伊勢崎
2017.03.25
伊勢崎は群馬県南部の工業都市で、その昔は城下町として、近年は銘仙という絹織物の生産地
として繁栄の時代がありました。
今回もまた、決して観光地とは言えない場所を旅します。
03.25(土)
5:50
6時前、圏央道を走っている最中に夜が明けてきた。

7:30
関越道を通るときよく立ち寄るのが寄居PA。
ここでよく食べるのが深谷ネギのたっぷり入ったネギラ
ーメン。なぜかいつもよりネギが辛くって、唐辛子がたっぷ
り。本当に辛くて汗をかきました。
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8:20
伊勢崎に到着、まずは両毛線・東武鉄道の伊勢崎駅を
訪ねます。
観光案内所はありません。せめて町歩きマップだけでも
手に入れたいところですが、それも置いてありません。とい
うことで今回はるるぶの小さな地図を頼りに散策開始です。
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街の中心は伊勢崎駅から南へ歩いて10分ぐらいのところにあります。
江戸時代はこのあたりに伊勢崎城があったようです。ちなみにその時代のものは門が一つ残っているだけで、
城壁などの城の様子をうかがい知るものはほとんど残っていないようです。

こちらはお城のほぼ真ん中につくられた旧時報鐘楼。1915年に建てられたコンクリート建造物で、周囲を赤レンガ
で覆っています。(市指定重要文化財)
このほかにも大正ロマンを感じさせる建物がいくつかあります。

レトロな感じの街灯と信号。背後のお宅は以前、醤油醸造業を営んでいたそうです。
広瀬川に出てみます。
桜はまだ3分、菜の花やコブシは満開。

で、川原から細い路地に入ってみると幅1mほどの細い道が、まるで迷路のように続いています。
この道、途中、水道のマンホールや電柱とかもあるので、おそらく私道じゃないです。ということは、
新しくこういった迷路のような通りをつくるってことはあり得ないので、もしかしたら江戸の頃の街割
がそのまんま残っているってことでしょう。これはある意味とてもすごいことかもしれません。


nano (オリジナルヘッド+オビツSBH 27cm 2014)
*)OFはヤフオクやイベントなどでお世話になっている kiraramu 12様の作品です。
9:10
狭く細い道を抜けて大きな通りに出てきました。
こちらは相川考古館です。(入館500円)
創始者の相川之賀が長年にわたって収集してきた考古
資料が展示されています。
(重要文化財に指定されている埴輪など 撮影不可)
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敷地内には茶室(1860年建築 県指定重要文化財)や小さな稲荷神社があったりします。

季節柄、雛祭りに関連した展示も行われていました。下の一番右は投扇興ですね。

旧街道沿いには大きな商家やお蔵がいくつか残っています。
下は河岸の石灯籠(1819年)とこの灯籠を建てた旧武孫右衛門の邸宅です。こちらは200年以上にわたって
船問屋を営んできたそうです。

このあとは再び伊勢崎の中心地に向かいます。
自分としては、こういった「ごちゃごちゃ感」が好きです。

すごーい、鉄道マニアのお家?

外から見て、このお店できるな! って感じがしました。
土曜の朝からきっちりと打ち水しているし、植木も手入れが
行き届いている。しかもお酒は「十四代」。
しばらく周辺の古民家を撮影していたら、ちょうど女将さん
呼び止められました。
何か道を探しているように思ったみたいです。
「観光地でないところをお散歩するのが趣味なんです。」
と説明し、こちらのお店はすぐに目にとまりましたと告げると
お店の中に案内して下さいました。
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ものすごーく整った店内。季節の花を綺麗に生けています。
この近くに宿泊することがあったら、ぜひ訪れてみたいお店です。


延々と続く塀、その向こうに大きな屋根。1375年頃に開山した本光寺。

伊勢崎神社、13世紀の建立。

なぜかプロペラが奉納されています。調べたらこのあたりに昔、中島飛行機の工場があったそうです。
(現在の富士重工) なるほどね。


東西に延びる前橋・館林線(本町通り)が伊勢崎のメインストリート。昔から営業しているって
感じのお店もここに集中してます。

10:40
伊勢崎めいじ館です。こちらは1912年に今村医院として建てられた木像洋風建築です。
(市指定重要文化財、入場無料)

外見は西洋建築ですが、なかは凝りに凝った和洋折衷の造りになっています。お金に糸目を
つけないって、こういうことなんだろうなあという見本です。今だったら1本1千万委譲するような
柱が使われてます。建築の専門家の訪問も多いそうです。

建物の一般公開だけでなく、ボランティアガイドから伊勢崎銘仙のお話を聞くこともできます。
もともとこの地域では、定期的に市が立って絹糸や織物が取り引きされていたのですが、織り方
や染色が進歩してからは伊勢崎銘仙として全国に知れ渡るようになり、全盛期の昭和の初めには
10人に1人はここでつくられた着物を着ていたとまで言われます。


銘仙の最盛期は大正から昭和の中頃までということですが、その後は衰退して現在はほとんど他の産業に
置き換わってしまいました。ただその技術は継承され、近年再び注目されるようになってきているそうです。
(伝統的工芸品の指定を受けている)

さて、ではそろそろ昼食にしようかと思って伊勢崎駅方面に向かったのですが、飲食店がほとんどあり
ません。それどころか、放棄された建物や空き地だらけ。なかなかにシュールな風景です。





このトンネルは空き地に続いていますが、以前はここに銘仙の工場があったらしいです。
もしかしたら、ここにあげた風景のいくつかに、昔は銘仙の工場やそこに務める人たちのお家があったのかもね。


12:40
伊勢崎駅周辺はあきらめて、お隣の新伊勢崎駅まで歩い
てきました。街としてはこちらの方が活気がありますね。
ここで焼きそば「ほその」というお店に入りました。地元では
有名なお店らしいです。
焼きそば(中)300円と、おでん(1皿)300円をオーダーしま
した。本当にこれでいいんですかというお値段ですが、素朴
な味で美味しかったです。 |
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13:20
お花の有名な公園があるというのでやってきました。花蔵寺公園です。(入場無料)
ただこのとき桜はまだちらほら、そのほかのお花もまだまだ見頃というわけにはゆきませんでした。

公園内には遊園地、スポーツ施設や植物園などもあって、家族でお出かけするにはちょうどいい
んじゃないかと思います。下は園内にある巨大な鳥カゴ、なかではインコが飛び回っています。

遊園地のエリアにやってきました。

なぜかここにクハ183、上野と新潟を結ぶ、今はなき特急「とき」ですね。

ちなみにこちらが料金表、70円から乗れます! 何かさっきの焼きそばやさん以来、30年ぐらいタイムスリップ
したような感じです。1000円でそこそこ遊べちゃうよ、1日遊んでもどこかの施設の1/10ぐらいで済んじゃうかも。

迷わず観覧車に乗りました。お人形も座らせて15分の遊覧です。


ここ伊勢崎からの隣の太田、そして前橋、高崎と街並が続いています。
この一帯って北関東のなかでも、工場が最も多く集まっている地域なんだね。

伊勢崎は絹織物で栄え、富岡にも近いし、そういう意味では歴史遺産のようなものがそれなりに残っているんだろ
うなあと想像してました。それはある程度正解だったように思いますが、一方で意外なほど市街地の空洞化がすす
んでいるのに、ちょっと驚いてしまいました。
それで当然このあたりの人口は減っているのかと思ったら、これも逆で順調に増加しつつあるみたい。なんで?
伊勢崎は城下町として栄え、後には絹織物の生産地として発展していった。でもそれが衰退して別の産業に置き
換り、今では郊外につくられた工場で多くの人々が働いている。だから中心部の空洞化はすすんでも、全体として
は人々が移動しただけで減っていないということらしいです。あと戦後の区画整理が行われなかったのも、旧市街
を住みにくくしている原因の一つらしいです。
仕事を求めて人々の生活の場が移り変わるのは自然なこと、時代時代によってその在処を変えるというロプノー
ル湖の住人と同じなんだ。
2017.04
camera:Canon PowerShot G7X / graphic tool: SILKYPIX Developer Studio pro
7 + Ichikawa Daisy Collage 10
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