岩村・明智



2019.05.04
 ゴールデンウイークはどこも混んでいるので、最初は創作活動のみに専念する予定でしたが、あまりに良い
お天気が続いたので、急に思い立って岐阜県の岩村町と明智町に行ってみることにしました。
 ここにもとっても素敵な街並みがありました。



5.04(土)
9:10
 渋滞は大嫌いなので早朝4時に起床、そのまま30分後に出発です。思い立ったのは1日前、発作的な行動は
いつものことです。





 圏央道から中央道を乗り継ぎ、延々と4時間かけてやってきて、最初に見ることができたのがこの風景です。
 こちらは岩村町の富田という地区で、何でも農村の景観として日本一に選ばれたことがあるんだそうです。
(知りませんでした。岩村については明知鉄道の通っている古い街ぐらいしか予備知識がなかった。)


nano & sayaka (オリジナルヘッド+TBLeague s26Aボディ 27cm 2018)





 近くには展望台もあって地区を一望することもできます。



 驚くほどの風景があるわけではないですが、まさに日本の原風景といっても良いのでしょうね。



9:40
 最初に訪れたのは岩村城、日本三大山城の一つで標高717mの山頂に本丸があります。

 

 最初に建造された鎌倉時代で、その後、戦国時代末期には遠山景任の妻であるおつやの方(信長の叔母)が
城主を務めていたこともあるそうです。
 この城を巡っては何度も戦が起こり、おつやの方も非業の最後を遂げています。
 現在は建造物等は一切残っていませんが、急峻な山頂付近に築かれた精巧な石垣は一見の価値ありです。
(日本百名城の一つ) あと麓にはお城関係の資料館もあります。


10:20
 次に訪れたのは歴史的な景観を見ることのできる岩村の町並みです。(重要伝統的建造物群保存地区)

 

 さっきの岩村城もそうだったけど、ゴールデンウイーク最後の週末ということで、観光客がけっこう多いです。
もしかしたら寂れた感じのあるところかもと思っていましたが全然違う。というか中京地区にお住いの方々
にとっては有名なところなのでしょうね。自分が無知でした。
(NHK朝の連ドラ「半分青い」のロケ地だったことを、このときやっと思い出した)





 岩村城は700年以上の歴史を持つ城ですが、城下町が形成されたのは江戸時代に入ってからのこと。
 歴史的建造物のいくつかは資料館として整備されています。(しかもすべて無料!)

 

 こちらは木村邸、問屋業と酒屋で繁栄し、藩の財政を支える役割も果たした。


 

 土佐屋、染物業を営んでいた旧家。当時の染物の制作工程なども展示されています。


 

 江戸時代末期に商家として隆盛をきわめた勝川家です。
 ここは巨大な蔵がいちばんの見どころなんだ思いますが、自分が一番気に入ったのは右側の娘の部屋。
三方が窓になっていて開放感があり、風通しが良くて蔵や街並みが見下ろせる。
 ここに住んでみたいなって思いました。





 

 加納家、江戸時代に三代続いた鉄砲鍛冶のお宅です。製造された鉄砲などが展示されています。

 名前のある、あるいは一般公開されている邸宅はこんなところなのですが、他にもここ岩村では歴史的な
建造物がたくさんあります。

 

 こういった街並みを保存しているところは各地にあるけど、建物はそのままに中身は雑貨屋さんだったり、喫茶店、
お土産屋といったものに改装していることが多いです。でもここのすごいところは、その多くが見た目と同じ商売を
そのまま続けているところです。
 左側の画像のお店は外見も中身もちゃんとした薬屋さん。あとは燃料店、洋品店、酒蔵、みんな昔のまま・・・。
こういったことって、とってもすごいことだと思います。





 

 こちらは岩村醸造。「女城主」というお酒を売ってました。名前の通りきりっとしたおいしいお酒でした。
 蔵は随時一般公開され、その造りの過程を見学することができます。





 岩村は明知鉄道の途中駅なので、ちょこっと駅にもおじゃましました。
(町中から歩いて15分ぐらい)



 令和のヘッドマークをつけた車両がやってきました。この日はほぼ満員状態、やっぱりここは「半分青い」の効果が
大きいのかな?



12:20
 明知鉄道には今回は乗りませんでしたが、線路と並行して明智方面に移動します。
 (明知と明智、今回はこれが両方あって使い分けがめんどくさい!)



 ここは途中の山岡駅のあたり、山間の田んぼの上をトンビが円を描いて上昇してゆくところ。



12:35
 明知鉄道の終点となる明智町に到着です。



 町の中心部に観光施設の中心となるおしゃれな建物(観光物産館)と駐車場があって、ここをベースにして町内を
散策できるように考えられています。
 看板に「大正村」とありますが、町全体が近世の歴史ロマンあふれる歴史テーマパークのようなものを目指していて、
これを「大正村」というみたいです。
 ちなみにこちらで明峰ハムも売ってました。少々お高いのですが味は抜群、おすすめです。


 

 自分たちが訪れたこの日、「ちょっとおんさい祭り」が開催されていて、賑やかでした。
 いろんな催し物があるみたいですが、子供からけっこう高齢の方まで一緒になって踊っている、すごいね。ちなみに右の
写真は「ロマンちゃん」というイメージキャラクターみたいです。(でもなかは暑いだろうな・・・)

 もともとこの明智は城下町として発展し、あの明智光秀出生の地としても有名です。ですが城下町としての名残のような
ものは町中にはほとんど見られず、むしろその後の交易の町として栄えてきた大正から昭和の時代のモダンな建物が
たくさん残っています。そういうこともあって、大正ロマンをテーマとした街づくりをしているんだろうと思います。

 

 岩村あたりと比べるとまだ洗練されていない感じもあるけど、その分、観光地らしくない馴染みやすさがあると言えるかも
しれません。
 地区内には明知城(白鷹城)のほかにも大正時代の趣の残る街並みや通り、そして文化や生活を紹介する資料館が
あったりします。

 

 こちらは大正時代館。大正天皇に関する展示や、ペーパークラフトされた当時の建物の模型があったりします。
立体地図がありましたが、実際に歩いてみると、通りそのものや町割りなどが全く変わっていないことにあとで気づきました。
(大正時代館ほか、3館共通入場券500円)




 こちらは大正村資料館。庶民の歴史や文化に関する資料が展示されています。

 

 こちらでの見ものは蓄音機のコレクション、圧巻です。





 町内の旧街道を歩くと、なんかこれがまたすごい。
 うーん2Fが通りにせり出してる。(うかれ横丁)



 こういった建物って建築基準法とか、消防法とかは大丈夫なのかな?
 こちらも歴史の重みと少々の異次元さを併せ持つ一種独特な雰囲気です。このあたりは一見して区画整理が
行われず、繰り返して増改築された建物が多いことに気づきます。
 自分としては混沌としていて無秩序な感じがけっこう好きなので、これはこれでいいんじゃないかと思います。



 ただお祭り会場に比べれば通りには人も少なく、正直なところ少し寂れた感じもあります。
 でももしかして「半分青い」で火のついた岩村に続いて、大河ドラマで明智光秀が取り上げられたことで、来年あたりは
ここにも大挙して人が訪れるようになるのかな?

 魅惑的でちょっと怖い感じの代表がここ。古ぼけた建物の年季の入った引き戸が入り口、スナック バー アミーという
看板があります。でももう開いていてカレーが食べられるみたい。

 

 お店は地下1F。存在感があって惹かれるんだけど、何かディープ過ぎる、やっぱり入りづらい・・・。
 結局、ここには入らなかったのですが、あとで調べたら怖いお店でも何でもなくって、レトロな店内が有名な老舗の飲食店
だったようです・・・。(大正10年創業)
 ということで、こちらのお店はまた今度ということにしたいと思います。


 ここから高台に連なる建物群へ。その先には明知城もあります。



 元は明治39年に建てられた旧明智町の庁舎。現在は「大正村」の資料館。




 大正ロマン館。絵画等が展示されてました。(このときは撮影不可)
 ちなみにもう少しするとお庭のバラが満開になるそうです。




 まだまだここから先、お城に向かって上り坂が続きます。
 だいたい旅に出ると周辺にあるお城、城跡は制覇する主義なのですが、特に戦国時代のお城は高い樹木が茂っていて
眺望が悪く、城跡と言っても建造物どころか石垣などが残っていることすらほとんどないです。
 ということで、ここはちょっと冷静になって自家用に戻り、車でできるだけ近いところまで移動します。

 

 山頂近くの駐車場から徒歩5分、明知城に到着です。
 左側は本丸跡。大昔に廃城となったところは、だいたいこんな感じです。右側は近くにある光秀公学問所跡で現在は天神神社です。
残念ながら、ここに明知城の全体像を含む詳細な解説はありません。(光秀自身に関する解説も同様)
 ここでいったん深呼吸をして当時の風景をイメージします・・・。
 こんな山奥からいったんは全国に名をとどろかす存在になったわけで、それはまた彼が傑出した能力と先見性を持ちえた武将に
他ならないかと思います。
 でも率直な感想ですが、光秀をに興味を持ってここを訪れた人は、その扱いの小ささにちょっと落胆するんじゃないかな・・・。



17:30
 さすがに10連休、恵那周辺は観光地ということもあって、宿泊場所はネット上ではどこも満室。(出発前夜に調べた)
 ようやく見つけたのは車で1時間ほど離れたところにある豊田市内です。もちろん普段はトヨタ関係のビジネスマンが多く宿泊する
ところなので、逆に空いていたということかな。



 二人で一泊朝食付き7900円は格安、朝食バイキングのカレーがとってもおいしい。(三交イン)


  

 夕食は車で周辺をぐるぐる回ってようやく見つけたこちらのお店です。
 (最近は外見から、なんとなくお店の良し悪しがわかるようになってきた・・・ような気がする)
 お刺身の盛り合わせはこれで1000円! スーパーで買ったって、倍ぐらいのお値段はするでしょ。そして焼物、煮物、サラダ・・・。
何でもおいしい。こちらのお店を選んで大正解。
 お店は6時時点でほぼ満席、出張で豊田にきたらここを目指してやってくる人も多いと思う。





 最後は翌日の帰り道に立ち寄った亀山城(新城)で記念撮影です。(この日も亀山城、石橋城の二つを制覇)
 近年、明智光秀に関する評価が見直されつつあり、次回のNHK大河ドラマでも光秀が取り上げられることになったようですが、
これで明智の町がどう変わってゆくのか、ちょっと興味があります。
 明智光秀というと主君を裏切った反逆者の代表みたいな言われ方をされてきて、一方で彼の経済的文化的な功績は無視されて
きたのが実際です。そこには上に対して忠誠を尽くすことが人として最も大切という、近代の政治的な意図も見え見えなのですが、
そういうこともあって、もしかしたら明智の人は明智という地名に胸を張れない後ろめたさのような、ちょっと引っかかるようなもの
があったんじゃないかと思います。
 明智の城下町という歴史的な土台の上に「大正村」は存在しているのですが、これから町のPRについては、この新旧のバランスが
少し変わってゆくのではないかと思います。



2019.05
camera:Panasonic Canon Powershot G7X / graphic tool: SILKYPIX Developer Studio pro 7 + GIMP 2.8 + Ichikawa Daisy Collage 10



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