2026
関宿
2026.01.24 SAT 天気:くもり
10:45
千葉に行く用事があって、そのあと那須に遊びに行く。ということで今回も途中に面白そうなところはないかと探してみたら、関宿というところが目にとまりました。その
昔は関宿城という北関東の軍事拠点があり、現在は公園として整備されていて博物館もあるみたい。(千葉県野田市)

こちらは関宿城址を模してつくられた「関宿博物館」です。このあたりは景色を遮るものが一切ないので遠くからもよく見えます。ちなみに関宿城の本丸跡はこの博物館
から、隅田川に沿って500mほど下流にあります。

関宿城は室町時代に簗田満助または簗田成助によって築かれたとされ、以降、戦国時代中期まで簗田氏の居城になった。
戦国時代、関宿は関東における最重要拠点と考えられていました。ここは利根川水系の要地であり、江戸川をさえぎるような縄張りの堅城がありました。
(画像の右上がその跡地)

関東一帯の支配を目論む北条氏康は「この地を抑えるという事は、一国を獲得する事と同じである」とまで評したそうです。
戦国時代末期には北条と上杉の間で激しい争奪戦が繰り広げられ、三度の合戦の後にこの城は北条の手に落ち、以降、北条氏はこの城を北関東進出の拠点としたと
伝えられる。

江戸時代になると、ここには関宿藩の藩庁が置かれました。
そしてここは関東の水運の拠点であったため、たいそう栄えていたそうです。
この町並みを再現した上のジオラマが1/50スケールで実に緻密、これだけリアルにできているものはなかなかないと思う。

野田の醤油は今でも有名の一大産地(キッコーマン)ですが、その昔はこの水運を利用して全国に送り出されていました。古くは武田信玄に献上したという記録もあるみたいです。

問題があったとすれば、やはりそれは利根川水系の河川の氾濫だったでしょう。
左画像は農家が水に沈んでゆく様子を刻々と再現する、ビジュアルなジオラマです。母屋や馬屋が水没したとき、避難のため屋敷に一段高い盛り土をして、そこに2階建ての
避難小屋を作り、いざというときには貴重品を持ってここに入ったのだという。
右画像は避難小屋の復元模型です。

明治時代になると、大規模な河川改修が始まる。河川沿いに建てられた席宿城の景観は、このときに失われてしまいました。

あとは頻繁に氾濫するが故に手つかずの沼地も多かった。
そして人々が始めたのが何かというと、川の流れのコントロールというわけです。

この博物館の中心企画の一つと言って良いでしょう。人々が水との戦いのなかで、どのように水害を抑え、沼地を耕地に変えていったのかが良く分かる。

いやマジにすごいよ。1/50スケールでこのリアリティー、登場人物に動きを感じるし、よく見るとカメやサギがいたりする。極めてます。

その昔、利根川は江戸湾に注ぐ暴れ川として有名でした。また荒川や江戸川の流れも今とは全く異なっていました。
それが1594年に始まる利根川水系の河川の付け替え工事によって、少しずつ流れが変わってゆく。そして最後は1654年、人工的につくられた
赤堀川の完成によって、利根川は東の太平洋に向けて流れることになります。

改めて人間の力ってすごいなって思いました。

こちらは入館200円です。歴史や土木工事の勉強もできるし、ジオラマ見に行くだけでもその価値があると思います。
11:20
関宿博物館で利根川の変遷と、関宿城の戦いの歴史などを勉強したあと、周辺を少し歩いてみることにしました。関宿城は幾重もの堀や曲輪に囲まれた
大規模な城だったようで、マップ上にはいくつもの歴史遺産のマークがついています。

こちらは曲輪跡、今は少しだけ高く平坦な土地が残るのみ。

こちらは武家屋敷の立ち並んでいた場所と伝わる地域です。
そして今は松が1本立っているところに、教倫館という藩校があったそうです。

左画像は関宿関所跡、水運の要衝であったため、江戸時代にはここに川の関所が設けられていました。そして右画像は掘だったところです。
このほかにもいくつかの遺構や歴史遺産があるのですが、残念ながら当時の様子をうかがい知るには、かなりの想像力が必要です。実際、関宿博物館
にはそれなりに多くの人が訪れてはいたのですが、実際に外に出て周辺の散策をしている人は、ほとんどいませんでした。

関宿城博物館から南に500mほどのところに、関宿城本丸跡があります。
但しここには関宿城本丸であったことを示す石碑があるのみで、あとは何もありません。上の画像はその本丸跡から関宿博物館方面を撮したものです。

これでは「関宿城」を検索して出てくるのは、こちらの本丸跡ではなく、正面に見える「関宿博物館」の方だというのもやむを得ないかもしれない。
「関宿城に行ってきた」というコメントをSNSにあげてる人はいるけど、多くの人は博物館の方を関宿城だと思っているみたいです。
実際、城跡は河川改修のために、その2/3が江戸川の土手に埋まってしまい、残された痕跡も多くが形を変えてしまっています。お城巡りのファンとしては
少し寂しいです。

この関宿地区でもう一つ行っておきたいところがありました。
こちらは鈴木貫太郎記念館です。日本を終戦に導いた鈴木貫太郎の業績を紹介するために、1963年に旧宅の隣に開館しました。当初は団法人鈴木貫太郎記念会に
よって設立されたものですが、その後は旧関宿町に移管され、現在は野田市が管理しています。
但し2019年の台風の影響で、雨漏りが発生、また耐震性の問題もあって、大部分の展示物は撤去され、展示されているのは20畳ほどの1フロアのみになってしまって
います。とっても残念です。
鈴木貫太郎は海軍軍人として日清・日露の両戦役に従軍し、連合艦隊司令長官や軍令部長などを歴任したのちに侍従長に就任します。役割としては昭和天皇の
相談役的な存在であったという。
侍従長であったときに2.26事件が発生、鈴木貫太郎も青年将校らの標的となって瀕死の重傷を負うも、奇跡的に一命を取りとめた。
その後は枢密院議長を経て、1945年4月には内閣総理大臣に就任する。戦況はすでに敗戦が濃厚な状況となっており、鈴木貫太郎は陸軍の反対を押し切ってポツダム
宣言を受諾、日本の終戦に導いた。
戦後は郷里の関宿に戻りますが、吉田茂の説得によって再び枢密院議長に就任、今度は新憲法の改正に携わることになります。そして天皇出席のもとで1946年6月の
枢密院本会議で新憲法が採択され、鈴木はすぐに枢密院議長を辞任します。
画像の大きな石碑にある『為萬世開太平』は「萬世のために太平を開く」と読みます。これは玉音放送で昭和天皇が言われた言葉の一節でもあり、鈴木貫太郎もまた
この言葉をよく用いていたと伝わっています。
そして1948年に関宿の地で没する。最後の言葉は「永遠の平和。永遠の平和」
完全な状況ではなかったけど、ここにやってこれて良かった。
記念館再建のため、少しだけ募金してここを後にしました。

13:00
この日のお昼ご飯はお隣の境町で町中華でした。入ったのは登龍というお店です。

自分のオーダーは普通にラーメンと唐揚げ、唐揚げの方はごろごろとした塊が10個以上入ってました。
普通ではないのがこのお値段、何だか二昔前のメニューを見ているような感じです。
ちょっとオモウマ系でおすすめです。

15:00
また、いつものギャラリーバーンにお邪魔しました。今回は新作球体関節人形 nana を持っていって、オーナーの清野さんにご披露してきました。
「売ってるの?」
「いや、もうこういう人形のマーケットは存在していないので、個展のときに展示するだけです。」
そんなやりとりがまずはあった。
アートの世界で食べて行くためには、いくつかの条件がある。まずは作品としての完成度が高くて、人のほしがるものでなくてはお話にならない。そして入手
しやすい価格であることと、3番目にその価格に見合った制作時間であるということが大切です。
1000円のものを1週間かけてつくってもダメで、自分の場合には人形をヤフオクで最後に販売したときに、時給換算200円にしかならなかった。

今、清野さんがメインで手がけているのが、1mほどの大きさの「海の中の生き物シリーズ」です。前回までは背中に街を乗っけた鯨が中心でしたが、今回は
「機械仕掛けのシーラカンス」。

こちらは「機械仕掛けのシロナガスクジラ」、こういうものを1週間で作りあげてしまう。とてもかないません。

さりげなく壁にかけたくなる「立体的なコラージュ」。そしてホウロウ看板的なペコちゃん。

第1次世界大戦中の複葉機をモデルにしたオリジナル作品。
「モビールのようにつるして、これに釣り合うよう反対側にモーターとプロペラを置いたら面白いかも」
清野さんも頷いていました。
これらの作品は数千円ぐらいから購入できる。アートってやはり身近なものでなくてはいけない。
そしてその所有者の一生が終わったとき、悲しいかな99%のアートは廃棄されている。アートとは永遠のものでなく、実はほとんどの場合に消耗品です。
この日はおうちで夕食を食べ、翌朝はほんの少しだけお散歩しました。

1.25 SUN 天気:晴れ
樹の枝の上の方から、少しずつ日差しが降りてくるのは、何度見ても美しい。この景色を見ることができる場所は意外に少ないです。
清野さん曰く「昔はこのあたりでも1mぐらい雪が積もった。」
でもこの日は道の上に雪はなく、庭の積雪も5cmほど。
最近、那須に移住する人が増えているというけれど、一つには平地の夏の猛暑、そして冬の那須が意外なほどに住みやすくなりつつあるという事実が無関係
ではないと思う。
自分も今はスタッドレスはおろか、チェーンも持っていない。たまに行くぐらいなら、靴下みたいにかぶせる布製の滑り止めで十分です。

たまたま首相の所信表明の演説を聴いた。
「温暖化対策として・・・」
温室効果ガスの排出量を減らそうという発言だと思って、一瞬期待した。 「・・・災害発生を防ぐための国土の強靱化、インフラ整備等々の・・・。」
温暖化はとまらない、あるいは止める考えはない、そういう意味だったのね。
たとえアートは消耗品であったとしても、自分たちの住むこの世界はそうであってはいけない。きちんと次の世代に受け渡すべき永遠のものでなくては
いけないと思う。
2026.2
camera: Canon Powersho tg9x Mk.2 / graphic tool: SILKYPIX Developer Studio
Pro.7 + GIMP 3.0
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