかなかにシブいです。
今回はこちら側をご紹介します。
こちらは高岩山明王寺、真言宗智山派のお寺で創建は1500年代の後半と伝わる。那須三十三観音第一番札所のお寺。
こちらの手水舎のそばに芭蕉句碑が建っていました。
今日も又朝日を拝む石の上
そうこれ、きっと高岩の上で詠んだに違いない。
アーティストはこうでなくっちゃ、自分たちは朝ごはんだったけどね。
こちらは1565年に創建された光明山常念寺、こちらにも芭蕉の句がある。
野を横に馬索むけよほとゝきす
芭蕉はこの黒羽だけで36もの句を後世に残していて、今でもこの黒羽では俳句の里として、俳句や近世文学のイベントが開かれているという。
中心街に近づいてくると、少しおしゃれな店などもある。決して黒羽は賑わっている観光地という訳でもないけれど、けっこう伝統的な文化を伝えるお店もある。
こちらは藍染の「紺屋」さんです。伝統だけでなく、新しい技を発信する黒羽を代表するお店の一つ、こちらもNHK「美の壺」で取り上げられたことがあります。
こちらはいわゆる「ウナギの寝床」ですね。間口が1間ほどなのに奥行きがその10倍ぐらいある。
黒い壁の土蔵造りは足利銀行、そのほかにも伝統的な建造物がいっぱいある。このまま時を経たら登録有形文化財になってしまうものも多いのではないでしょうか。
そうは思うのですが、現実にはこの景観の維持は難しいのだと思います。
街自体に空き家は多いし、取り壊されて空き地になってしまったところも多いです。
おそらくは芭蕉の句は将来に残る。でもどうして芭蕉がそのような句を詠んだのか、それを読み取ることのできる景色は失われてゆくだけだと思う。
10:25
道の駅「きつれがわ」に立ち寄ります。
地方の道の駅なので、さくら市産の採れたて新鮮野菜がお安く買えるのはもちろんなのですが、地元特産品の販売だけでなく、全国あちこちから良いものを仕入れて提供しているのが良いと思う。
たとえば栃木県内のお酒なら、ほぼすべての銘柄を扱っているし、今回行ったら鹿児島の知覧のお茶なども販売していました。
あとは施設内に温泉があったり、川沿いにはBBQやキャンプを楽しむ施設もある。
これからの季節だと鮎が美味しいだろうな。
こちらの道の駅はほかとは一味違う感じがします。思わず余分なものまで買ってしまいます。
道の駅を出てすぐ「ポピー畑 → 」の看板を見つけました。
その矢印に従って車をすすめるとこんな景色がひろがっていました。
清々しい青空の下、延々とポピー畑が続いていました。
入園無料なのですが、100円以上の募金でポピーを10本まで持ち帰ることができます。
こちらも嬉しいサービスですが、1本10円というのは安すぎないかな、いいのかなって思いました。
ちなみに今回は喜連川の街中散策はしませんでしたが、レトロな風景が好きな方にはおすすめです。
川を渡った反対側は旧喜連川藩の城下町のあったとろこで、今もその風情が感じられます。龍光寺という室町幕府の初代征夷大将軍 足利尊氏が創建したお寺があったり、その昔は武家屋敷が
立ち並んでいたところに「御用堀」や「寒竹囲い」などが今も残る。
道の駅「喜連川」はそれなりに賑わっているけど、街中もなかなかに魅力的です。
何年か前、最初に街中を訪れたときには空き家が目立って寂しい感じがしたけれど、今はおしゃれなお店も増えてきて、少しずつ活性化しつつある感じです。自分のおすすめは「竹末」という老舗の
中華料理店の「初代竹末食堂の焼きそば」、それから「紙屋」という和菓子屋さんのお菓子、お茶するなら「HAYAKIKAZE cafe」かな。
2024.05
camera: Panasonic DMC-TZ60 / graphic tool: SILKYPIX Developer Studio Pro.7
+ GIMP 2.8 + Ichikawa Daisy Collage 10
余瀬
2024.06.29 SAT 天気:晴れ
11:05
毎日毎日暑い暑いと言いながらも、先週末は那須の家に行ってきました。この時期に何もしないでいると、庭が雑草で大変なことになってしまいます。だから定期的なお手入れは欠かせません。
東北自動車道の栃木都賀JCTを通過したあたり、きれいなハスの花園が視界に入ったので、思わず次のICで降りてしまいました。
ここは「つがの里」という栃木市の公園です
蓮池を埋め尽くすのは1,000株3,000本のハス。
「つがの里」は春の季節の桜も有名です。あと園内には手打ちそばや手打ちうどんが食べられる農村レストランもある。展望台や遊具もあって家族連れで楽しめるようなところです。
12:00
那須に行く途中でもう一つ寄り道をしました。
こちらは鹿沼市にある磯山神社です。
社伝によれば988年に創建されたとされ、周囲を古木が覆っていて、暗く厳かな感じです。それほど大きくないですが代々の将軍からも同待遇を受けた。1662年に建立された本殿は県の重要文化財に
指定されています。
この時期、参道のアジサイが見頃になってあじさい祭りが開催されていました。
20種2000株のアジサイがとってもきれい。
ふだんとは違ってものすごくたくさんの人が訪れていました。
コスプレさんも何組かやってきていました。
13:35
ハスとアジサイを見た後は少し気になる場所があって、とりあえず大田原市にある道の駅「与一の里」にやってきました。
ここも何度かやってきているのだけど、新鮮なお野菜が安く買えたり、果物たっぷりの美味しいソフトクリームが食べられたりします。
道の駅のすぐ裏には「那須神社」があります。道の駅は賑わっているのですが、こちらはしんと静まり返っていて訪れる人も少ないです。
仁徳天皇(313~399年)の時代の創立で、さらに征夷大将軍坂上田村麻呂が応神天皇を祀って八幡宮にしたと伝えられています。
その後はこの地を治めていた那須氏の崇敬篤く、社宝には那須与一が奉納したといわれる太刀もあります。那須与一というと屋島での戦功が有名ですが、今でも例大祭では永代々神楽や獅子舞のほかに流鏑馬も
披露されています。
色彩豊かな楼門、本殿とともに国重要文化財に指定されています。
参道の両脇には続く杉並木も見ごたえがある。
杉並木で涼しい、夏は涼を求めるならおすすめです。
ここは奥の細道にも紹介されている景勝地なんだけど、なんでこんなに静かで訪れる人が少ないのかな?
道の駅を基点にして南方面にお散歩します。
歩くこと20分ほどで余瀬という地区にやってきました。この道は先日ご紹介した黒羽に続く旧奥州街道で国道254号線の少し西側を通っています。
昔の道はだいたいこんな感じで緩やかに曲がっていることが多い、こういう道を歩くといろいろな発見があります。
左は江戸時代と明治時代の道標です。こういうものや道祖神、石仏などがいくつもこの地区には見られます。
今は少し寂れてしまった感じもあるのだけど、このあたりは粟野宿という旧奥州街道の宿場町でした。
そしてもう一つこの地区を語るうえで欠かせないのが白旗城址です。画像正面に見える小高い丘にその昔お城があった。
今もその遺構を見ることができるようですが、この時期にこれだけ鬱蒼とした林に分け入るのは、ちょっと勇気が必要なので止めました。
白旗城は1400年ごろに大関増清が築いた山城とされます。大関家は那須家の武将集団、那須七騎の旗頭で室町期までこの城を拠点としていたという。
この丘の北側にある加茂神社です。
一見、よくある村の神社のように見えますが、記録によれば建立は913年という古社で、粟野宿の駅長であった粟野行麿が山城国上加茂神社に詣で分霊を受けて帰ったのその始まりという。
こちらは西教寺、明治2年の開山なので地区の歴史に比べたら比較的新しい。
ご本尊は阿弥陀如来で、もともとは下野黒羽藩2代藩主大関弥平治政増の正室シャム姫の持仏像であった。(県指定の重要文化財)
シャム姫は徳川家康の妾の娘であり、後々大関家に嫁ぐことになりますが、夫政増が26歳の若さで病没してしまう。その後は持仏の阿弥陀如来を本尊として長松院法王寺を建立し、信仰に支えられて
半世紀を生き1662年70歳で没する。
その後、明治初期の廃仏毀釈で法王寺は廃寺となって、阿弥陀如来像は最終的にはこちらの西教寺のご本尊となった。
今でこそ東北に向かうメインストリートになっているのは、東北自動車道や国道4号線なのだけど、江戸時代までは人と物の流れはもっと東側にあった。ルートで言うと現在の国道254号線に近いです。
新しい道ができて、人と物の移動は西側へと移り、現在の国道254号線沿いはとても静かな場所になって、豊かな農村地帯のひろがる景色になっています。
車で通りかかると「何にもない田舎の風景」に見えるかもしれないけれど、歩いてみると忘れ去られてしまいそうな歴史がたくさん詰まっているようなところです。
この西教寺の傍らに「おくのほそ道」で芭蕉に付き従った曽良の句碑が建っています。
かさねとは八重撫子の名成るべし 曽良
もちろんお寺自体は明治2年の開山なので、芭蕉とは直接関係はないはず。
調べたらもともとは黒羽町(現在は大田原市と合併)の町役場にあったものをここに移したということです。というのもここは芭蕉と曽良が長く滞在した地であったということらしい。
周辺に芭蕉と弟子の句碑が点在していて、この集落の入口にはその解説看板もある。
こちらは光明寺跡です。
この案内表示の先の暗い藪の中に句碑もあったんだけど、おそらく訪れる観光客もほとんどいないんじゃないかな。
夏山に足駄を拝む首途(かどで)哉 芭蕉
芭蕉は1689年4月9日に光明寺に招かれ、行者堂に安置されていた小角の像を拝して、長途の旅の安全を祈願したと伝えられます。
県道を歩いていたら「鹿子畑翠桃邸跡入口」という道標を見つけました。
何て読むんだろ? 何があるんだろ?
こちらは芭蕉が黒羽に滞在中に訪ねたという、門弟であった翠桃邸跡です。といっても今は一族の墓地だけが残ります。
翠桃は俳号で本名は鹿子畑豊明、兄は黒羽藩の城代家老で浄法寺高勝、彼もまた芭蕉の門弟であった。
1689年4月、松尾芭蕉は「おくのほそ道」行脚の際に翠桃宅に5泊、浄法寺邸に8泊しました。これは「おくのほそ道」では最長の滞在期間となります。
この間、兄弟は二人を厚くもてなし、郊外の寺社や名所旧跡を案内したという。
居心地がよかったんだろうなあ・・・。
曽良は日々の日記以外に俳諧のノートを残しています。ここに立てられたパネルにはその「曽良俳諧書留」からの抜粋があります。
曽良というと、実は幕府の密偵であったという説が有力ではあるのだけど、この粟野と黒羽ではその役割も忘れていたのか、たくさんの句を残しています。
この書留によれば地元俳人たちとの歌仙興行もあったみたいですね。
秣(まぐさ)おふ人を枝折(しおり)の夏野哉 芭蕉
秣は言うまでもなく馬草で馬のえさのこと、この広い那須野では道が分からない。あの秣を背負って歩いている男を道標にして歩いていけば大丈夫という意味の句です。枝折は山路を歩くときの
メモリーとして枝を折って自分が通った道筋を記録しておくことで帰路の道標とするところから、ひろく街道の道標をも指すようになったという。
青き覆盆子(いちこを)こぼす椎の葉 翠桃
この景色を眺めながら、句が浮かんでくるのは理解できる。
良いものが生まれるには、様々な要素が必要であるとよく言われる。でもそのなかで最も大切なものは、良いもの新しいものが生まれる環境であると自分は思う。
偉そうなことを書いてはいますが、実は自分は近代文学に疎い。
松尾芭蕉の「おくのほそ道」は知っているけど、それを覚えてどうなる? ましてや漢文だなんて、中国の古典を国語として教えているのはおかしいという考えを高校生の時に持っていた。(今も変わらないけど)
文学的なものって、特に学問や受験のための道具になってしまうと一段とつまらない、それは断言できます。
16:00
余瀬で「おくのほそ道」巡りをしたあとは、例によってギャラリーバーンに立ち寄りました。
ギャラリーバーンは基本はレンタルギャラリーなのですが、展覧会がなければオーナーの清野さんの作品が見られたり、アートに関係する人たちが集まったりするような憩いの場所になっています。
現在は「ミナの絵画と工作展」を開催中でした。
(入場料無料 火曜日・水曜日は定休日)
今回の展覧会は、清野ミナさんの日本とベルギーの国際交流におけるアウトサイダーアート展出展を記念したものだという。
ご覧のように緻密でポップな感じの絵が特徴的で、様々な展覧会で活躍しているほか、本や雑誌のカバーや表紙などにもそのデザインが採用されています。
あとはもちろんオーナーの清野さんの作品も展示されてます。
動くアートシリーズのプテラノドン、そして空飛ぶ潜水艦とクジラの組み合わせ。
発想が自由過ぎる!
ペーパークラフトの家、デザインもさることながら、この絶妙な質感の出し方に感心します。
自分もまだまだ知らないことがあって、気付くといろんなことを聞いています。聞けばやり方を教えていただけるのはありがたいです。
まっとうな絵画も上手、2Fには良くできたブロンズ像も多数ある。
本当に清野さんは多才です。
ちなみに上のような絵画は今回初めて見たのですが、基本的にはパステルで描いているのだという。肌の色の微妙なグラデーションの表現にはぴったりだね。例えていうなら、その滑らかさは
筆で描いたときの10倍ぐらいある感じです。
そして顔以外の部分は絵の具で荒く乱暴に描く、この対比が抜群に良い。こういう作品を見てしまうと、ついどこかで影響されそうです。
でもそれでよいと思う。
あとは芸術は永遠のものではないとか、ソーラーパネルが増えた、地球温暖化、黒磯駅前の図書館みるる、那須塩原と那須町の関係、挙句はクマが出たなど、今回もいろんなことが話題に
なって、結局は1時間以上おじゃましてました。
晩御飯は近くのスーパーに久しぶりに買い出しに行って自分でつくる。
このスーパーはけっこう安くて良いものがあります。
素朴で簡単だけど、地物の野菜と那須のソーセージだから間違いない。
右は道の駅で買った「天鷹のスパークリング」です。ふたを開けた瞬間に1/3ぐらい吹き出して無駄にした。もったいない。
30 SUN 天気:くもり
8:05
早起きしてまずは草刈り、1時間ほどで片付ける。
庭には小さなバラが花をつけていた。
しっとりとして良い感じの朝でした。
8:45
神奈川に戻るときは、だいたいどこか面白そうなところを通って、道の駅に立ち寄って帰る。それで今回は矢板の道の駅まで行ってみようということになりました。
箒川のに沿って続く県道30号線は関谷街道という古道で、近くには古いお寺や神社、そして城跡などが続くようなところです。
この碑はあいにくの運天でしたが、晴れていれば心地良くドライブができるところです。
こちらは要金寺、一見すると地元密着のよくあるお寺さんでが、すでに1000年近い歴史があるという。
こちらのお寺は全く観光とは無縁なのですが、その境内はすごく整った庭園のようで見応えがあります。さほど広くはない境内ではありますが、鐘楼や仏像、起伏ある境内や池、滝など一流の人物が
造園したって感じがします。
ちなみに駐車場からの入口にこの「目心観音」があって、お賽銭を箱の中に入れるときれいな音がします。
背後の山には912年創建というとても古い箒根神社と塩谷氏の支城だった野沢城址があります。
ただこの日はかなり地面が湿っていて、途中、苔生した急な階段を50mほど登らないといけないのでやめました。
要金寺のお庭でしばしの休憩です。まだまだアジサイがきれいに咲いてました。
このあとはgoogleマップを参考にしながら、点々と面白そうなところに立ち寄っては道の駅を目指します。
この松は「二本木の笠松」と呼ばれている樹齢500年の古木、中に入って見たら、やっぱり大きい。
道は関谷街道から会津中街道へと変わります。こちらも古道であちこちにその痕跡が残ります。
会津中街道に沿って十王堂跡を見つけた。十王堂とは死後の世界をつかさどる十人の王をまつったお堂だという。
ここは荒井という集落の中心に近いところなのですが、今はこんな感じで複数の石仏、石碑などが、田んぼの真ん中に無造作に置かれているだけのように見えてしまいました。
その昔は近世以前の共同墓地だったとされますが、今はもうその様子をうかがい知るのは難しくなっている。
近くには地蔵堂や別の箒根神社などもある。ただ残念なことにそれらを解説する案内板はなく、googleマップの検索でも何も出てこない。
朽ちた民家も点々とあって、繁栄の跡は失われつつある感じです。
旧会津中街道という東北へのメインストリートの一つだったから、その昔はたくさんの人の往来があったに違いない。でも正直、今はその面影もだんだんと薄れてきている。
今ある石でできた遺物も、その風化がすすめば、その存在自体も忘れ去られてゆくに違いないと思いました。
2024.07
camera: Panasonic DMC-TZ60 / graphic tool: SILKYPIX Developer Studio Pro.7
+ GIMP 2.8 + Ichikawa Daisy Collage 10
余瀬
2024.08.04 SAT 天気:くもりのち晴れ
7:55
毎日毎日暑い暑いと言いながらも、先週末は那須の家に行ってきました。
個展の準備で忙しい最中、ではありますが、この季節は一ヶ月に一度は草刈りしないと、庭が大変なことになってしまうからです。
とりあえずの休憩で、道の駅「明治の森」に立ち寄ります。ここは最近リニューアルしたばかりです。
お目当てはヒマワリ畑だったのですが、まだ咲きは二分といったところでした。
きっとお盆のころに開花のタイミングをあわせているんだろうなあ。
そして一部何故か紅葉の始まっているところもある。
これだけ気象条件が変わると、植物の方も混乱しているのかもしれません。
113:30
2時間かけて草刈りを終えたところでお昼になった。少し遠いけど、お蕎麦を食べに伊王野に行って見ようということになりました。
道の駅「東山道伊王野」のお蕎麦屋さんは、お昼時には行列ができるほど人気がある。
こちらは鮎飯付きの天ざる蕎麦セットで1300円、もちろん手打ちで、のど越し良く、蕎麦の香りがします。並盛りでも普通の蕎麦屋さんの大盛より多いぐらいで、多分ほとんどの人が満腹です。
蕎麦畑の向こうに伊王野の集落が見えます。涼しければ歩くんだけど、33℃ではちょっと・・・。
古い街並みのなかに歴史ある神社やお寺があります。その背後には伊王野城址公園もある、良いところなんだけどな。
伊王野城は13代・伊王野資清によって築かれたと伝わる城です。伊王野氏は那須六家のひとつで、子孫の伊王野資信は那須七騎に数えられましたが、1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐において
那須衆は秀吉の不興を買い、所領を削減されました。その後「関ヶ原の戦い」において上杉勢を阻止した功績から加増され、旗本となっています。現在城址は一部が公園として整備されており、堀切や竪堀などの
遺構を確認することができます。
12:00
伊王野から更に北に向かいます。やってきたのは芦野というところ、東山道で言えば関東最後の宿場町だったところで、ここから先は「みちのく」です。
明治維新のときに、那須の原野の大規模開発が始まって、大物政治家や貴族、軍人たちがこぞってこの周辺に牧場を設けた。後に警視総監となる三島通庸(みちつね)は県令として、現在の国道4号線にあたる道を
整備して、東京からの移動の利便性を図ったと言われる。
ちなみに次男である三島 弥彦は日本初のオリンピック代表選手として1912年開催のストックホルムオリンピックに金栗四三と共に参加しています。
そういった経緯もあって、人と物の流れは変わり、東山道沿いは衰退してゆく。
今も必ずしも活気のある町という訳ではありませんが、「石の美術館」ほかいくつかの魅力的な施設やお店もあります。
さて、今回こちらにやってきたのは食後のコーヒーをいただくためです。
入ったのは「油屋鮮魚店」というお店です。店内にはお魚のほかにお菓子や日用雑貨などもある。でも店内にはおしゃれな一角もあって、凛とした風格さえ感じます。
そして待つこと暫し、美しく飾られたコーヒーが出てきました。
ホットコーヒー、その右にはシャインマスカットとクッキー、左側にはシソのジュース、これを旧東山道の通りを前にしていただきます。
こちらのコーヒーは嘘でなく300円、本当にこれでよろしいのでしょうかというお値段です。
もちろんこれで儲けは出るはずもありません。
こちらの油屋鮮魚店さんは懐石料理のお店で、食事は完全予約制(時価)です。もちろんコーヒーはPRという意味なんだろうけど、やっぱりすごい。
都会の人から見たら辺境とも言えるところなんだろうけど、頑張ってる人は頑張ってます。
12:30
宿場町「芦野」はとても賑わっているというところではないけれど、江戸期以前の景色が今もあちこちに残っているような素敵な場所だと思います。
宿場町の北の外れあたりに「遊行柳」という、ちょっとした史跡があります。
こちらは室町時代に、藤沢の時宗19代尊酷上人が、この柳の精だった老翁を念仏で成仏させたという伝説があるところです。
それがなぜ有名になったかというと、能楽や謡曲の題材としても取り上げられ、古くから多くの文人が訪れて歌枕の地として知られるようになったからです。
遊行とは僧侶がぶらぶら歩くこと、または転じて布教のための行脚を示す言葉ですが、ここでは藤沢にある遊行寺の歴代の住職が巡教で必ず参詣に訪れたことに由来するそうです。
ここはまわりは360°田んぼに囲まれていて、傍らを清流の流れる心安らぐスポットです。風がそよぐと涼しい。
そして柳の傍らには、西行や彼に憧れていた松尾芭蕉や与謝蕪村の句碑があります。
「道のべに清水流るる柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ」 西行
きっと今も昔も景色は変わっていないのだろうと思う。
芦野3,000石の領主は江戸蕉門の一人だった芦野民部資俊(俳号は桃酔)で、是非ともこの柳を芭蕉に見せたいと常々語っていたと伝えられます。そして芭蕉は「おくのほそ道」行客の途中でここに立ち寄る。
「田一枚植えて立ち去る柳かな」 芭蕉
ここで芭蕉は西行と同じく「しばし立ち止まって」景色を眺め、様々な思いを深めていった。その間に目の前の田んぼの田植えは終わり、農民たちは帰途に就く。
和歌と俳句の違いはあるけれど、時代を超えて西行と同じ位置で同じ景色を見ている感じがします。
どこにでもありそうなこの田園風景は、松尾芭蕉が訪れて「おくのほそ道」に記したことで、ますます有名になっていった。
「柳散清水涸石処々(やなぎちりしみずかれいしところどころ)」 蕪村
漢詩のような句で写実的、自分には蕪村が一歩引いて見ている感じがする。
この游行柳から先は鏡山温泉(上の宮)神社の参道になっています。
境内には推定樹齢420年、幹回り610cm、樹高35mの大イチョウがあって、圧倒的な存在感があります。
大イチョウの間に地元の人から「上の宮」と呼ばれている小さな神社があります。その由緒や沿革は不明なれど社の歴史は古代にさかのぼるものと考えられているそうです。
ここも空気がちょっと違う感じです。
神社から戻ってくると蕪村の句碑の上にトンボが「止まっていた」
実は自分は先ほど「蕪村にもしばし立ち止まってほしかった」とちょっとだけ思った。ここで彼がどのような時間を過ごしたのかは分かりませんが、調べたら蕪村は晩秋の荒れ果てた風景を見て、宋の詩人
蘇東坡の詩の
一節が思い浮かんで漢詩調の句を詠んだのだとか。
蕪村は時代を越えて、和歌、俳句、漢詩で連歌のようなものを完結したかったのかもしれない、でも挙句とするには無理がある。まだまだ時の流れは続いている。
やっぱり彼は同じステージにいない。少なくともこの柳の下では、文人は長い時の流れの中でわずかな時間立ち止まって、景色を描写するのみ。
近代文学に詳しくはないけれど、自分にはこのトンボが3つ目の句を補っているような気がしました。
13:50
今回もギャラリーバーンに行ったのだけど、何故か今日はお休みでした。そこでBUZZに行ってみた。この100%イチゴのムースがなんと400円、何か今日は食べ物に恵まれています。
17:00
今日の夕食は久しぶりの殻々工房です。いっぱい動いたので喉が渇いています。最初のギネスは10秒ももたなかった。く
美味しいお野菜がたくさん。
ビールやハイボール中心にオーダーしたので、エダマメやソーセージの注文。いかん、これでは普通の飲み屋さんと変わらない。
最後は落ち着いてスパーシーチキンのグリルとブラックブッシュで閉めました。
08.05 SUN 天気:晴れ
4:40
那須高原は避暑地のリゾートととして知られているわけですが、中心とも言える道の駅周辺の標高は600mほどで、下界より気温は5℃ぐらい低い感じです。でも下界が38℃にも及ぶ日は那須高原も30℃を越えるわけで、
日中出歩くのはやはり暑いです。
那須での暑さの程度を言うなら、ちょうど温暖化が騒がれる前の日本の夏ぐらいの暑さというか、エアコンなしでも扇風機やうちわがあれば過ごせるぐらいの暑さです。
ちなみに那須御用邸では、今年初めてエアコンが設置されたという話でした。
やっぱり出歩くなら朝ですね。早朝は20℃を下回ることもあって肌寒い、上着が欲しくなるほど。
朝4時をまわって少しずつ明るくなりはじめ、お散歩に絶好の時間帯となる。気温が低いので、あちこちにまだ春咲きの花がたくさん残っています。
夜が明けてくる。
気温が明け方急激に下がるので、大気中の水蒸気が凝縮して、あたりは毎日のように朝もやに包まれる。
ちなみに今ちょうど道の駅あたりを歩いているのですが、1週間ぐらい前に周辺でクマが出て、民家の庭先を歩き回ったらしいです。おそらくは川筋に沿って、もっと標高の高いところから、たまたま下りてきたんだろうと
思います。
でもこれだけ人の多くいる場所に出てくるっていうことは、クマが人を恐れなくなってきている証なのかもしれません。
生態系の頂点は「ヒト」だという常識が少しずつ変わり始めているような気がします。
なかなかファンタジックな夜明けの景色です。
少しずつ上空から光が降りてくるこの時間帯が大好きです。
台風の接近もあって、この朝は雲も多めです。
今年は何か台風の当たり年なのかな。平年で言うと本州に接近する台風は9月から10月に最も多かった。でも台風情報を聞く回数はすでに8月から多い気がします。
以前なら日本に近づくにつれて台風の勢力は徐々に衰えるものだったけど、太平洋岸の海水温が高くなっていて、上陸直前まで台風は発達を続ける。しかも間違いなく暑い日は続いて、本当に秋らしくなるのは
11月に入ってからだという。
その分、今年はもっともっと大きな台風の被害が出るのではと、ちょっと心配してます。
大気中の水蒸気が凝縮して葉の上に降り、それが成長して水滴になります。
その水滴に朝日が当たって、いちめんが輝き始める。このほんのわずかな時間帯も自分は好きです。
お庭にも朝日が降りてきた。
頑張って昨日草刈りした成果がこれです。
7:30
地図を見ていたら、旧奥州街道なんだけど、まだ自分が通ったことのない区間があることに気付いた。
いろいろ史跡があるみたいなので、神奈川に戻る途中で立ち寄ってみることにしました。
鎌足城跡・・・? マップにはあるけど何も分からない。
左は奥州街道と那須湯道の追分を示す道標、ほかに青面金剛像や永代常夜燈等がある。その奥には愛宕神社もありますが、説明なしで何も分からない。
今回の探検はちょっと外れでした。
8:30
最後に道の駅で買い物してから帰ろうということになり矢板に向かいます。
途中たくさんの石仏の並ぶ場所に出た。その数は100近くあるのではないでしょうか、なかなかすごい。
境内の中心にあるのが上大貫地蔵堂です。厨子を納める地蔵堂は古くから地元の念仏信仰の場として利用されてきたという。
堂内にある朱塗りの厨子には、六道地蔵菩薩が安置され、周りに十王像がおかれている。堂内に1734年と1808の奉納札があることから、建立されてから最低でも300年近い歴史があるらしいです。
この周辺も箒川の水害の多い地域であったはずなので、何らかの関連があるのかもしれないと思いました。
2024.07
camera: Panasonic DMC-TZ60 / graphic tool: SILKYPIX Developer Studio Pro.7
+ GIMP 2.8 + Ichikawa Daisy Collage 10
彼岸花
2024.09.23 MON 天気:くもり
13:20
まだまだ暑いとはいえ、朝晩は少しだけ涼しくなって、秋の花が咲き始めました。
今回はそんな秋の花めぐりをしてきました。
まずやってきたのは大田原市の妙徳寺です。大江常正が802年に開基したと伝わる古刹です。本尊は五髻文殊菩薩像で秘仏とされていたのですが、弘法大師生誕1250年と
本堂の改修工事完成記念を祝し、昨年の10月に初めて開扉されたそうです。(室町時代に地元仏師の手により制作されたもの)
とても立派な構えのお寺なのですが、2回全焼しており、今も仮本堂のままであるという。
こちらは境内にある観音堂、今はこぢんまりとしていますが明治34年に焼けてしまう前まではウグイス張りの回廊つきの立派なものだったそうです。
堂内に祀られている十一面観音は、那須与一が亡母の供養のために鎌倉長谷観音を模して手彫りしたものと伝えられます。
こちらのお寺は那須家代々の菩提寺であり、与一自身の位牌も伝わっていると聞きます。
この時期こちらのお寺を訪ねたのは理由がある。きれいにお手入れされた庭に真っ赤な彼岸花が咲き始めていました。
この日はほとんど陽ざしのない日でしたが、このしっとりとした感じもまた良い。
まだ咲きは2分程度なのだけど、逆に苔の鮮やかな緑が背景になって彼岸花が映える。
実にアーティスティックです。
那須与一というと、やはり屋島の戦いが有名でしょう。
源氏軍の船団のなかに掲げられた扇、それを見た源氏軍の総大将義経は、自軍の中から扇を射ることができる武士を探したという。
最初選ばれたのは畠山重忠ですがこれを辞退、代りに那須為隆を推薦しますが、彼もまた怪我を理由に辞退した。そして弟である那須与一を推薦したという。
あまりの大役に与一は尻込みしますが、主君の命を断ることはできず、ついに的を射る役目を受けることにしたという。決して自信満々であったわけではない。
この源平の戦いのなかには、実力だけでは決まらない運やタイミング、巡り合わせのようなものがたくさんあって、戦の運命を決めたような気がします。
実のところ那須与一には他に9人の兄がいて、そのすべてが平氏方に属していました。勲功をあげた彼は兄為隆とともに下野の国に凱旋しますが、他の9人の兄たちは信濃の国
などに逃亡しました。その後に兄為隆も罪を犯したため、最終的には那須与一が十一男ながら那須氏の二代目の当主になったという。
その後、彼は逃亡していた兄達を赦免し、領土を分け与えて下野国における那須氏発展の基礎を築いたと言われています。
14:15
次に行ったのはいつものギャラリーバーンです。
鳥野目街道沿いにあるレンタルギャラリーなんだけど、企画展のない時にはオーナーの清野さんの作品が並ぶ。今回もまた清野さんの「オートマタ展」が開催されていました。
オートマタというのは12世紀から19世紀にかけてヨーロッパ等で作られた機械人形ないしは自動人形のことです。日本流にいうならからくり人形というところかな。
上の恐竜の場合にはクランクを回すと、恐竜がバナナを求めて口をパクパクさせる。
作品は道の駅などでも販売されていて結構な数が売れているんだそうです。特にこの恐竜シリーズは人気があって、週末には10個ぐらいすぐに売れちゃうみたいです。
左は波を乗り越えて前に進む船、右は本を読む女の子。 このあたりは新しいシリーズのようで、初めて見ました。
どれも動きがユーモラスで可愛い。
作品はほぼすべて購入可で5000円ぐらいから、ちょっとお金に余裕があれば、試しに買ってみようかなというお値段です。
こちらも人気のペーパークラフトの家、崩れかけた感じが絶妙です。
こちらは自分が大好きな立体的なコラージュ作品です。
その構想から仕上げまで、いろいろと参考になるところが多いです。
鉛筆画です、手の表現が繊細で素晴らしい。
ちなみにこちらのギャラリーには、那須在住のアーティストが多く集まるようなところで、コーヒーをいただきながら、いろいろと情報交換をするような場所です。
さて那須というのは観光地や避暑地として知名度は高いのだけど、少しずつ変化してきています。
一つのきっかけは「新型コロナ」で、観光業はもちろん大打撃、力のないところは廃業してしまい、代わって新しいお店や施設がいくつもできた。最近では
グランピング関連がものすごく増えてきた。
あとは高齢化と空家の増加かな、この傾向は他の地方よりはまだまだ穏やかだけど、少しずつ人口は減っている。
他の観光地同様、ここ那須もバブルの頃に別荘地の開発がすすんだ。その頃には那須に別荘を持ったり、移住してくる人も多かったのですが、今その購入者の多くは
高齢になって、足が遠のいたり、元の場所に戻ったりしているという。
探せば500坪のデザイナーズ物件が1000万円とか、普通の100坪の別荘が中古の軽自動車並みのお値段で買えたりするのが現状です。だから我家もここに家を持つ
ことができたんだけどね。
ギャラリーバーンでの話題の一つなんだけど、豪邸を処分して、そこにある美術品を一括で処分してもらえないかという話が最近また2件あったそうです。
清野さん曰く「よほど有名でない限り、油絵は売れない。」というのが現状で、最終的には処分されることになるでしょうとのこと。
そして温暖化、那須高原でも35℃に達する日があって、避暑地として最適な地ではなくなりつつあるような気がします。それでも朝晩は涼しくて、昼間は扇風機があれば
過ごせるので、一昔前の平地と同じ感じかな。
冬も変わった。清野さんの話では、以前は1mぐらい積もることもあって、雪かきが大変だったそうですが、近年はほとんど積もることがなくなった。
そして自分も自動車の装備はスタッドレス+チェーンからチェーンのみ、そして昨年は布製の簡易チェーンだけという状況に。たまにしか来ないのでこれで充分です。
そして夏場の雨の降り方も極端で、特に那須周辺は雷付きの豪雨になることが多い。そして1時間後には嘘のように晴れることもある。
都心で1日のほとんどを冷暖房完備の部屋にいるとあまり気付かないかもしれないけど、恐ろしい勢いで気候変動は進んでいるような気がします。
このあとはいったん自宅に戻って草刈りをします。
もう夏のピークは過ぎているので、汗だくになることもない。適度な運動は夕食を美味しくします。
17:30
夕食はいつものバー&ギャラリー 殻々工房へ、アートを鑑賞しながら美味しいお酒とお料理がいただける場所です。
しかもとってもリーズナブル。
この日はギネス(600円)から始まって、野菜スティック(350円)、モッツアレラの味噌漬け(450円)をオーダー。
ENGINEというイタリアのジンの優しい口当たりが良い。
メインはソーセージ盛り合わせ(750円)、これに合わせるのはシュリヒテシュタインへーガー(700円)というジンです。このジンが冷凍庫からトロトロの状態で出てくる、たまんない。(左)
締めは鳥の炭火焼き(500円)とブラックブッシュ(800円)というスコッチ、月に一度の贅沢です。(右)
こういうお店が家から徒歩10分のところにあるのって、とっても嬉しい。
2024.09.24 TUE 天気:晴れ
5:50
今日は最初から天気も良さそうなので、景色の良いところを巡って神奈川に戻ろうと思います。
那須高原から南東に向かう。延々と続く田園風景が実はお気に入りです。
向かうのは福島との県境に近いところです。
こちらは彼岸花の里として有名な蓑沢地区です。
三蔵川に沿って続く起伏のある水田地帯の一角に、いちめんの彼岸花が咲くところがあって、地元では彼岸花公園として有名です。
でも今年は酷暑の影響でまだまだ2分咲きの状態でした。
もしかしたら彼岸花とは言うけれど、秋分の日あたりが満開ではなく、咲き始めの時期ということになるのではないかと思う。
ところどころに馬頭観音や石仏などもあって、長い歴史のある地区だということが分かります。
ここから4kmほど北に向かうとそこは福島との県境、そしてその先には白河の関がある。つまり関東では最も北のはずれにある集落です。
田畑を潤す清流が流れていてとてもきれい。
実はこの日、まだ人が訪れることのない6時ごろにやってきた。しんとして風もなく、少しだけ神聖なところにやってきた感じがしました。
こういう場所は絶対に残しておかないといけない、そう思いました。
7:30
季節は彼岸花の咲くころではあるけれど、温暖化の影響でまだまだ暑い。
だから立ち寄るのは涼しいところ。
早朝に訪れたのは大田原市は黒羽地区の雲厳寺です。八溝山地の渓谷内にあって、公共交通機関を利用すると那須塩原駅からバスを乗り継いで1時間ほどかかる。
こちらはJR東日本のCMで紹介されたこともあるお寺で、CMでは吉永小百合さんがこの赤い橋を渡る場面が印象的でした。
おそらくは、このあたりではいちばん有名なスポットだろうと思いますが、この日曜日の朝、ここにいたのは我々のほかは一組だけでした。
橋の下を流れるのは武茂川です。澄みわたった清流で、彼岸花が木漏れ日に輝く景色が印象的でした。
まわりは深い森におおわれている。
その枝が川の対岸にも届きそうな巨樹の迫力がすごい。
雲巌寺は平安時代の後期に初叟元和尚よって換算されたという古寺です。
その後は幾度となく盛衰を繰り返したと伝えられますが、現在は禅宗の四大道場の一つに数えられ、特に山門からは仏殿、そして方丈と続く並びが見事で一見の価値が
あると思う。
非常に荘厳な雰囲気。こちらのお寺には何度か足を運んでいるのだけど、常に凛として隙が無い、何もかもが研ぎ澄まされている感じです。
なお、お坊さんが修行するためのお寺なので、観光客向けのサービスはありません。ただ御朱印は本堂にすでに用意されているものがあるので、それをいただいてゆく
仕組みになっています。(300円、色紙1000円)
1689年4月、松尾芭蕉は「おくの細道」の行脚の際にこの地を訪れている。それは参禅の師である仏頂和尚がかつて山居修行をした跡地を訪ねるためだったという。
そしてその庵は山奥にあって今にも倒れてしまいそうだったらしい。
「木啄も 庵はやぶらず 夏木立」( きつつきも いほりはやぶらず なつこだち )
これからこちらを訪れるなら、秋の紅葉の時期が良いと思う。
そしてまだ紅葉の残るうちに初雪が降ると、それは見事だというけれど、まだ自分は見たことがありません。
8:15
雲厳寺を出て車で5分ほど、県境を越えて茨城県の茶の里公園あたりにやってきました。こちらは常陸大子の左貫という地区で、一般的にhくぁ奥久慈と
呼ばれるところです。
奥久慈というと袋田の滝が有名だけど、更にその奥には、こういった昔ながらの風景が続く、とてもきれいな場所があります。
田んぼの道に延々と彼岸花が続きます。
もしかしたら時間の流れが止まってしまったのかもしれない、そう錯覚するような素敵なところでした。
9:00
こちらは開校が明治6年という国旧初原小学校で、その歴史から国登録有形文化財になっています。ただすでに平成7年には閉校になってしまっていて、グランドには
雑草がたくさん生えているような状況です。
こういうときには校舎の有効利用や転用なども検討されると思うけど、やはりこれだけ交通の便が悪いところだとそれも難しいのだと思う。
窓から校舎内をのぞきます。幸い校舎内はきれいに保たれている。
ずっと以前にはアート系のイベントの会場になっていたことを思い出した。
お人形を置いた場所の窓ガラスはぴかぴかでした。
きっと再利用の機会を待っているってことなんだろうね、ちょっとだけ安心しました。いずれ夢のあるプランが計画されて、楽しい場所として再利用されることを祈ります。
もう少し常陸大宮の市街地に近づくと、こちらもすでに廃校になってしまった旧上岡小学校があります。こちらは週末と祝日は校舎見学が可能です。(この日は平日なので×)
こちらも100年以上の歴史があって、現存する校舎では茨城県内で最も古いそうです。
10:15
こちらは常陸大宮の美和という地区にある諏訪神社です。806年に創建されたという、おそらくはこの周辺でも最も古い神社です。境内にはは本殿の他にも、歴史の重みを感じる
古い祠がいくつもある。
ただそれらは少しずつ傷みがすすんでいるようで、いつまでこの景色を見ることができるのか、少し不安になりました。
こちらの諏訪神社は旧美和村の村社だったところで、その中心地は近くの高部という地区にあります。
高部は宿場町だったところで、今でも歴史ある街並みや明治時代の洋風建築、そして廃業してしまった酒蔵などの歴史的な建造物があります。
ただやはり人口減少による寂れた感じがあることは否めない。
多かれ少なかれ、地方ではよく見かける風景ではありますが。
次は芳香を栃木方面に変えてすすみます。
行き先は茂木城山公園です。茂木城は宇都宮氏の臣下だった茂木氏の居城だったところで、現在は「城山公園」として整備されており、土塁や空堀、堀切などの遺構を
確認できます。
12:05
麓の駐車場からシャトルバスで本丸近くまで上ってきた。普段は自家用車でもOKなのですが、彼岸花の咲く「彼岸花ウィーク」期間は進入禁止となる。
(保全協力金300円、シャトルバス200円)
ちなみにここ茂木では「彼岸花ウイーク」開催を、急きょ予定より1週間遅らせたということです。もちろん理由は酷暑による開花の遅れだそうです。
彼岸花なんだから秋分に合わせて咲いてほしいところだけど、そうもいかない。
春先のロウバイと秋の彼岸花は何度か来ているけれどとてもきれいです。
城山の中腹から本丸を見上げたところです。
係の人が言うにはこれで3分咲きだそうで、ピークの頃になると城山が真っ赤に染まるほど。
でも酷暑の影響の少ない林のなかはけっこうたくさん咲いてました。
聖徳太子を祀った祠のあるあたりが、この日は見頃になっていました。
彼岸花も秋分の日であく、そのうち体育の日に合わせて咲くような花になったりして。
冗談が冗談でなくなりつつある温暖化の状況です。
2024.09
camera: Panasonic DMC-TZ60 / graphic tool: SILKYPIX Developer Studio Pro.7
+ GIMP 2.8 + Ichikawa Daisy Collage 10
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