「鎌倉殿の13人」ゆかりの地を訪ねる 1


岡崎 真田 土屋




 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ですが、現代劇風のやりとりに違和感を感じつつも、さすがと思わせる演出もあって、毎週楽しみに見ています。
 舞台は序盤の伊豆から房総、そして鎌倉へと向かうことになると思いますが、実のところ自分の澄んでいる神奈川県の中西部にも、関わりあいの
ある武将たちが住んでいました。そこで今回、お散歩旅の特別編として、こういった武将たちゆかりの地をご紹介することにしました。


1 岡崎
 まず第1回は勇将岡崎四郎義実の居城そのほかを巡ります。
 岡崎四郎義実は三浦義明の弟で、岡崎氏は三浦四棟領の一つに数えられた名門、生涯を通して鎌倉幕府とともに歩んだ勇将として知られる人物です。
そして源頼朝が伊豆で最初に挙兵をしたときに馳せ参じた7武将の一人でもありました。
 「鎌倉殿の13人」の13人には選ばれていませんが、30人ぐらいいたら多分選ばれていると思う。



 最寄り駅は小田急線の伊勢原駅、早いのは伊勢原と平塚を結ぶバス路線の「城所バス停」からスタートする方法ですが、伊勢原駅からも2kmほどなので、
田舎の風景を眺めながら歩くのも良いかもしれません。





 バス停から西側はすでに旧岡崎城址になっていて、途中、野陣台跡(兵士が集まるところ)を見ることができる。



 本丸のあったところは今「無量寺」というお寺になっています。この岡崎城は当時としては規模が大きく堅固で、軍事・統治両方の意味で名城と言われて
いたそうです。



 今では土塁や堀のようなものが微かに残るのみで、言われなければ気づかないと思う。
 「兵どもが夢の跡」





 岡崎城址から西に向かうとゴルフ練習場の南側に岡崎四郎義実とその一族の墓地があります。
 彼は89歳で没しますが、晩年は生活に困窮するほどの状況であったと伝えられます。

 岡崎城は戦国時代に17年にもわたる北条氏と三浦氏の戦いの中で破壊され、遺跡として確認できるのはここに挙げた3か所くらいです。旅はここで終わりにして、
県道相模原大磯線に出てバスで帰るのも良いですが、多分物足りない。だからもう少し歩きましょう・・・。



 

 県道を大磯方面に向かって歩くと「ぶるの樹」という洋菓子店があります。
 お店の前にある自動販売機には、飲み物に混じってマカロンやキャラメルなどもあったりするのが楽しい。

 

 決して交通の便の良いところではありませんが、若いオーナーが一人で頑張っている美味しいケーキの食べられるお店です。私のおすすめはムース系のもの、フレッシュで
とても爽やかな味わいです。







 水田を見下ろす高台にある大光院というお寺です。
 99体の石仏の彼方に富士山が見えるという、なかなか見られない景色。ここからの眺望は本当に素晴らしい。





 おそらくはこのお寺から少し下ったところが、昔はこの岡崎の中心街だったに違いないです。
 こういう立派な家や弁財天、そして古い神社などがある。もしかしたら鎌倉の風景をここに再現したいと思ったのかもしれない、などと想像してしまいます。





 そして更に田んぼの中を2kmほど歩くと小田急線の「鶴巻温泉駅」に到着です。
 このあたりの中心的な存在は旅館「陣屋」さん。将棋の王将戦が行われたり、宮崎駿監督が幼少期にこの旅館で過ごしたことがあるとか、いろいろ話は尽きない
のですが、基本は美味しいお料理がいただける湯宿です。日帰りでも楽しめるので、余裕があるならぜひどうぞ。





 とりあえず周辺の見どころまでご紹介しましたが、本当におすすめなのは実は、鶴巻温泉手前の田んぼの真ん中から見る風景だったりする。
 いちめんに広がる田んぼから富士山や丹沢大山の山々が見える風景は、季節折々に美しいです。





2 真田
 岡崎四郎義実に引き続いて、次はその嫡子である佐奈田与一義忠(真田義忠)が築城した真田城を中心に巡ります。



 最寄り駅は小田急線の「東海大学前駅」、ここからおおむね徒歩で5kmほど歩いて花菜ガーデンをゴールにしたいと思います。





 大根川は駅前を流れる小さな河川ですが、いつでもたくさんの野鳥の姿を見ることができるところです。都心まで1時間、しかも駅徒歩3分で
カワセミまでいる、ここを訪れるカメラマンはけっこう多いです。
 あと川沿いの遊歩道には100本以上の思川桜(おもいがわざくら)が植えられていて、ソメイヨシノの散ってしまった少し後に満開を迎えます。





 そのまま川沿いをすすむと、いちめんの水田地帯がひろがる風景となります。その向こうに富士山や丹沢大山国定公園の山々が連なる風景は
とても爽快です。



 

 大根川を少し戻って県道を少し南下すると天徳寺というお寺があり、その境内に佐奈田与一を祀った「与一堂」があります。
 ここには佐奈田与一義忠(真田義忠)によって築かれた真田城があったと伝えられる場所で、墓地の周辺に土塁の遺構を見ることもできます。また現在は





「鎌倉殿の13人」が放送されていることもあって、佐奈田与一に関係する資料がお神輿とともに展示公開されています。

 源頼朝が旗揚げしたとき、平家方と最初に大規模な合戦となったのが石橋山の戦いでした。平家方3000に対して源氏方300、圧倒的に不利な状況のなかで
真田与一は先陣を任されていました。そして窮地に追い込まれたときに僅か15の兵で敵陣に切込み、源頼朝の本隊が逃げ延びる余裕をつくったと伝えられて
います。享年25歳、そのその奮戦ぶりは平家物語や源平盛衰記などで詳しく描かれています。

 「鎌倉殿の13人」のなかでも、その活躍が描かれると思っていたのですが、実際には合戦シーンなしに石橋山の戦いはあっという間に終わってしまいました。
 三谷幸喜氏はあまり戦いのシーンは書かない人なので、こういうこともあろうかなとは少し思ったけど、まさか、この人の存在なしに鎌倉幕府成立はなかった
だろうと思われる人物の登場まで省略するとは思いもしなかった。





 こちらは塚越古墳は4世紀につくられたと伝えられる前方後方墳で、長さ55mという相模国内で最大規模のものです。
 こちらの古墳の上にはソメイヨシノの古木が三本あって、強風であちこちの枝が折れているけど、毎年きれいな花を咲かせてくれています。
 この先、丘陵地帯を下って金目川方面に向かいます。



 

 金目とは古くから交易で栄えていた町のようで、今でも懐かしい看板建築を見ることができるようなところです。
 左側のお店は和菓子の「山口屋」、名物はつりがね最中(180円)、中の餡がなめらかでおいしい。このほか季節の和菓子が目を楽しませてくれる名店です。
 今回の旅のお土産を考えるなら、こちらがおすすめです。



 

 道を渡ったところにある光明寺(金目観音)です。702年に海女が海中から得た観音像をご本尊として道儀上人が建立したと伝えられています。観音菩薩像や本堂、
ほか多数の重要文化財が多数ある。こちらは源頼朝の信仰を得ていて、夫人の政子も安産を祈願したと伝えられるところです。
 ご覧の風景は桜が満開の頃、目の前の金目川には菜の花も咲き、いちばん美しく景色が彩られるときです。やっぱりこのコースは春の時期が一番良いと思う。
 さてここまでで歩いた距離は3~4kmといったところでしょうか。金目を貫く県道はバス通りになっているので、平塚または秦野方面に出ることができます。
 ただせっかくなので金目川を下流に向かって歩きます。





 こちらは1年中、様々なお花を楽しむことのできる花菜ガーデン(県営のフラワーパーク)です。
 (入場料は時期によって異なり、200円~900円、年間パスポート2400円)
 上の画像は12月のクリスマスチューリップが見ごろな時季、季節としては今がいちばん寂しい感じなので、訪れるならもう少し後の方が良いかな。





 自分もよく人形を持って撮影に訪れるところです。フォトジェニックな背景が多数。
 平日ならば訪れる人も少ないので、心置きなく撮影できます。





3 土屋
 次に平塚の土屋というところを訪ねます。ここはもともと土屋宗遠という武将が居を構えたところでした。
 土屋宗遠は桓武平氏系土屋氏の創祖で、こちらも源頼朝が最初に旗揚げしたときから側近として仕えていたと伝えられ、石橋山の戦いの後は頼朝とともに安房の国に
逃れた七騎落の一人であるとも言われています。
 また石橋山の戦いの後には頼朝の使者として甲斐源氏のもとに赴いたとも言われている有力御家人の一人です。(Wikipedia参考)



 最寄り駅は小田急線の「東海大学前駅」で、ここを起点におおむね一周4kmほどを歩くことになります。



 

まず最初に訪ねたいのは健速神社です。神社自体は昔からの村の鎮守様という感じなのですが、その立地が素晴らしい。
 河岸段丘上から正面の金目川、そして開けた平野が一望できます。あとは樹高30mはありそうな何本もの巨木に囲まれていて、その存在感がすごいです。
 本殿の建立は1636年、毎年9月の例大祭では神輿が家々の門前で焚く麦わらの火を渡りながら神社に奉納されるという「火渡り神輿」が行われるそうです。





 南平橋を渡って対岸に向かいます。ふだんはこんな感じですが大雨が降ると過去に幾度となく水害をもたらしてきた。おそらくはこの川の治水が領主としては
最も大切なことだったに違いないです。



 

 上の画像は対岸にある一向寺とその境内から見た風景、こちら側からだと江戸時代には年間20万人が訪れたという大山がきれいに見える。ちなみに一向寺の
本殿は現在改修中でした。





 このあたりは「関東ふれあいの道」として整備され、歴史的建造物を点々と見ることができるような場所です。こちらはごく普通の民家のようですが、その佇まいがすごい。



 

 こちらは熊野神社、鎌倉時代に領主だった土屋宗遠が、平家討伐の帰路に熊野に立ち寄り、熊野権現と十二社権現を勧請したのが始まりと伝えられる古い神社です。
戦前まで流鏑馬が行われていたという記録があるそうです。
 この神社の見どころは精巧な木彫、なかなかこのレベルのものを見ることはできないと思う。
 土屋城は金目川を望む河岸段丘上につくられた城で、ちょうどこのあたりがお城の北端であったらしいです。土屋氏の居城はすでに存在せず、わずかに遺構が残るのみです。





 城址は現在、大乗院というお寺になっているのですが、こちらのお寺も古くその創立開基は平安時代に遡るという。こちらは土屋氏の菩提寺であり、城山の中腹には一族の
墓所があります。
 本殿や山門が新しいのは戦災で焼失してしまったためで、再建されたのは近年になってからということでした。
 お散歩コースとしてはこんなところかな。そのまま少し歩いて土屋橋を渡るとバス通りになる。20分間隔で秦野または平塚に出ることができるし、東海大学を抜けてもとの
「東海大学前駅」に戻るのも良いでしょう。
 体力的に余裕があるなら座禅川を渡って吉沢方面を目指すと良いと思います。美しい里山の風景のなか、歴史遺産や古い建造物を更に見ることができます。





 上の画像は妙円寺という古いお寺で、銭新井弁天があって胎内くぐりもできたりする。まさにプチ鎌倉といった感じです。
 そのほかにも大磯丘陵から流れ出す川に沿っていくつもの集落ができあがり、そこには日本の原風景と言っても良いような景色がひろがります。





 あまり知られていないけど、神奈川県の中西部には鎌倉時代の武将にちなんで名付けられた地名がたくさんあります。
 このあたりって「鎌倉殿の13人」には入ってないけど、鎌倉幕府を軍事的に支えていた重要な武将たちが住んでいたところ、いわば鎌倉の西側の
守りの要であったわけ。もともと歴史ある地域なんだけど、彼らが鎌倉や京都の文化を取り入れて更に発展を遂げたことは間違いが無いように思えます。



2022.05
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