2026
関宿
2026.01.24 SAT 天気:くもり
10:45
千葉に行く用事があって、そのあと那須に遊びに行く。ということで今回も途中に面白そうなところはないかと探してみたら、関宿というところが目にとまりました。その
昔は関宿城という北関東の軍事拠点があり、現在は公園として整備されていて博物館もあるみたい。(千葉県野田市)

こちらは関宿城址を模してつくられた「関宿博物館」です。このあたりは景色を遮るものが一切ないので遠くからもよく見えます。ちなみに関宿城の本丸跡はこの博物館
から、隅田川に沿って500mほど下流にあります。

関宿城は室町時代に簗田満助または簗田成助によって築かれたとされ、以降、戦国時代中期まで簗田氏の居城になった。
戦国時代、関宿は関東における最重要拠点と考えられていました。ここは利根川水系の要地であり、江戸川をさえぎるような縄張りの堅城がありました。
(画像の右上がその跡地)

関東一帯の支配を目論む北条氏康は「この地を抑えるという事は、一国を獲得する事と同じである」とまで評したそうです。
戦国時代末期には北条と上杉の間で激しい争奪戦が繰り広げられ、三度の合戦の後にこの城は北条の手に落ち、以降、北条氏はこの城を北関東進出の拠点としたと
伝えられる。

江戸時代になると、ここには関宿藩の藩庁が置かれました。
そしてここは関東の水運の拠点であったため、たいそう栄えていたそうです。
この町並みを再現した上のジオラマが1/50スケールで実に緻密、これだけリアルにできているものはなかなかないと思う。

野田の醤油は今でも有名の一大産地(キッコーマン)ですが、その昔はこの水運を利用して全国に送り出されていました。古くは武田信玄に献上したという記録もあるみたいです。

問題があったとすれば、やはりそれは利根川水系の河川の氾濫だったでしょう。
左画像は農家が水に沈んでゆく様子を刻々と再現する、ビジュアルなジオラマです。母屋や馬屋が水没したとき、避難のため屋敷に一段高い盛り土をして、そこに2階建ての
避難小屋を作り、いざというときには貴重品を持ってここに入ったのだという。
右画像は避難小屋の復元模型です。

明治時代になると、大規模な河川改修が始まる。河川沿いに建てられた席宿城の景観は、このときに失われてしまいました。

あとは頻繁に氾濫するが故に手つかずの沼地も多かった。
そして人々が始めたのが何かというと、川の流れのコントロールというわけです。

この博物館の中心企画の一つと言って良いでしょう。人々が水との戦いのなかで、どのように水害を抑え、沼地を耕地に変えていったのかが良く分かる。

いやマジにすごいよ。1/50スケールでこのリアリティー、登場人物に動きを感じるし、よく見るとカメやサギがいたりする。極めてます。

その昔、利根川は江戸湾に注ぐ暴れ川として有名でした。また荒川や江戸川の流れも今とは全く異なっていました。
それが1594年に始まる利根川水系の河川の付け替え工事によって、少しずつ流れが変わってゆく。そして最後は1654年、人工的につくられた
赤堀川の完成によって、利根川は東の太平洋に向けて流れることになります。

改めて人間の力ってすごいなって思いました。

こちらは入館200円です。歴史や土木工事の勉強もできるし、ジオラマ見に行くだけでもその価値があると思います。
11:20
関宿博物館で利根川の変遷と、関宿城の戦いの歴史などを勉強したあと、周辺を少し歩いてみることにしました。関宿城は幾重もの堀や曲輪に囲まれた
大規模な城だったようで、マップ上にはいくつもの歴史遺産のマークがついています。

こちらは曲輪跡、今は少しだけ高く平坦な土地が残るのみ。

こちらは武家屋敷の立ち並んでいた場所と伝わる地域です。
そして今は松が1本立っているところに、教倫館という藩校があったそうです。

左画像は関宿関所跡、水運の要衝であったため、江戸時代にはここに川の関所が設けられていました。そして右画像は掘だったところです。
このほかにもいくつかの遺構や歴史遺産があるのですが、残念ながら当時の様子をうかがい知るには、かなりの想像力が必要です。実際、関宿博物館
にはそれなりに多くの人が訪れてはいたのですが、実際に外に出て周辺の散策をしている人は、ほとんどいませんでした。

関宿城博物館から南に500mほどのところに、関宿城本丸跡があります。
但しここには関宿城本丸であったことを示す石碑があるのみで、あとは何もありません。上の画像はその本丸跡から関宿博物館方面を撮したものです。

これでは「関宿城」を検索して出てくるのは、こちらの本丸跡ではなく、正面に見える「関宿博物館」の方だというのもやむを得ないかもしれない。
「関宿城に行ってきた」というコメントをSNSにあげてる人はいるけど、多くの人は博物館の方を関宿城だと思っているみたいです。
実際、城跡は河川改修のために、その2/3が江戸川の土手に埋まってしまい、残された痕跡も多くが形を変えてしまっています。お城巡りのファンとしては
少し寂しいです。

この関宿地区でもう一つ行っておきたいところがありました。
こちらは鈴木貫太郎記念館です。日本を終戦に導いた鈴木貫太郎の業績を紹介するために、1963年に旧宅の隣に開館しました。当初は団法人鈴木貫太郎記念会に
よって設立されたものですが、その後は旧関宿町に移管され、現在は野田市が管理しています。
但し2019年の台風の影響で、雨漏りが発生、また耐震性の問題もあって、大部分の展示物は撤去され、展示されているのは20畳ほどの1フロアのみになってしまって
います。とっても残念です。
鈴木貫太郎は海軍軍人として日清・日露の両戦役に従軍し、連合艦隊司令長官や軍令部長などを歴任したのちに侍従長に就任します。役割としては昭和天皇の
相談役的な存在であったという。
侍従長であったときに2.26事件が発生、鈴木貫太郎も青年将校らの標的となって瀕死の重傷を負うも、奇跡的に一命を取りとめた。
その後は枢密院議長を経て、1945年4月には内閣総理大臣に就任する。戦況はすでに敗戦が濃厚な状況となっており、鈴木貫太郎は陸軍の反対を押し切ってポツダム
宣言を受諾、日本の終戦に導いた。
戦後は郷里の関宿に戻りますが、吉田茂の説得によって再び枢密院議長に就任、今度は新憲法の改正に携わることになります。そして天皇出席のもとで1946年6月の
枢密院本会議で新憲法が採択され、鈴木はすぐに枢密院議長を辞任します。
画像の大きな石碑にある『為萬世開太平』は「萬世のために太平を開く」と読みます。これは玉音放送で昭和天皇が言われた言葉の一節でもあり、鈴木貫太郎もまた
この言葉をよく用いていたと伝わっています。
そして1948年に関宿の地で没する。最後の言葉は「永遠の平和。永遠の平和」
完全な状況ではなかったけど、ここにやってこれて良かった。
記念館再建のため、少しだけ募金してここを後にしました。

13:00
この日のお昼ご飯はお隣の境町で町中華でした。入ったのは登龍というお店です。

自分のオーダーは普通にラーメンと唐揚げ、唐揚げの方はごろごろとした塊が10個以上入ってました。
普通ではないのがこのお値段、何だか二昔前のメニューを見ているような感じです。
ちょっとオモウマ系でおすすめです。

15:00
また、いつものギャラリーバーンにお邪魔しました。今回は新作球体関節人形 nana を持っていって、オーナーの清野さんにご披露してきました。
「売ってるの?」
「いや、もうこういう人形のマーケットは存在していないので、個展のときに展示するだけです。」
そんなやりとりがまずはあった。
アートの世界で食べて行くためには、いくつかの条件がある。まずは作品としての完成度が高くて、人のほしがるものでなくてはお話にならない。そして入手
しやすい価格であることと、3番目にその価格に見合った制作時間であるということが大切です。
1000円のものを1週間かけてつくってもダメで、自分の場合には人形をヤフオクで最後に販売したときに、時給換算200円にしかならなかった。

今、清野さんがメインで手がけているのが、1mほどの大きさの「海の中の生き物シリーズ」です。前回までは背中に街を乗っけた鯨が中心でしたが、今回は
「機械仕掛けのシーラカンス」。

こちらは「機械仕掛けのシロナガスクジラ」、こういうものを1週間で作りあげてしまう。とてもかないません。

さりげなく壁にかけたくなる「立体的なコラージュ」。そしてホウロウ看板的なペコちゃん。

第1次世界大戦中の複葉機をモデルにしたオリジナル作品。
「モビールのようにつるして、これに釣り合うよう反対側にモーターとプロペラを置いたら面白いかも」
清野さんも頷いていました。
これらの作品は数千円ぐらいから購入できる。アートってやはり身近なものでなくてはいけない。
そしてその所有者の一生が終わったとき、悲しいかな99%のアートは廃棄されている。アートとは永遠のものでなく、実はほとんどの場合に消耗品です。
この日はおうちで夕食を食べ、翌朝はほんの少しだけお散歩しました。

1.25 SUN 天気:晴れ
樹の枝の上の方から、少しずつ日差しが降りてくるのは、何度見ても美しい。この景色を見ることができる場所は意外に少ないです。
清野さん曰く「昔はこのあたりでも1mぐらい雪が積もった。」
でもこの日は道の上に雪はなく、庭の積雪も5cmほど。
最近、那須に移住する人が増えているというけれど、一つには平地の夏の猛暑、そして冬の那須が意外なほどに住みやすくなりつつあるという事実が無関係
ではないと思う。
自分も今はスタッドレスはおろか、チェーンも持っていない。たまに行くぐらいなら、靴下みたいにかぶせる布製の滑り止めで十分です。

たまたま首相の所信表明の演説を聴いた。
「温暖化対策として・・・」
温室効果ガスの排出量を減らそうという発言だと思って、一瞬期待した。 「・・・災害発生を防ぐための国土の強靱化、インフラ整備等々の・・・。」
温暖化はとまらない、あるいは止める考えはない、そういう意味だったのね。
たとえアートは消耗品であったとしても、自分たちの住むこの世界はそうであってはいけない。きちんと次の世代に受け渡すべき永遠のものでなくては
いけないと思う。
2026.02
camera: Canon Powersho tg9x Mk.2 / graphic tool: SILKYPIX Developer Studio
Pro.7 + GIMP 3.0
法輪寺
2026.03.29 SUN 天気:晴れ
12:25
茨城県の佐倉市で、雨宮観音や真壁の町並みを見学した後、那須の家に向かいました。
どこかにおいしいお店はないかと探していたら、たまたま安売りスーパーのビッグが目に止まったので、こちらで昼食を購入し、どこか外でご飯にしようという
ことになりました。

真岡の街を出ると、すぐに小さな運動公園をみつけたので、さっそくここに車を止めました。(運動公園の名前は覚えていない)
桜のピンクだけでなく、間にコブシの白が入っていることで、いちだんと景色が鮮やかさが増す感じです。
この公園をデザインした人は良いセンスがあると思う。

ビッグで買ったざるそば(187円)、ミニ海鮮丼(297円)がいちだんとおいしく感じた。家の中で高いお弁当を食べるより、こっちの方が断然良い。
14:15
今回も例によってギャラリーバーンに立ち寄りました。レンタルギャラリーではあるけれど、人の少ない寒い時期は、基本的にオーナーの清野さんの作品が並びます。

今いちばん力が入っているのが、全長1m近い機械仕掛けの鯨です。このザトウクジラは新作だそうで、こういったものを1週間ぐらいで作りあげてしまうのだからすごい。

こちらは前回も見た背中に街を乗せたマッコウクジラです。小さく写っているのはペーパークラフトの潜水艦でクランクを回すとすスクリューが回転する。
「これって、大きなモビールでつながげて、スクリューをモーターで回転させたら、ゆっくりと海中を泳ぐ感じになりませんかね?」
もしかしたら次にやってくるまでに、動くジオラマに変化しているかもしれません。こういう作品に遊び心は大切です。

ペーパークラフトの家、相変わらずいい味出してる。紙が材料でここまで質感が出せるのが不思議なぐらいです。ここに1/24スケールのフィギュアを置いただけで
立派なジオラマになる。

こちらは立体的なコラージュ作品です。けっこうこういうのが自分は好きで、度々インスパイアされてきました。

娘のミナさんの作品、書道と細かなモチーフの組み合わせが新しいアイディアですね。
ひととおり作品を拝見したあとは雑談タイムです。
那須町と那須塩原市が将来的には合併するかもしれないとか、関東のいちばん北にある田舎だから人口は減っているけど、移住者は増えているという話だったりする。
基本的に那須というのは、明治に入ってから政治家や軍人の避暑地として開拓がすすみ、特にバブルの頃にはたくさんの別荘が作られたところです。そして今、その時代に
別荘を購入した世代はこの世を去りつつあり、その子供たちへと代替わりがすすみつつある。
ところがやはり「田舎暮らし」の好きな子供たちばかりではない、利用されなくなったデザイナー物件から車1台分で買えてしまうような物件まで中古市場は結構豊富にあったり
します。
このギャラリーバーンにも別荘内の調度品やアートを引き取ってもらえないか、度々相談があるそうです。
別荘地に移住してくる人が増えているのは、こういう格安の物件があって、かつまたテレワークという働き方が浸透したというのが大きいそうです。
都内の1LDKが1億4千万円と言われる現在、この那須で100坪200万円台の物件に住み、基本的にテレワークで働くというライフスタイルは、若い世代には十分に選択肢になり
得る。物価も信じられないほど安いし、たまに東京に出るにしても新幹線で2時間ほどです。

自分の別荘に戻った。今回はまだあまり頑張って庭の草刈りをする必要もなかった。
途中に立ち寄った園芸店は駐車場が満車になるほど賑わっていました。那須もいよいよ春本番という感じです。

積もった落ち葉からタンポポの新芽が出ていました。
「昔は那須も1mの積雪があった」と清野さんはいうけれど、自分たちは格安の別荘を買ってから10年、10cmの積雪がいいところで、最近はスタッドレスタイヤさえつけるのを
やめてしまった。今はタイヤにソックスのようにかぶせる簡易な滑り止めしか持っていません。
別荘に移ってくる人が増えている理由のもう一つは、明らかに温暖化の影響があると思う。1年のうち半年は寒いといわれた那須もそれほど暮らしにくくはなくなっている。
夏はそれなりに暑い、暑いけど木陰のあるところならエアコンなしで過ごせます。 扇風機を回して夏を過ごしていると、昭和の時代の夏休みだなって思います。
3/30 MON 天気:曇り
6:00

どうやら那須周辺はあまり天気が良くないらしい。それならばと今日は山を離れて桜巡りでもしてみようと言うことになりました。

8:35
こちらは那須町寺子のエドヒガンです。巨大な桜ではあるけれど、樹勢がかなり衰えてきていて痛々しい。
こちらもあいにくの曇り空、やはり青い空の方が映えるな。
、やっぱり見逃せないのは大田原法輪寺の西行桜(エドヒガン)かな。
ちなみに4月から新しく始まったNHK朝の連ドラ「風、薫る」では大田原が舞台になっている。もしかしたら知っているところがでてくるかもしれないな、なんて少し楽しみに
していたりします。

9:10
こちらがその法輪寺です。佐良土というとても歴史のある地区にあって、860年に慈覚大師円仁によって開山されました。戦国時代の那須氏の居城もこの近くにある。

きれいに飾られた手水車が美しい。
お酒に囲まれた恵比寿様がうれしそう。

こちらがその西行桜、樹齢800年で大田原市の指定記念物になっています。
前回訪れたときには、少しタイミングが悪くて散り始めていました。
西行法師が1140年頃に欧州行脚の際に法輪寺に立ち寄り、次のような歌を詠んだことからその名前がついたという。
盛りには などか若葉は今とても こころひかるる糸桜かな
(花は盛りでなく若葉が出始ていた。でもその今こそ、この糸桜(枝垂れ桜)に心が惹かれている自分がある)
前回はまさにその状態だったのですが、せっかくなので満開の西行桜を見たかった。
今回は桜こそ満開、でもあいにくの曇り空で、やはり少々残念。

ここ法輪寺にはほかにも見所があります。
天狗堂に祀られている天狗面は高さ2.14mもあって、その大きさでは日本一だそうです。
天狗というのは日本の伝承に登場する神や妖怪ともいわれる伝説上の生き物なので、もちろん大陸から伝わった仏教の教えにはないものです。
こちらの法輪寺は1000年を超える歴史を持つ天台宗の寺院ですが、神仏混淆の流れが色濃く残り、3つの鳥居があるという全国でも珍しい寺院でもあります。

こちらがその一の鳥居です。お寺なんだけど鳥居があって、しかも川をまたぐように建てられている。
このときはまだ土手のソメイヨシノは三分咲きでした。
資料によれば、一昔前までは信徒は祭礼のときに、この御行川で寒中に水垢離をとってから六根清浄のうえ、奥の院に参詣してしたという。

一の鳥居から北に向かって、300mほどのところに二の鳥居があります。
こちらはもの凄く急な階段の上にあって、下から見えるのは空だけです。
本来、鳥居というのは神域であることを示すものなので、この景色は空に神の世界があるということを伝えたいのだと思う。そうすると先ほどの一の鳥居は水の神を意識して
いることになって、なるほどと頷けるわけです。

ちなみに今回はゆきませんでしたが、三の鳥居はこちらの湯泉神社の奥から続く丘陵地帯の端にあります。
そしてその先に小さな祠(奥の院)がある。
この状況からは分かりませんが、マップ上で確認すると三の鳥居と奥の院の延長線上には那須火山があります。
那須山(茶臼岳)は今でこそ活動は休止状態だけど、1400年頃と弥生時代の2600年前には大規模噴火の記録があります。おそらく炎を上げる那須岳は、昔のこのあたりに
住む人たちにとって最も神に近い存在、あるいは神そのものだったに違いないです。
三の鳥居は那須岳は火の神の世界、二の鳥居は空の神の世界、一の鳥居は水の神の世界への道を導くもので、そして自分たちは4つ目の地の世界に住む、それが自分の
結論でこれで全部で4つの世界が出そろうというわけ。そしてこれは古代の四元素説にもつながる。
ちなみにここ佐良土は古の時代より栄えていた文化的な中心地であったらしいです。
奥之院の近くでは古墳が発見され、二の鳥居と三の鳥居の間には平坦な丘陵地帯があって、公的機関があった可能性を示す区画溝の跡が見つかり、古代の行政施設や
交通施設、軍事施設など公的機関の「官衙」である可能性が高まっているという。
おそらくはこの丘の上では古の時代より様々な神事が進められていたに違いないと思う。
その後は天狗に代表される山岳信仰が結びつき、そして更には大陸からの仏教文化と結びついてゆく。ある意味、ここでは古の文化が仏教と結びついて残り、今もその名残を
垣間見ることができるといっても良いかも知れません。
前の鳳来寺では神仏分離と、それをきっかけとした廃仏毀釈運動のすさまじさを目の当たりにしたけど、この法輪寺の周辺では完全に融合がすすんでしまっていて、分けること
などできなかったのではないかと想像します。
こちらのお寺でのお祭りを見たことが一度だけあるんだけど、なんかすごくインパクトがあった。
お祭りの行列に僧侶が並ぶ、その雰囲気にちょっと不思議な感じもしたけど、少なくともそういう景色が数百年は続いていたのでしょう。

次は那珂川町にやってきました。
ここは「なす風土記の丘資料館」で、手打ち蕎麦のお店の横の地を這うマメザクラがなかなかのもの。

こちらは那須官衛遺跡です。その礎石が残っていて、発見当初は正庁跡だとされていましたが、現在では正倉跡だと考えられているとの事です。

梅曽シダレザクラ。見事なんだけど、曇り空では感動も今ひとつ。
11:00
少し早いけどお昼ご飯にします。

やってきたのは高根沢にある「ひかり」という手打ち蕎麦のお店です。
4種類のおそばがいただけるセットを選びました(ひかりスペシャル)。水蕎麦から始まって、使うそば粉も2種類、なかなかにレベルが高かった。

お店の庭にもしだれ桜があるというので見学します。
ちょうど晴れてきて良い具合です。

願はくは 花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ
こちらは有名な西行の辞世の句です。西行が生涯に詠んだ歌は2000とも言われていますが、なんとそのうち230が桜をよんだものだったという。
なんかやっぱり、桜には他の花にない何かがあるんだろうなあ。
2026.5
camera: Panasonic DMC-GM1 12-32mm / graphic tool: SILKYPIX Developer Studio
Pro.7 + GIMP 3.0
水鏡
2026.05.09 SAT 天気:晴れ
8:00
さすがにゴールデンウイークは混雑がすごいと思って、1週間外して那須を訪れました。結果として待ち時間や渋滞もなく、1泊2日の旅としては大正解でした。
最初にやってきたのは大田原市の南部、福原という所です。箒川の流域に水田がつくられ、古くから栄えていたところです。那須与一で知られる那須氏の居城があった
ところとして知られています。

ふらっと立ち寄ったこちらの神社は福原八幡宮、一歩足を踏み入れると社林が高くそびえていて暗く、空気が少し重い感じがしました。
創建等の詳細は不明ですが、歴史的には源頼義と義家父子が戦勝祈願のため八幡社を勧請し、後に那須氏の祖である須藤貞信が氏神として社殿を造営したと伝えられます。
そのため社殿の屋根には那須家の家紋である一菊ノ紋があります。

こちらの本殿の作りや木彫がすごい。
こちらの神社は明治2年の神社分離前までは、道を挟んで向かいの福原金剛寿院と同一の神仏混合社だったそうです。

こちらは向かいの金剛寿院伝法寺、奈良時代末期の開山とされ、真言密教の地方本山であったと伝えられるお寺です。南天竺織物法衣ほか多数の文化財が伝承し、中世に
おいては那須家の祈願所として庇護されていました。

すごく立派な本堂ですが、最盛期には125寺の末寺を抱える本寺として隆盛を極め、10万石の寺格をもっていたというからすごい。ここも歴史ファンなら訪れるべき場所でしょう。
300年間にわたって那須氏の居城であった福原城場はここから1kmほど離れたところにあったのですが、今は農地となっていてその痕跡は全く残っていません。
また今回はゆきませんでしたが、那須氏の菩提寺である玄性寺も近隣にあります。こちらは1514年にいったん廃寺になりますが、その後復興されて今も那須氏の墓所がここに
置かれています。


8:45
次は「風、薫る」で脚光を浴びつつある黒羽を目指します。
途中、丘陵地帯にある牧場でしばしの休憩です。
これを見て、北海道の景色という人もいるかもしれない。

栃木のなかでも、この国道294号線沿線の旅ってものすごく楽しい。
観光地としての知名度はそれほど高くないけど、古い歴史と美しい自然が今も感じられる場所です。
(そのあと「風、薫る」で脚光を浴びつつある黒羽を訪ねましたが、それはまた別ページでご紹介しています。)

12:35
那須にはたくさんの美術館やギャラリーが存在しているのですが、人形そのものを扱っているところは少ないです。そんななかで那須野が原博物館で「世界人形紀行」という
特別展が開催されているというので、行ってみることにしました。
那須野が原博物館は那須一帯の自然や歴史を展示するほか、こういった企画展やセミナー、ワークショップなどが開催されていて、誰もが楽しくお勉強できる施設になって
います。
また「道の駅」としての機能を持っているので、ここを起点にして散策などもできたりします。

今回の「世界人形紀行」の入館料は300円、公営の施設なのでお安いのがうれしい。

文楽人形「藤娘」 日本人形「姫」

津屋崎人形「御俊伝兵衛」 博多人形「舞子」

日本人形「舞子」 羽子板「仲之町助六」「蔦姫」
日本の人形ばかりでなく、世界の人形のコーナーもありました。

イラン「アラブの女性」 インカ「ミニ人形」
この国はでは、こういうセンスの良いリアルな人形も作られているんだ。 こちらは指先サイズ、真ん中の2体は身長3cmぐらいしかありません。

スペイン「マタドール」 スペイン「フラメンコ」
OFやポーズが決まってる。完成度がものすごく高いです。

今回ご紹介したのはもちろんほんの一部で、人形好きならずっといられそうでした。
実はもともとこのコレクションは、実業家だった故・吉村深雪氏が生涯をかけて収拾した世界の人形や玩具で成立しているそうです。
吉村氏は人形博物館の設立を夢見ていたそうで、彼女の遺族は少しでもその意志を最大限にかなえたいということで、全収集品1001点のうちの818点をこちらの博物館に
寄贈することにしたそうです。

なんかわかるな。ここにしばらくいると、日本や世界をあちこち旅している気分になれる。
そして世の中にはいろんな人がいて、様々な考えを持っているってことも再確認できる。それだからお互いを理解する努力をしなくっちゃいけない。
そしてその労力を惜しむからこそ、今あちこちで起こっているような不幸な出来事が起こるんだと思う。

13:35
例によってギャラリーバーンにお邪魔しました。
ギャラリーバーンは那須の鳥野目街道沿いにあるレンタルギャラリーで、展示会やコンサートなど特別な催しがない限りは無料で見学ができるところです。企画展等が
なくても、様々な展示物が置かれていて楽しめるし、様々な情報交換の場にもなっています。

入り口付近にあったピンク色のドラゴン、今回初めて拝見しました。
ポップな感じでまとまっている。「色を変化させる」というのは、そのこと自体が芸術的なアプローチになる。

1m以上もあるリアルな鯨の背中に街が乗っかっている。この迫力が凄い。
様々なペーパークラフトを作り続けてきたオーナーの清野さんの集大成のような作品です。


この巨大な海の生物シリーズは、今清野さんがいちばん力を入れているものだと思いますが、こういったものを1週間ぐらいで作りあげてしまうのだからすごい。
もちろん現実にはありえない構造物ではありますが、本当にリアルな存在に見える。作品そのものに現実感があって矛盾がない。リアルというのは本来は現実の
ものに似ているという意味で使われる言葉ですが、想像された作品にでも、時として当てはまる言葉でもある。

左は水面上をはねるヤマメ、こちらも新作です。高さ5cmほどの作品ですが、動きがあるというのが良い。
右は高さ3cmぐらいのネコ、小さいけど表情がある、かわいい。
そして今日の少し考えてしまうお話です。以前に清野さんが、故人の所蔵していた美術品の処分を頼まれることはあるけど、引き取り手がいないのでお断りすることが
多い、という話をしたことがありますが、そのもっと一回り大きな話です。
日展に出展するような名のある作家さんのブロンズ像を預かっていたことがあったそうで、そしてその方がお亡くなりになったために、そのブロンズをご家族にお返し
しようとしたそうです。そしたらそのときの返事が「そちらで処分してください」ということでした。ここで言う処分とは金属のかたまりに戻すことです。
一般に芸術作品は、そのアーティストが亡くなってから、ゴッホのように価値が上がるというのは希で、値下がりすることの方が圧倒的に多いそうです。
購入する側としては、その作品のそのときの良し悪しだけでなく、そのアーティストの可能性と将来性を信じて購入しているに違いない。でもその死によって価値が上がる
という可能性は失われてしまう。
さてでは先ほどの話ような状況で起こるかというと、相続の問題です。
手元に残された作品は、もちろん財産と見なされて相続税の対象になります。しかもそれは生前の価値では決まるので、相続する側としては負担が大きい。だから売って
しまうことを最初は検討するけど、人気作家でなければ、そうそう簡単には売れない。そうなるといよいよ廃棄して、作品はなかったことにしようということになる。
自分が有名なアーティストで、作品を残したいと考えたら、財団を立ち上げてそこで管理してもらうというのがいちばん良さそうです。だけど一般には難しい。だから既存の
美術館や博物館に寄贈するということが検討される。
そして今はどうなっているかというと、博物館や美術館は収蔵品で倉庫がいっぱいになっていて、廃棄せざるを得なくなっているということを、ときどき聞く。
結局は自分の作品が気に入った人がいたら、最後はその人にあげちゃうぐらいのことをしないと、作品というのは残らないのかも知れません。というか、作品も自分自身と
同じで一代限りと割り切った方が良いのかも。
「造ることこそが喜び」だと清野さんは言ってました。
更には「つくりたいものは、まだまだ山ほどある」とも。なるほどなと、自分は頷きました。

那須の家で草刈りです。
この時期はさすがに雑草の成長も早く、別荘の草刈りは欠かせません。750m^2の庭となると草刈り機を使って作業しても、だいたい1時間半ぐらいはかかる。

18:00
夜に訪れたのはバー&ギャラリーの殻々工房です。もう那須に別荘を構えてから16年が過ぎ、何度となくお世話になってきました。
最初の頃はごく普通に入ることができたのだけど、最近は人気が出てしまったようで、週末は予約を入れとかないと入れない。自分たちも入れないことが多くなって、
最後に入れたのは昨年の夏のことでした。
今回はゴールデンウイークを外して2日前に電話を入れたので、無事に予約OKでした。

今回ぜひ入りたかったのは、槙野央 個展「集められたページ」が開催されていて、ネット上で見た作品がなかなかにすごかったからです。
左のリンゴは実は木彫です。木の塊を削って磨き、着色したものでリンゴにしか見えない。
右も木彫、木目を生かして袋とセロハンテープのモールドを削り出してつくっています。

これだと、テーブルの上に置かれていたら、お刺身食べるときに使っちゃいそうです。そして右の割り箸も木彫、木彫だから割れないし、取り出せない。

これらも全部木彫、超絶テクニック、これでは本物が紛れ込んでいても区別できない。
これらの作品はすべて販売されていて、お値段は6000円ぐらいからでした。

ひととおり作品を拝見させていただいて、おいしいお酒と食事をいただきました。

食べ物はニョッキや鳥の炭火焼き、コゴミ、野菜スティックなど。飲み物はギネスから始まって、エンジンやブラックブッシュ、最後にオーダーした桜のジンフィズがとっても
爽やかでおいしかった。

ふと壁の方を振り返ると、ネジの刺さった木片が壁に取り付けられていました。よくよく見るとキャプションが添えられているので、これも作品であるらしい。
マスターにお聞きしたところ、こちらは木の塊を削って制作した作品で、決して後でネジを埋め込んだものではないとのこと。つまりは出っ張っている木ネジも、
ベースの木材と同一の木でできているということです。
改めてネットから検索すると、他にもこのバーの中に、まだ気づいていない作品があるらしい。

見つけた。トイレの前の洗面台の上にあったのは、リアルな木彫のトイレットペーパーです。馴染みすぎていて、これでは気づかない。作者としては当初トイレの中に
置きたかったそうですが、そんなことしたら間違って使っちゃうかも知れない。

カウンターの脇にさりげなく置かれた古びた蛍光管、これも木彫です。
こんな感じで置かれたら、マスターが片付け忘れたようにしか見えません。いやこれ、ほんとにすごかった。
槙野央 個展「集められたページ」
2026.4.12(日)~5.30(土)バー&ギャラリー殻々工房


5.10 SUN 天気:晴れ
5:10
翌日は4:30ぐらいに起きて出かける準備をする。
朝のお散歩です。木々の上の方から少しずつ太陽光が降りてくる。この時間帯が自分はいちばん好きです。

やがて地上まで光は降りてきて花を輝かせる。

水鏡になった水田に那須連山が映る。まさに感動的な時間帯です。

10年前と比較すると、那須にはグランピングやレンタルコテージなどの施設がものすごく増えました。スーパーに行くとバーベキューセットや薪が大量に置かれていて、
夕方にはビールをケースで購入してゆく人も多いのだけど、もっと別な楽しみがあるのを知っておいた方が良いと思う。
特に暑くなるこれからの季節、夜は早々に切り上げて、早朝にお散歩するのが間違いなくベストです。
この日は1時間ほどお散歩したけど、すれ違う人は誰一人としていなかった。もったいない。
2026.6
camera: Canon PowerShot G9X Mk.Ⅱ / graphic tool: SILKYPIX Developer Studio
Pro.7 + GIMP 3.0
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