第五福竜丸展示館
2026.03.22
月に一度は千葉方面に行く用事があって、その帰りに夢の島に立ち寄りました。
一帯は公園として整備されていて、家族連れで遊びに来る人も多いです。

その一角に少し変わっていて目を引く施設があります。
その名は「第五福竜丸展示館」、1954年3月1日、第五福竜丸は太平洋のマーシャル諸島にあるビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験によって被害を受けました。

ご覧のような木造のマグロ漁船で、1947年に和歌山県で建造され、初めはカツオ漁船として活躍し、後にマグロ漁船に改造されて、静岡県焼津市から同海域に遠洋漁業に
出ていました。
そしてアメリカの水爆実験(ブラボー)により、同海域で操業中だった第五福竜丸の乗組員23名全員が「死の灰」を浴びました。被爆者全員が急性放射能症となり、帰国後に
入院生活を余儀なくされ、同年9月23日には無線長の久保山愛吉さんが亡くなりました。

ここまでのことはよく知られていることでしたが、被爆したのは実は第五福竜丸だけでなく、近隣で操業していた漁船にも及んでいる。更に多くの乗組員が被ばくした可能性が
ありますが、現時点でも健康被害など不明な点は多いという。
さらにはこの海域で水揚げされたマグロはすべて廃棄されるなどの経済的な被害も大きかった。しかし補償を受けたのは第五福竜丸だけだったので、時には乗組員に冷たい
視線が浴びせられることもあったという。

この船体の語る歴史的な重みや受ける迫力がすさまじい。
この事件の反響は大きく、広島長崎の原爆投下とともに、更なる全国的な原水爆禁止署名運動や核兵器廃絶運動へと発展する大きな契機となりました。

被爆後、放射能が減少するのを待って練習船となるが、1967年には廃船、船体はごみ処分場であった東京都の「夢の島」に放置されていました。
しかし「このまま第五福竜丸を放置しておいて良いのか」という声とともに市民による保存運動が起こり、1976年から現在の展示施設で公開されることになりました。

自分は思う、よくぞ残してくれたと。
原爆や水爆が抑止力なるとか、なかには「平和の使者」みたいに語る人もいるけど、けっしてそうじゃない。比類なき大量殺戮兵器そのものです。

東京都江東区にある「夢の島」は、 かつてはゴミの埋立地として知られていましたが、現在は緑豊かな「夢の島公園」として整備され、植物館やスポーツ施設が
集まる憩いのエリアとなっています。
第五福竜丸展示館のお隣には「夢の島熱帯植物館」があります。(大人250円)
清掃工場の余熱を利用した大温室で、約900種類の熱帯・亜熱帯植物が一年中生い茂る空間になっています。

水爆実験の行われた場所は、このような南洋の豊かな海と美しい森の世界でした。

アメリカが実験で使用した水爆にはブラボーという名がつけられていて、破壊力は広島に落とされた原爆の1000倍もありました。この爆発によって砕けた珊瑚の粉塵は、
激しい上昇気流によってキノコ雲となり、最後は放射能を帯びた「死の灰」となり周辺の海や島々に降り積もりました。

実験場とされたビキニ環礁などで、アメリカは13年間に実に67回も核実験を行っています。
当然のことですが、海や島、そしてそこに住む生き物にも大きな被害をもたらしました。人びとの間ではガンや甲状腺異常、死産や先天先天的な障がいを持つ子どもが
生まれるなどの影響も出ています。

そしてそれらの島々から、人々は強制的に退去させられていて、今もいくつかの環礁では故郷に戻ることができていないという。
しかもアメリカ政府は人々に与えた被害の一部しか認めておらず、十分な補償がなされていない。
展示されたパネルを読み込むと、これは決して忘れてはいけない事実だったんだと、あらためて気づかされました。

2010年、ユネスコによりビキニ環礁は世界遺産に登録されました。
その理由として「珊瑚礁の海に沈んだ船やブラボー水爆の巨大なクレーターなど、核実験の証拠を保持している。繰り返された核実験はビキニ環礁の地質、自然、
人々の健康に重大な影響を与えており、平和と地上の楽園とは矛盾したイメージをもち核時代の夜明けを象徴している」と発表しています。

たくさんの折り鶴が吊り下げられていました。
社会見学や修学旅行で訪れる学校も多いことと思う。辺野古の話もあったけど、こういう負の遺産をきちんと残すことは、平和な世の中を実現するためには大切な
ことだと思う。

核兵器の廃絶はなお遠い、でも声を上げ続けることに意味はある。 「第五福竜丸は生きている」
2026.06
camera: Panasonic DMC-GM1 12-32mm / graphic tool: SILKYPIX Developer Studio
Pro.7 + GIMP 3.0
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