西尾


三河の小京都



2024.11.22
 三河湾の佐久島から帰る途中、西尾に寄ることにしました。国宝の建造物があったり、その昔は城下町として栄え、今も三河の小京都と呼ばれるようなところです。あとは
抹茶の産地としても有名みたいですね。



2024.11.22 FRI 天気:晴れ
9:40
 昨年の終わりに佐久島に行ったときのことをレポートしましたが、実は話はそれで終わりでなく、帰り道に西尾の市街地にも立ち寄りました。
 西尾市というのは三河湾に面する歴史ある街で、抹茶の産地として、また「三河の小京都」として知られるところです。また佐久島に渡る一色港もこの街にあります。



 やってきたのは市内吉良町にある金蓮寺です。金蓮寺は三河国守護の安達盛長が、源頼朝の命により1186年建立したと伝わる三河七御堂の一つで、現存する唯一の
建物です。
 ちなみに吉良町というのは忠臣蔵で有名な吉良上野介の所領だったところで、地元では堤防建設などを行い、自ら馬に乗って領内を見回ったりなど信頼される名君だった
と伝わっています。



 お地蔵様がずらりと並ぶ、なかなかに壮観です。



 さてここにやってきた目的はこちらの阿弥陀堂を見学するためです。
 一時は瓦葺でしたが、1954年の解体修理で創建当時の桧皮葺に復元され、翌年、国宝に指定された。現在、愛知県に存在する国宝は3つありますが、あとは犬山城天守と
織田有楽斎の建てた茶室「如庵」だそうです。
 派手な装飾などないし、凝った木彫などもないけれど、この優美な屋根の曲線に代表される、建造物そのものの美しさがある。
 この時は他に見学者もおらず、お寺の駐車場に車を停めて3分、実にあっけなく国宝を見ることができてしまいました。



 更に国宝なんだけど200円支払うと内部を拝観することもできます。(事前に連絡するとガイドもお願いできる)
 こちらはご本尊の阿弥陀如来像です。阿弥陀如来三尊像は本当に手の届きそうなところに近寄ってみることができる、本当に良いのかなって感じだね。

 ちなみにこちらは県の重文なのですが、そもそもの出自が良く分かっていないのだそうです。歴史的に見れば国宝の阿弥陀堂と同等の時期にかなり名のある人が制作したに
違いないのですが、残念ながらそれを示す文書等が存在しない。だから国からの指定は受けていないのだそうです。
 でも見るからにすごい出来です。

 

 大切なものは宝物殿などに収めたり、ご開帳以外のときには奥に仕舞い込んでしまうというのが、むしろ一般的だと思うけど、こうやって国宝のなかに入れてしまったり、
近寄って見ることができるというのは、とってもありがたいことだと思います。 「本当は仕舞い込んだ方が傷みがすすまなくて良い」とガイドさんは言っておられました。
 大切に保存することよりも、皆さんにもらうことを優先しているこちらのお寺の姿勢には頭が下がります。





<佐久島の話>



 西尾を訪ねる前に行ったのは、三河湾に浮かぶ人口180人の佐久島。その佐久島の西港近くに Nishigawa という一軒の喫茶店がありました。こちらのお店もまた周囲の
景色に馴染む黒壁の古民家だった。

 入ってすぐに、えっと思ったのは、そのオーナーが流暢な日本語を喋るイギリス人男性だったこと。
 そしてそのお店そのものも手作り感にあふれていて、民家の改修や内装は「おじいちゃんと一緒につくった。」のだそうです。しかも店内を飾っているのはオーナー手作りの
茶道具で、その奥には茶室まであるという完璧さです。



 オーダーしたのは特注したイギリスの紅茶と西尾産の抹茶、そして和菓子のセットです。
 こちらのオーナーはカフェを営業しながら、茶道具職人としても活躍しているんだそうです。紅茶も抹茶も、そして和菓子や茶器に至るまですべてが完璧でした。
 そんなこともあって、西尾の茶畑を訪ねてみることにしました。







10:40
 市街地から僅か1kmほどのところで、急にお茶畑がひろがり始めた。
 お茶畑というと静岡や鹿児島が有名で、延々とお茶畑が続く感じなのだけど、ここは本当にごく限られた面積で「抹茶」に特化されたお茶畑のみです。
 お茶のうまみや苦みをコントロールするための黒いネットがかけられるようになっていて、丁寧につくられているって感じです。

 ここは上町と呼ばれる一帯で、お世辞にも道路状況は良いとは言えない。昔ながらの狭い道が続き、ようやく見つけた駐車場は稲荷山茶園公園というところ。でもここからの
景色が思いのほか良かった。

 

 公園の駐車場から歩いて上町の中心街に向かいます。
 こちらは途中で立ち寄った金石神社です。社伝によれば1159年創建の古社で、ご神体はたたくと金玉の音がするという奇石だそうです。村社ながら独特の建て方で
印象深いです。



 中心街の風情ある街並み、こちらも「小京都」の雰囲気を醸し出している。



 歴史を感じるお地蔵様。
 少しずつ区画整理もすすんでいるようだけど、こういう風景は残しておいてほしいな。



 通りにはいくつかの茶店がありますが、自分たちはいろいろ調べてみて、そのうちの一つ「カネヤス茶店」を訪れてみました。評判通りの美味しいお茶でした。
 こちらのお店は表に掲げられている「やっとるよ」の看板が目印です。



 通りには「抹茶ミュージアム」や大きな製茶工場と有名な抹茶カフェがあって、直接そこに車で乗りつけるというのもアリだと思いますが、旅行気分を楽しみたいのなら、
稲荷山公園から歩くのをおすすめします。







11:15
 西尾は三河湾に面する歴史ある街で、古くから城下町として発展してきたところです。



 江戸時代、西尾藩六万石の中心であった西尾城は、鎌倉時代初期に三河を所領とした足利義氏が築城したのがその始まりとされ、現在では本丸丑寅櫓や二の丸の
表門である鍮石門などが復元されて、当時の面影を現在に伝えています。(入場無料)



 一帯が平野なので、けっこう眺望が良いです。

 

 敷地内にはいくつかの古くて趣のある神社のほかに、抹茶とお菓子のいただける旧近衛邸などの歴史遺産も残されています



 こちらは入館無料の資料館にあった西尾の街並みです。特にお城の北側は基本的な区画は今も変わっていないという。

 

  お城の敷地として現在も保存されているのは本丸と二の丸ぐらいで、そのほかは学校やグランドになってしまっています。
 ただそのなかでは尚古荘には行っておきたい。昭和初期に米穀商・岩崎明三郎によってつくられた京風庭園で、西尾城東の丸の遺構をそのまま生かしている。
 高台から見ると、待合いや東屋が配置された、広大な枯山水の庭園であることが分かります。







 

 西尾の市街地の北部には、聖運寺や縁心寺をはじめとするたくさんの寺社があつまる地域があります。
 写真が趣味という人なら、もしかしたらお城以上に楽しいところかもしれません。



 このあたりは資料館にあったジオラマそのままに、今も昔の街並みや通りが残っています。西尾は「三河の小京都」として知られるところだそうですが、そのイメージはこういった
景色に由来するものだと思う。



 本当に時代劇の撮影がそのままできてしまいそうです。
 実にフォトジェニックで、雨が降ってしっとりとした景色になったら、もっともっと素敵な感じになりそうですね。









13:00
 さて最後に一ヶ所だけ立ち寄りたいところが残っている。たまたま見つけた「今川氏発祥の地」です。
 今川氏というと、一大勢力を誇った戦国大名で桶狭間の戦いで織田信長の奇襲を受けて、敗北したことで有名になっています。ここは今川氏の始祖である今川国氏の
墓所であるらしい。
 西尾中学校の細い外周道路脇にこの「今川家発祥の地」はありました。分かりにくい、見つけるのに15分ぐらいかかりました。

 解説によれば、
1221年に後鳥羽上皇が起こした承久の乱の後、足利義氏が三河の守護に任ぜられ、その子 長氏は跡を継いで吉良を名のる。長氏の次男 国氏は所領の
一部を譲り受けて今川を名のった。
とある。みんな遠いようで近い関係ですね。



「今川が三河の出だったとは。」
 一方でこの三河の地は徳川の本拠地だったところです。ここで今川氏は誕生し、後々将軍となる徳川家康は今川の本拠地である駿府(静岡)で育った。
 今川家は戦国武将としては滅んだものの、義元の子 今川氏真は家康の元に身を寄せて生き延びた。晩年は高家に任ぜられ、駿府に隠居した家康の良き相談相手となって、
余生を送ったというのはあまり知られていないことかもしれません。



2025.02
camera:Panasonic DMC-GM1 + 12mm-32mm / graphic tool: SILKYPIX Developer Studio pro 7 + GIMP 2.8 + Ichikawa Daisy Collage 10



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