7.18 (土) |
6:30 3連休ということで、日程に余裕があります。 そこで今回は関越道を通り、足尾を経由して那須に 向かおうと思います。 途中、立ち寄った寄居PAでいただいたネギラーメン はネギがものすごい大盛りで大感動。 |
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コースとしては、北関東道を伊勢佐木ICで降り、国 道122号線で日光方面に向かうことになります。 一般的に日光を訪れる場合、宇都宮、沼田、足尾 のいずれかを経由するコースを選択することになりま すが、そのなかでは足尾経由がいちばん不便かもし れません。 わたらせ渓谷鉄道が日光まで延びていれば、また 話も違うとは思いますが、現状では足尾経由で日光 に向かう、または日光を訪れた人が足尾まで足をの ばすことは少ないように思います。 |
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こちらは、わたらせ渓谷鉄道「本宿駅」、渓谷の底に ある無人駅です。 線路をはさんだ反対側には渡良瀬川、まわりに民家 はありません。 ここを誰が利用するのかな、と思ったのですが、民家 は渓谷を少し上がったところにあるようです。近くには 分譲地の看板もありました。 |
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列車の撮影をしようと思ったのですが、時刻的なタイ ミングが悪かったので(1~2時間に1本程度)、道を先 にすすめることにしました。 途中、道の駅があったので例によって野菜などを買 いました。 |
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ここは「水沼駅」、このあたりではいちばん大きな駅 で温泉もあります。ここで列車を待って撮影しました。 わたらせ渓谷鉄道のそもそもの始まりは、銅鉱石の 運搬と精錬に必要な硫酸といったものを輸送する目的 で敷設されたものです。 ハイシーズンにはトロッコ列車も運行されているとい うことですが、この時間帯、無人の駅舎に人影はほと んどありませんでした。 ちなみに「わたらせ渓谷鉄道をもっと利用しましょう。」 というポスターが貼ってありました。経営の方も大変な んだろうなあ。 |
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少しすすんだところに木造の校舎がありました。 移転して使われなくなった校舎のようですが、残されたも のから察するに、少なくともここ10年ほど前までは使われ ていた感じです。 子供のいた時期が想像できる不思議な臨場感がありま す。 |
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こちらは草木ダム。 足尾銅山からの鉱毒流出の防止、治水、電力供給 などを目的につくられた利根川水系のダムの一つだ ということです。 ちなみにダム本体の上は道路になっていて通行する ことができます。 |
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9:30 「足尾観光」という看板を左にはいると、足尾の旧市街 に入ることができます。 ここは磐裂神社、808年創建の古い歴史があるらしい です。その名前がいかにも鉱山の寺って感じです。 |
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そしてここから町のなかに入ってゆくのですが、もう 使われていないバス停とか民家とか商店街があって、 ほかでは見られない風景に思わず何回もシャッターを 切ってしまいました。 ただ難しいのは、この地域が無人ということでなく、こ こに住んでおられる方もおられるわけで、その方々には 自分たちがどのように見えるのかを意識しなければな りません。カメラを持ってうろつく人間を見て、決して良 い気分にはならないだろうと推測します。 |
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この建物こは「生協中才売店」という看板が残って ました。スーパーマーケットのような存在だったのか も。 |
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この上流側に足尾の中心的な企業、古河鉱業の 跡地があります。 画像は国鉄の時代まで使われていた陸橋らしいで す。銅の鉱石や硫酸などの輸送に使われていたよう ですが、ここから先、工場敷地内には入れません。 開発と鉱毒の影響で、山は荒れていると聞いていま したが、植林が続けられているようで、かなり景観が 戻りつつあるように見えました。 |
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一面の緑の屋根は社宅かな? それから巨大な円筒形の建物は、鉱石を溶かす のに使うコークスの貯蔵庫? |
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旧国道をすすむと巨大なコンクリートの建造物が ありました。ここは変電所跡だと思われます。 銅の精錬には大電力が必要で、ここから先ほどの 工場の方にたくさんの高圧線が延びています。 |
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こちらはそのとなりにある溶接工場跡。 赤レンガの建物は朽ちて崩れ落ちています。 何というか・・・迫力があります。 |
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足尾銅山の歴史を知るために、ここ足尾銅山観光 に入館してみました。(入場料820円) 銅山そのものは江戸期に開発され、採掘された銅 は銅銭の鋳造などに利用されていたようです。 |
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トロッコで坑道に向かいます。 |
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坑道内では採掘の様子が江戸期から近代に至る まで再現されています。目があったら怖いぐらいに 人形がリアルです。 |
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そのほか坑道内には、当時の食堂や神社まで再現 されていました。 実際の労働条件は、明治以降も過酷なものだった ようです。 特に鉱毒事件以降、その防止費用などが負担とな ったため、会社は鉱山労働者の賃金は低く抑え続け、 1907年には坑内で暴動が発生し軍隊まで出動する 騒ぎになったそうです。 |
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こちらは坑道の外にある展示スペース。 銅鉱の採掘や精錬についての解説があります。 江戸期までは銅銭をつくるための目的でしたが、 明治以降は産業機械や兵器製造などのために大量 銅が必要になりました。 足尾の銅が近代日本の産業革命を支えたのは 間違いのない事実だと思います。 |
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こちらは足尾駅です。他のわたらせ渓谷鉄道の駅 に比べるとちょっとおしゃれな感じです。 話は元に戻るけど、材料や労働力を運ぶ交通手段 としての鉄道、ダムや電力開発など、銅の採掘という 一点でみんなつながっています。 だから、その1つがなくなるとすべてが変わります。 |
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足尾の町の外れに古河掛水倶楽部があります。 (入場400円) こちらは足尾の迎賓館とも言われる建物で、旧邸 は1899年に完成、現在も古河機械金属(株)の福利 厚生施設として利用されているそうです。 ここではほかに重役宅、所長宅、電話資料館など が見学できます。 |
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重役宅はすごーくひろくって、建物だけで100坪以上。 迎賓館は日光や軽井沢あたりの高級ホテルと同等で、 宿泊室は調度品を含めて贅を尽くしているって感じです。 (なかの撮影はできないのでごめんなさい) そのほかにプールバーあったり、テニスコートがあった りで、ここだけは別世界です。 うーん不謹慎かもしれませんが、これ見ちゃったら暴動 を起こしたくなるのも分かる・・・。 |
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足尾銅山観光の資料館(入場無料)で案内役の方 が言っておられましが、足尾銅山の最盛期、その華 やかさ、豊かさは繁栄を極めた東京、横浜に劣らな かったということです。 ここには明らかな光と影があります。 足尾は世界遺産登録を目指していると聞いていま すが、いったいそのどこの部分にスポットを当てようと しているのかが気になります。 個人的には光も影も残すことに価値があると思うの ですが、いかがでしょう? なんか真面目な社会見学になってしまったのですが、 等サイトは決して社会派ではないので、次はお気軽な 場所に出かけることにしたいです。 |
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