桜川
鬼怒川、真壁と雨宮観音
2026.03.01
今回は茨城県の下館を経由して桜川を訪ねます。鬼怒川の土手の菜の花、そして真壁城址とその旧城下町、それから雨宮観音など、見所たくさんでした。
20年ぶりで訪れたのだけど、ずいぶんと印象が変わりました。
5:35
夜明けとともに出発、なかなかに印象的な日の出でした。
7:25
真壁に向かって下妻を移動していたら、こんな景色がひろがっていました。
ここは鬼怒川の土手で、菜の花は川に沿ってずっと続いていて終わりが見えない。
しばらくそれを眺めながらドライブをしていたのだけど、桜の咲いているところがあったので、そこで休憩しました。
桜の下には碑文があって、詩が詠まれていました。
花なる人の恋しとて
月に泣いたは夢なるもの
やぶれ太鼓はたたけど鳴らぬ
落る涙を知るや君
この詩は「やれだいこ」といい、作者は横瀬夜雨(よこせやう)、明治時代に活躍した茨城県の詩人です。自分は文学は全く苦手なので、作者については全く知らなかったです。
彼は幼い頃に、体が湾曲して歩けなくなるという佝僂病(くるびょう)に侵され、2年遅れで小学校に入学しました。勉強は常に1番でしたが、耐えられないようなことが続いて学校に
行くのをやめ、進学も諦めました。
そして初恋の人の婚約を知らされ、悲痛な気持ちで詠んだのがこの詩だそうです。「やぶれ太鼓」とは自らのことを言っています。
彼にとっては詩を作ることが、唯一の救いになっていたに違いない。
17歳の時、文芸誌に「神も仏も」を投稿したのをきっかけに、「夕月」「花守」「夜雨集」などの誌集を発表し、高い評価を受けるようになります。
名前が知られるようになると、ときおり文学少女が訪ねてくるようなこともあったようですが、暗い部屋の片隅にうずくまる彼の姿を見て、声をかけられずに帰ってしまうようなことも
あったとか。
若い頃、孤独だった彼は、ちょうどこのあたりで筑波山を眺めて過ごすのが日課であったらしいです。
つらい青年期ではありましたが、その後は結婚して三女に恵まれる。かたわらで私塾を開いて勉強を教えたり、詩人や歌人の育成に努め、最後は56歳で惜しまれつつ
この世を去りました。
8:15
圏央道からだと常総ICから筑波山を目指して走る感じです。のどかな田園風景の向こうに、春霞の筑波山がうっすらと見える。
真壁を訪れるのは今回で2回目です。もう20年ぐらい前だと思いますが、有名な真壁町のひな祭りを見に来たことがあります。そのときには真壁城址なんて話題にも
なっていなかったような気がします。
こちらが真壁城址です。約400年間この地を統治した真壁氏の拠点で、現在も発掘調査が進行中、そして発掘成果をもとにして虎口や土塁などの復元がすすんでいる
ところです。
ただ本丸跡地には現在体育館がつくられていて、さすがにその下までは発掘できないらしい。
それでもかなり広大な城跡が残っている。
復元された土塁や堀、これだけリアルに復元されていることって、めったにないと思う。もちろん国の指定史跡です。
平安時代末の1172年、平長幹が真壁の郡司としてこの地にやってきて、一族は真壁氏を名乗ることになります。以降、真壁氏が秋田角館へ移封となる1602年までこの地を
治め、真壁城はその居城でした。
城郭の東の端には鹿島神社がある。鹿島神社は古来より武術の神として知られ、真壁氏も厚く尊崇していたという。
その昔にはここにかなり高い物見櫓があって、周囲を監視していた。
11代の真壁秀幹は上杉禅秀の乱および続く小栗氏の乱に関係したことで、鎌倉公方 足利持氏から所領没収の処分を受ける。その後、 13代真壁朝幹の尽力により、没落した
真壁城は再興され、朝幹は中興の祖と呼ばれることになる。
こちらにある図は「真壁伝承館」にあったもの、真壁城の最終形で。今現在この姿が復元されようとしています。
当初の真壁城は筑波山系から西へ伸びる尾根上の微高地を利用して造られた平城で、堀や土塁などは整備されていなかった。
このような形になったのは17代真壁氏幹の時代のこと、氏幹は武勇に秀でていて、佐竹家中においては鬼真壁の異名をとるほどの活躍を見せていたという。
彼は佐竹、北条、上杉の間を巧妙な戦略で乗り切り、戦国時代を生き延びた。
そして19代真壁房幹の時代、主君である佐竹義宣が関ヶ原の戦いで西軍についたことで出羽国に転封となると、真壁氏はこれに随行した。
国の指定史跡になっている面積は何と12.5haもある。そのなかに本丸を中心として四重の堀と土塁などが良好な状態で残されているだなんて、自分には奇跡のように
思えました。
何年かかるか分かりませんが、ここが歴史公園として整備されたら、また来てみたいと思いました。
8:50
国の指定史跡「真壁城址」は思った以上にその規模と構えがすごかったのだけど、真壁の街そのものはどうなっているのか訪ねてみました。
ここは「つくば霞ヶ浦りんりんロード」というサイクリングロードの休憩所です。
その昔、常磐線の土浦駅と水戸線の岩瀬駅間の40kmを結ぶ筑波鉄道筑波線という路線があったのですが、1987年に廃線となり、今ではサイクリングロードとして整備されて
いるというわけです。
そしてここは元、真壁駅のあった場所です。
町並みのほぼ真ん中には江戸時代の陣屋が置かれていた場所があって、「真壁伝承館」が今はその場所に置かれています。
ここはこの地区の公民館兼図書館であるとともに、この真壁城やこの地区の歴史解説があり、観光関連の資料もあります。駐車場も併設されているので、真壁観光の
起点としてもおすすめできます。
真壁には20年ぐらい前に「ひな祭り」を見に来た記憶はあるのですが、それほど賑わいでいた印象はありません。お祭り以外の時はきっと少し寂しい感じなんだろうなって、
正直思いました。
でも今回は「ひな祭り」のシーズンでもないのに人通りが多い。
ここは真壁町のほぼ中心にある「潮田家」、かつては呉服太物商を営んでいたという。明治の建築の見世蔵、袖蔵、離れが登録有形文化財に指定されているそうです。
その右側に見える通りが「御陣屋前通り」、この日は通行が制限されてたくさんの出店で賑わっていました。この日は天気も良くて歩くのにも苦労するほどでした。
何か昔のイメージと全然違うぞ。
こちらは「星野家住宅」、のれんが掛かっているので何かのお店かと思ったのですが、ごく普通の民家です。
もともとはモロカワヤという、江戸時代から続く乾物屋だったようです。もちろんこちらの建物も登録有形文化財です。
歩き始めたら「登録有形文化財」のパネルがあちこちにあって、「もしかしたら登録有形文化財の密度は日本一高いのでは」と思うぐらいでした。
こちらは「伊勢屋」、テレビや雑誌での取材も多い築百年以上の歴史を持つ老舗旅館です。
この一帯は2010年に、国の「伝統的建造物群保存地区」に選定された場所だそうです。現在は129カ所が選定されているというから、割合としては各都道府県に2つか3つ
しかないことになる。観光PRという意味ではとても貴重なポイントです。
20年前に訪れたときには、筑波線が廃線になってしばらくした頃で、街に元気なイメージはなかった。もしかしたらこの伝統的建造物群保存地区への選定は起死回生の
出来事だったのかもしれないと思いました。
真壁氏によって平安時代の末期につくられた街ということで、鎌倉時代からの古い寺社がいくつかこの地域には残っています。
こちらはその一つの「朝日山大林院」で1253年の創建、シダレザクラがとてもきれいだというのですが、今回は時期を外してしまいました。
おすすめのお土産の一つ目は「白川菓子店」、昭和のたたずまいのお店で、懐かしいお菓子がいっぱい。そしてお財布にも優しい。
こちらは公明の銘酒で知られる「村井醸造」、香りの高さと切れの良さが特徴。開業は延宝年間(1673~1680)と伝わる。明治時代の店舗、大正時代の石蔵、
そして昭和の煙突がそれぞれ国の重要文化財に指定されているという。
ちょっとおしゃれな下駄屋さん、観光客が喜びそうなお店もある。
真壁について言えば、前回の話にあったように真壁城址の本格的な発掘と城郭の復元も始まって、すべてがうまく回り始めたのかもしれないな。
10:25
続いて訪れたのは茨城県桜川市にある雨引山 楽法寺(通称 雨引観音)です。急な山道を車で5分ほど登ったところにあります。
こちらの重厚かつ華麗な仁王門は、鎌倉時代に建立されたものを1628年に再建したものだそうです。この時期はソメイヨシノに彩どられていちだんと美しくなります。
雨引山楽法寺は中国から帰化した法輪独守居士が587年に開山したと伝えられる古刹です。
仏教を全国にひろめた聖武天皇と光明皇后が740年頃に安産を祈願し、霊験あらたかであったことから安産・子育ての霊場として厚い信仰を集めてきました。
その後は弘法大師によって真言宗の道場ともなりました。
境内には様々な歴史的建造物があり、桜と新緑に飾られていました。
また初夏にはあじさい、秋には紅葉が楽しめるという。
桜がとってもきれい桜がきれい、境内には普通にクジャクが歩いていたりして、ちょっとだけ天国に近いかも、と思いました。
上まで登ると関東平野が一望できる。
景色が良いということは聞いていましたが、ここまですごいとは思わなかった。まさに天空の観音様だね。
2026.05 camera:Panasonic DMC-TZ85 / graphic tool: SILKYPIX Developer Studio pro 7 + GIMP 2.8 + Ichikawa Daisy Collage 10
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