J-DOLL Reforma
第五福竜丸
<東京都現代美術館>



<はしもとみお木彫展>




<藤枝市郷土博物館・文学館>



<島田 東海道線>




<平塚 遠藤原>








<第五福竜丸展示館>






J-DOLL Reforma (ジュンプランニング 26cm 詳細不明)
*) 途中で顔が変わっていたことにお気づきの方もいたかも知れません。
島田 東海道線の早朝散歩のところはオリジナルで、それ以降はリメイクした後の画像です。
<東京都現代美術館>

それは変化し続ける それはあらゆるものと関係を結ぶ それは永遠に続く (宮島達男)
右の作品は常設展部分の催芽に飾られている作品です。1728個のデジタルカウンターが異なるスピードで1から9までを数える。1998年にこの
作品が設置されたというから、もう37年も時を刻んでいる。
そしてふと思い出したのは2001年宇宙の旅というSF映画の名作のこと、HAL9000というコンピューターが、狭い宇宙船のなかで最後は人間を
支配しようと試みた。
近い将来は下手な国の政府よりも、よくできたAIの方が、正しく情報分析して、人間よりもまっとうな政策をとることができるようになるかもしれない。
そしてAIが感情を持つことになったとき、むしろ人間の方がAIに好かれようとする日が来るかもしれません。
<はしもとみお木彫展>

現在群馬県立館林美術館で開催されていた「はしもとみお木彫展 いきものたちとの旅」は一つの驚きでした。リアルな動物たちの表現がすごいだけでなく、
ストーリー性に溢れていました。
1957年、旧ソビエトが世界初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功した。それは宇宙開発においてアメリカを追い越したことを意味し、「スプートニク
ショック」というアメリカ社会への衝撃が走った。
当時アメリカと旧ソビエトはあらゆる分野で競争をしていた時代でした。特にそれは核開発や宇宙開発において熾烈でした。
次に旧ソビエトは有人衛星の打ち上げを目指す。但しそれは簡単なことではなく、危険も伴うため、次のスプートニク2号では試験的にメスの犬「ライカ」が
乗せられることになった。
結果ライカは地球軌道を周回した最初の動物で、世界で最初の宇宙飛行士としての称号を与えられることになる。しかしライカは地球に戻ることはなく、
スプートニク2号はライカの棺となった。このあたりの展示は涙でした。
<平塚 遠藤原>

遠藤原は標高100mに満たない丘陵地帯であるため、水田がなく、いちめんに野菜畑がひろがるようなところです。
ネギ、ピーマン、トウモロコシ、モロヘイヤ・・・、スーパーに並ぶ野菜のほとんどがここで育てられています。とても開放的な空間で、神奈川というより北海道や
信州にむしろ近いような感じの景色です。
<日本おもちゃ博覧会>
藤枝市郷土博物館・文学館で現在開催されていた「日本おもちゃ博覧会」の見所はいろいろあったのですが、明治時代以前の民俗玩具などより、自分にとっては
やっぱり昭和以降のおもちゃの方が楽しかった。


時代を反映するという意味では右側の写真がすごいかも、リカちゃん人形の「ジュリアナ東京」バージョンです。
ジュリアナ東京は1991年5月に開店し、こちらのお人形は3年後の1994年3月に3種類がデビューしたという。でもその頃はあっという間にディスコブームは
下火になり、8月にはジュリアナ東京も閉店する。
お立ち台、ワンレン、ボディコン、ジュリ扇・・・、何だったんだろうなあの騒ぎは?
嵐のように過ぎ去っていった一時代でした。


感想の一つとしては、「昭和レトロ」という言葉はあるけれど、もうすでに平成の初期の頃もレトロになりつつある感じです。
<第五福竜丸展示館>

通称「夢の島」の一角に少し変わっていて目を引く施設があります。その名は「第五福竜丸展示館」、1954年3月1日、第五福竜丸は太平洋のマーシャル諸島にある
ビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験によって被害を受けました。
ご覧のような木造のマグロ漁船で、1947年に和歌山県で建造され、初めはカツオ漁船として活躍し、後にマグロ漁船に改造されて、静岡県焼津市から同海域に
遠洋漁業に出ていました。

そしてアメリカの水爆実験(ブラボー)により、同海域で操業中だった第五福竜丸の乗組員23名全員が「死の灰」を浴びました。被爆者全員が急性放射能症となり、帰国後に
入院生活を余儀なくされ、同年9月23日には無線長の久保山愛吉さんが亡くなりました。
ここまでのことはよく知られていることでしたが、被爆したのは実は第五福竜丸だけでなく、近隣で操業していた漁船にも及んでいる。更に多くの乗組員が被ばくした可能性が
ありますが、現時点でも健康被害など不明な点は多いという。
さらにはこの海域で水揚げされたマグロはすべて廃棄されるなどの経済的な被害も大きかった。
この船体の語る歴史的な重みや受ける迫力がすさまじい。
この事件の反響は大きく、広島長崎の原爆投下とともに、更なる全国的な原水爆禁止署名運動や核兵器廃絶運動へと発展する大きな契機となりました。
被爆後、放射能が減少するのを待って練習船となるが、1967年には廃船、船体はごみ処分場であった東京都の「夢の島」に放置されていました。しかし「このまま第五福竜丸を
放置しておいて良いのか」という声とともに市民による保存運動が起こり、1976年から現在の展示施設で公開されることになりました。
2026.08
camera: Panasonic DMC-GM1 + 12-32mm Panasonic DMC-TZ85 Canon PowerShot
G9X Mk.II / graphic tool: SILKYPIX Developer Studio Pro.7 + GIMP 3.2
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