松田から開成
2021.11.20
今回訪れたのは神奈川県の北にある愛川町です。
もともと相模川や中津川に挟まれのどかな風景がひろがるところでしたが、近年では大きな工業団地がつくられ、圏央道も
通って少しイメージが違ってきたように思う。
2021.11.20 SAT 天気:晴れ
8:00
車を1時間ほど運転して愛川町までやってきた。最近は圏央道のおかげて神奈川県内の南北の移動も楽になりました。
ここは中津川にかかる八菅橋です。この下の河原が町の管理する公園になっていて、自由にキャンプしたり車を止めたりすることができる。
お散歩旅の起点としてはとても便利です。
ここから最初に向かう先は八菅神社です。正面に見える紅葉した山の上にあります。
宝物館とその背後にある巨大なケヤキ。
但し宝物館の公開は祭礼の時と年末年始だけのようで、ふだんは中に入ることができないようです。
sayaka (オリジナルヘッド+オビツSBHボディ 26cm 2018)
この先、本殿に至る参道は樹々に囲まれて一気に暗くなる。この八菅神社社叢林(しゃそうりん)は神奈川県の天然記念物に指定されています。
二百段を超す階段は結構急で、一気に登りるのは大変です。今はひっそりとして訪れる人もそれほど多くはないけれど、かつてここは関東でも
有数の修験道の霊場でした。今でも山のあちこちに山伏たちが修行を行った痕跡が残っています。
225mの山頂に近いところに本殿がある。703年創建、山全体には霊場であったことも頷けるような、独特の雰囲気がある。
がしかし明治維新以降、政府によって神仏分離がなされて修験集落八菅山は消滅してしまいます。山中に居住していた山伏の多くは還俗し、
山麓で農業を営むようになったということです。
明治政府がなぜそうしたのかは、ここに書くつもりはないけれど、明治政府が都合の悪い過去の歴史や文化を否定したことは間違いない。
山頂には展望台があって遠く東京都内まで見渡せる。
過去、いろんな人がここからその時代時代の景色を見ていたに違いない。
モミジに囲まれた資料館もある。(「 八菅山いこいの森あおぞら館」、入館無料)
足元の紅葉がきれい。
今は山全体が町の管理する公園になっていて、様々な鳥や昆虫、植物を観察することができます。
9:20
麓の集落に下りてきた。
小さいけれどとてもきれいな集落で、もしかしたら山を下りてきた山伏の子孫の住む場所の一つかもしれない。
その集落の一番奥にあるこの家は特に印象深かった。あちこちに花が咲き、長い歴史を経て形が整ってきたんだという感じがする。但しなぜか
家の門には鎖がかけられている。実はもう誰も住んでいないんだって、通りかかったおじさんが教えてくれました。
ここに住まなくなった理由は分かりません。
でもいろんなものが失われてゆくその風景を見るにつけ、やっぱりこのままじゃいけないんじゃないかなって思う。
9:00
このあたりは住みわけが明確で、中津川を挟んで対岸は一般の人々の住むところ。
そしてその住宅地は河岸段丘で集落は更に2つに分かれ、下段は水田、上段は小さな宿場町という面持ちです。
河岸段丘の上段までは高低差で50mぐらいある感じです。歩くとちょっときつい。
こちらも昔ながらの家が点々と残っていて良い感じです。
中津川に沿って南北に延びる幅4mほどの細い道は「中津往還」と呼ばれる古道です。この道に沿って今も昔ながらの街並みが続く、おそらくはここ
中津は交通の要衝として繁栄していたんだろうと思う。
9:50
その中津往還を歩いてゆくと一際大きくて立派な家が現れる。
こちらは愛川町の管理する古民家山十邸で、国の登録有形文化財に指定されています。(入場無料)
こちらは熊坂家の邸宅として明治初期に建築されたもので、誰でも見学できるほか、最近ではコスプレ撮影のロケ地としても人気があるそうです。
もちろんここはお人形撮影の場所としても最適です。
周辺は特に区画整理のすすんでいないところで、車どころか自転車がすれ違うのもやっとという道も多い。
そしてその細かな通り一つ一つが何百年もの歴史を持つんだろうなって想像できる。
住宅街の中に建つ神明社、ケヤキがすごい。
こちらは中津川を見下ろす段丘上にある曹洞宗海蔵山龍福寺。1778年に建立されたという山門が立派です。
このあたりからは中津川に下る坂がいくつもあるのですが、そのいずれもが古道で、途中途中にお地蔵様などがいくつもあって、対岸の八菅山とあわせて、
昔はちょっとした宗教都市のような面持ちがあったんだろうと思う。
こちらは下段の集落です。こちらは豊かな水の流れるところで、地元では「しょうぶの里」としてよく知られるところです。
10:55
ちょっと立ち寄りたいところがあって、今度は車で更に北に向かいます。
途中、県道を一気に下るようなところがあって、この景色がまたすごい。どーんと一面に田んぼが広がり、そこから真っすぐに道が伸びる、実に爽快。(箕輪耕地)
11:00
やってきたのは三増合戦場です。ここで1569年10月、甲斐の武田信玄と小田原の北条氏康の総勢4万が戦った。
この名高い山岳戦は武田軍の勝利に終わり、その戦死者は北条方3,269人、武田方900人と伝えられます。
とても激しい戦いだったようで、一帯からは多くの刀や槍、鉄砲の弾などが出土し、近くには「首塚」が史跡として残っています。
(武田軍が北条方の兵士の首をはねて、それを埋めた場所)
3千人もの首が埋められているなんて、かなり怖い。
そして更にその奥には、首を失った胴体だけが埋められている塚もあるというけど、怖すぎていけない。
この合戦場は、落城した築井城など含むハイキングコースとして整備されているので興味のある方はどうぞ。でも自分のように想像力が
ありすぎると夜眠れなくなるかも。
どうでも良いけれど、こちらは 「首塚」からの帰りにふと見たバス停です。
置き去りにされたスヌーピーがかなり怖い。
お願いだから持ち主は家に連れて帰ってほしい・・・。首塚からの帰り道だったのでドキッとしてしまった。
でも愛川町って、神奈川県民以外にはあまり知られているような場所ではないけれど、いろんなことが過去にたくさんあって、想像力を働かせて
歴史散策するには楽しい場所だと思いました。
付近のお土産はこちらかな。
地玉子の直売所で美味しい玉子が手に入る。翌日はバターたっぷりのプレーンオムレツでいただく。濃厚でうまみが強い、おすすめです。
2021.11
camera: Canon Powershot G7X / graphic tool: SILKYPIX Developer Studio pro
7 + GIMP 2.8 + Ichikawa Daisy Collage 10
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