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2025 視界がない 2025.12.20 SAT 天気:くもり 5:50 ![]() 今回は都合によって、千葉方面から那須に向かいます。 首都高速から見た東の空は、何か怪獣映画のオープニングのような迫力がありました。 10:55 千葉から那須に向かう途中につくばみらい市に立ち寄りました。 つくばみらいというと先進都市のイメージはあるけれど、中心地を除けばのどかな田園地帯がひろがるようなところです。 ![]() その小貝川のほとりに間宮林蔵記念館があります。 間宮林蔵は、江戸時代後期の徳川将軍家御庭番、そして樺太が島である事を確認し間宮海峡を発見した人物として知られています。それまで樺太は大陸から伸びた 半島である可能性もあるとされていました。 上の茅葺屋根の古民家は移築された間宮林蔵の生家です。(見学無料) ![]() その奥にあるのが間宮林蔵記念館です。(入館料 大人100円) 内部は撮影不可ということで、展示内容の概略を説明すると、間宮林蔵は蝦夷地で伊能忠敬の測量隊に 参加し、まずは測量技術を習得しました。 その後は北方探検と蝦夷地や千島、樺太の測量を行って、『北蝦夷島地図』などを著して地図の空白地を埋めてゆく。並外れた脚力と行動力は、1日に100km歩いたという 逸話もあるほど優れていた。 1回目の調査によって、林蔵はサハリンと呼ばれた幻の島と、半島の可能性があるとされた樺太が同一のものであることを証明しました。そして2回目の調査では、海峡を 渡ってアムール川下流域を調査し、当時ロシアが極東地域を支配しきれておらず、 シベリア東部から樺太北部にかけては、いまだ清国の支配下に置かれていることを確認 しています。この2回目の調査は実に1年2ヶ月に及んでおり、まさに地図のない状態での探検・冒険に他ならなかった。 おそらくはこれだけの探検を成し遂げた人物は、日本の過去の歴史上にはなかったと思う。 歴史の教科書にちょっと載っていたことは覚えていたけど、ここまでやっていたなんて知らなかった。 これらの偉業によって間宮林蔵は昇進し、幕府内での地位を高めていった。そして御庭番となった彼は、幕府の隠密として全国各地を調査するという密命を受けることになる。 オランダ商館付き医師シーボルトが、大日本沿海輿地全図(伊能図)の縮図を国外に持ち出そうとして永久国外追放になったシーボルト事件では、その証拠をつかみ告発した のも間宮林蔵であった。 ![]() こちらの専稱寺には彼の墓所があります。(左手奥の林の中) 間宮林蔵は蝦夷以北の状況を明らかにして、その名を世界地図に刻んだ偉大な探検家であることは間違いない。ただ残念ながらその墓は偉業を成し遂げた人物としては 寂しいほどに小さく、花も手向けられてはいなかった。 このあたりは伊能忠敬とは扱いが全く違うと思った。 晩年の御庭番、いわばスパイとしての秘密裏の任務遂行が、良くないイメージにつながっているのではないかと、少し思いました。 常陸国の農民出身の間宮林蔵は13 歳の時、村人について筑波山に参拝し、中腹にある立身窟では一晩中「立身出世」 を祈願したという。人の評価はともかくとして、彼が 信念を曲げない一貫した生き方をしていたことは事実だと思う。 ![]() ![]() 12:00 間宮林蔵記念館と彼の墓所がある専稱寺を巡った後、記念館でいただいたマップを参考にして周辺を少しだけ回ってみることにしました。 ただ、このような天気では、お世辞にもお散歩が楽しくなるとは思えませんでした。 目の前を流れるのは小貝川という一級河川で、利根川水系の支流としては2番目に長い。その昔、この地域は幕府の直轄地ではあったものの、一帯は湿地帯でしかも 度重なる水害によって、この地域の農民は困窮していました。 そしてここに岡田寒泉という人物が代官として赴任することになりました。 岡田寒泉は1200石の旗本の次男として誕生し、兵学を村士淡斎から、また闇斎学を淡斎の子弟である村士玉水から学び、学問の基礎を築いたという。そして1789年 には老中 松平定信によって幕府の儒官に任命されました。その後は朱子学の普及に努めるなどの功績があり、「寛成の三博士」として称賛されるようになっていました。 岡田寒泉が常陸の代官職に任じられたのは1794年のこと、治めた地域は現在のつくばみらい周辺の7郡182村に及びました。 彼は困窮した農民には手当金を支給し、開墾に尽力し、飢饉に備えて稗や米を備蓄するなどして農民を保護しました。また妊婦には金一分を支給、第二子より育児 養育費を与える一方で間引きや逃散を厳しく取り締まり、農村の人口を減らさぬような政策をとったそうです。 55歳から務めた代官でしたが、69歳で老病により代官を退く願いを幕府に申し出ることにします。 ところがそのとき、彼を慕っていた農民が懇願し、それを思いとどまらせたという。 ![]() その後、寒泉は村人らによって生神様としてあがめられ、この小貝川堤防下に村民の手によって生祠が建てられました。(1810年) 寒泉はその生涯を通じて、多くの人々のために働き、地域の発展に寄与したことから、後世になって評価される存在となりました。そして今もなお、多くの人々に尊敬 される存在であり続けています。 ![]() 少し歩くと、小貝川にかかる小さな木造の橋がありました。 ![]() 雨までぽつりぽつりと降っていたなか、一瞬だけ薄日が差し込んだ。 静かで美しい時でした。 地域の誇りとも言える間宮林蔵と岡田寒泉という二人の人物ですが、その生き方や考え方は実に対比的だなと感じました。 ![]() 12:35 帰りに守谷でおそばをいただいたのですが、ものすごくおいしかった。 お店の名前は日向庵、天ぷら蕎麦(1800円)を注文したらおそばはもちろん、巨大なエビのかき揚げがものすごくおいしかった。そしておそばのこんな小鉢が10皿も出てきた。 もう大満足でした。 15:30 那須にやってきて,最初に訪れたのはいつものギャラリーバーンです。前回は1m以上もあるリアルな鯨の背中に街が乗っかっている作品を見て驚いたのですが、今度はまた 更に凄いことになっていました。 ![]() まずはこの迫力が凄い。様々なペーパークラフトを作り続けてきた清野さんの集大成のような作品です。 ふとこれを見て思うのは、この作品をジオラマとしてみると、ベースが機械仕掛けの巨大な鯨そのもので、そこに「天空の城ラピュタ」に出てきたスラッグ渓谷に似た 町並みができているわけ、このスケールの大きさがなんとも凄い発想だと思う。 ![]() マッコウクジラの街に続いて、こちらはザトウクジラの街。次はまた更に一回り大きなシロナガスクジラの作品なども検討しているのだとか。 こんな作品が一ヶ月のうちに2つも追加されているなんて、自分にはとても考えられない。すごい。 でもギャラリーバーンのHPを見ると、これらの作品はのっていない。 「もうちょっとHPで宣伝したほうが良くないですか。」 と清野さんに言うと、「皆にそういわれるんだけど、忙しくてできない。」だそうです。 ということで、自分が代わりにこの場でPRしときます。 ![]() ![]() この日は、会期の終わってしまったばかりの「つながるひろがるアート展NASU」の作品が、ギャラリー内にまだまだたくさん展示されていました。(12/18(木)までだった) 「つながるひろがるアート展 NASU」はハンディキャップをもつアーティストたちの発表の場として、2009年より毎年開催されています。会場はここギャラリーバーンや障害者 支援施設を中心に、地元のホテルやカフェなどに設けられています。 ![]() グッズの販売もある。我が家では毎年恒例でカレンダーを購入しているのだけど、今年はこんなものが開発されていました。缶に入っているのはパンで、そのまま半年 ぐらいは持つそうです。 我が家でも3つほどお買い上げ。(1つ700円) 年々活動を支援してくれる企業や団体は増えてきているんだそうで、うれしい限りだと清野さんはおっしゃっていました。 那須は華やいだイメージはあるけれど、実際には関東の外れ、栃木県でもいちばん北にあるので。もちろん人口は減ってきている。 ただ一方でこの地域に進出する企業や、地域に魅力を感じて定住する若者を増えているんだそうです。テレワークが可能なら、300万円ぐらいで一軒家が買えちゃうし、 物価もものすごく安いので、経済的には余裕も出る。農業をやりたければ、様々な支援が得られるような制度もあるそうです。 もう少し前だったら、自分も移住してるかな? ちょっとだけ思った。 ![]() 上の作品は2Fの片隅にあった、ものすごく小さな木彫で、今回はこれが自分的にはいちばん可愛かったです。 ![]() 17:30 とても寒い日だったので、この日はおとなしくスーパーのお惣菜を中心とした晩ご飯です。 でもまたこのお惣菜がおいしいんだ。 12.21 SUN 天気:霧 7:00 この日は夜が明けても、薄暗い。天気予報では回復の余地なし。 ![]() ということで慌てて調べて、天気が多少悪くても楽しめる場所を探しました。 ![]() そして決めたのが熊谷市の妻沼だったわけ。 こちらは妻沼線、日本で最初の女医、国宝といろいろあって面白かった。よろしければ旅のコーナーへぜひどうぞ。 2025.12 camera: Canon Powersho tg9x Mk.2 / graphic tool: SILKYPIX Developer Studio Pro.7 + GIMP 3.0 サイトのトップページにとびます |