足柄古道 1
JR足柄駅から地蔵堂
2023.01.07
「鎌倉殿の13人」に引き続き、今年も何かテーマを持ったお散歩旅をやろうということで、近所の古道を歩いてみることにしました。第1回目は足柄古道です。
東海道が整備されるまでは、関東と東海を結ぶ最も主要な路でした。
2023.01.07 SAT 天気:晴れ
09:10
さて昨年はNHKの大河ドラマが「鎌倉殿の13人」だったので、それをきっかけに地元神奈川であちこちとゆかりの地を訪ねてみました。
今年はこれを「どうする家康」でもやれないことはないのですが、岡崎や静岡がメインだとちょっとお気軽にというわけにはゆかなくなる。
それでちょっと考えた。
もともとお散歩は大好きだし、歴史の舞台を訪ねるのも好きということで、今年はあちこちの古道を訪ねてはどうかと。
思い立ったら、早速行動です。
まず選んだのは足柄古道です。足柄古道は関東と東海を結ぶ道の一つで、江戸時代に東海道が整備されるまではここがメインストリートだった。矢倉沢往還とも
呼ばれるのですが、これは東海道の裏街道として整備された江戸時代以降の呼称です。
その歴史は古く、ヤマトタケルもここを通ったと伝えられています。もしかしたら有史以前の縄文弥生の時代からあったのかもしれません。
出発は静岡県にある、ここJR御殿場線の「足柄駅」からです。今日はここから足柄古道を通って峠を越え、反対側の神奈川県内の最初の集落までゆくつもりです。
行程としてはおそらく3時間、休憩等を入れて4時間半。神奈川県内に入ってからの帰路は2~3時間に1本程度のバスを利用するつもりなので、ちょっと慎重な計画を
立てなければなりません。
ちなみにこの足柄駅には図書館的な機能があって、近隣の観光マップなども置いてあります。情報収取には良いところです。
駅前にはコンビニもある。
駅前のパーキング前には金太郎の像があった。
本当に熊と相撲を取ったとは考えられませんが、実在の人物としては、源頼光に仕えた四天王の一人、坂田金時がモデルではなかったかと考えられています。彼は類まれな
力持ちとして名を馳せていた。
もっとも金太郎伝説はこの足柄やお隣の南足柄だけでなく、岡山や長野、高知など全国各地に存在しており、いったいどの地域でどのようなその生涯を送ったのかが、まったく
分かっていないというのも事実のようです。
マップがあって道標もきちんと整備されているので歩くのに不安は全くないです。道標によれば足柄峠までは90分、実際に休憩をとりつつ歩いた人のデータでは150分とある。
振り返ったらこんな感じで富士山がきれいに見えた。最高の日です。
鎌倉幕府は頻繁に巻狩(動物を集団で取り囲んで捕える、軍事演習の一つ)を富士山麓で行っており、おそらくは足柄峠を越えてやってきた武将もこの風景を見ていたんだろうと思う。
ただ景色の良いのはここまでで、あとは沢に沿って暗く細い道が続きます。
暗い林道をすすむと小さな神社があった。
小山町にある嶽之下宮という神社の奥宮でこの滝とその横の大きな岩がご神体だそうです。縁結びの滝とされ、ちょっと神秘的な感じです。
この鮎沢川の支流に沿って道は続きます。濁りのないのないまさに清流。
西側の斜面ということもあって、林のなかは暗くそして深い。
こちらは「頼光対面の滝」と呼ばれるところで、初めて源頼光が金太郎と出会い、四天王の一人としたところと伝えられています。
こちらは銚子ヶ渕、何段かの滝を越えて澄んだきれいな水が流れ込む。
ところどころに濁りのない湧水のたまった小さな池などもある このハイキングコースは神秘性があるね。
このほかにも曽我祐成の妻が仇討ちの吉報を待ったとされる虎御前の石などいくつか名所とされる場所があります。
(有名な曽我兄弟の仇討ちは富士での巻狩の際に起こった事件です)
暗く深い森の中でいろんな伝説が生まれたってことでしょう。
道は次第に急斜面になってゆく。落ち葉や湿り気もあって、お世辞にも歩きやすいとは言えません。
「なんでこんなところを・・・」って感じなんだけど、これが江戸以前には最も重要な道の一つだった。
もちろん山中では人と人がすれ違うのがやっとの場所もあるし、斜度が30度を超えるようなところもある。京都から関東に至る経路では最大の難所であるに違いないです。
踏み跡はあっても、大雨で流されてしまえば道は分からなくなるだろうし。(今は迷いやすいところ何ヶ所かにはロープが張られています)
今は不安はないけれど、昔は単独での旅行や女子供だけの移動はさぞ怖かったに違いないです。おそらくは夜間の峠越えなどは考えられない。
後に距離も短い箱根越えの道を江戸幕府が整備した理由もわかります。
10:30
そして何本かある足柄道も、最終的には足柄城址の手前で1つに収束します。この寺尾砦のあたりで振り返ると富士が再びきれいに見えました。
「なんでこんなところを・・・。」 その疑問の答えがこのとき少し分かった気がしました。
おそらくは旅人にとって一番怖いことは道に迷うこと、こういう場所だと道に迷うのは遭難といっても良いかもしれません。
こんなところだったからこそ、富士山は道標として欠かせない存在だったと思います。関東に向かうときは「ひたすら富士を背にせよ」、東海に向かう時には「ひたすら富士を見よ」
深い山中ではかすかに見える富士の存在だけが頼りだったに違いないです。だから多少距離はあっても山越えの道として選ばれ続けたんだろうと思います。
多分この回答は合っている。
富士を目印にすることに気付いていたら、きっと縄文の人々も行き来できたに違いないです。というよりは縄文の人々がこういった古の道をつくり、それをそれ以降2000年の長きに
わたって使い続けてきているのではないかと自分は思うのですが。
街道沿いにはこういったお地蔵様や石碑などが立ち並んでいます。なかには芭蕉の句碑もあります。
古道は現在の県道78号線に重なり、そのまま峠方面に歩きます。すでにここは足柄城址の一部になっていて、いくつもの曲輪から見下ろされるような感じで旅人は
歩くことになります。旅人にとってはやはり威圧感のようなものを感じるようなところだったに違いありません。
街足柄城は、山中にありながらいくつもの曲輪や砦がつながる巨大な要塞だった。関東と東海を分ける要衝だったから当然のことかもしれませんが。
そもそもは1300年代に大森氏が築城、その後は北条氏が永らく支配していたという。ただこの城で大規模な戦いが繰り広げられることは廃城までなかったとされます。
足柄城址の最も奥まったところには足柄関跡があります。(但し石碑はあるものの明確な場所は不明とされる)
こちらの歴史は更に古く、官道・公道として利用されていた足柄一帯に出没する強盗団を取り締まるために899年に設置されたと伝えられます。近くには捕らえた盗賊の
首塚もあるというけど、怖いので行かない。
こちらは一の曲輪(本丸)から見た風景です。(正面は富士山)
箱根路が整備された以降も、急峻な足柄道を選んで旅をした人がいたことは理解できます。絶景です。
「箱根の關越て 目にかゝる時やことさら五月富士」
こちらは松尾芭蕉が上方に向かった時に詠んだ句だそうです。
10:50
こちらは関所跡付近にある足柄山聖天堂です。747年に開山された宝鏡寺(静岡県小山町)の境外仏像として「大聖歓喜双身天」を祀っている。弘法大師開基とも伝えられ、開運、
運縁結びにご利益があるというパワースポットです。
ちなみにここにも金太郎像がありましたが、こちらのお堂との関係は分かりませんでした。
ここから先、こちらも絶景スポットとして知られる「足柄万葉公園」を経由するルート選択もありますが我々は迷わず古道をすすむことにします。
ここから1kmにわたって石畳の道が続きます。
このあたりはかなり急峻なところを切り開いてつくられた道で、ときおり交差する県道のカーブはこんな感じです。
1kmほど下ると川と並行する場所に出るのですが、そこまでが足柄古道では最大の難所だったに違いないです。そういうことでここだけ石畳が整備されたんだろうと思います。
あとは峠の裏側に出て富士山が見えなくなり、旅人が迷わないようにするという意味もあったかもしれません。
ここにも源頼光の足跡がある。彼自身は清和源氏の3代目で本拠は摂津国多田、ただ武士団を形成した後、源氏が関東進出の基礎をつくったのだと伝えられています。
なるほど、金太郎と鎌倉幕府は全く無縁というわけではないということか。
11:35
下ること1時間ほどで「地蔵堂」という最初の集落にたどり着いた。
画像の下は県道、上は足柄古道。急峻な峠を越えてここで休憩をとった旅人も多かったに違いないです。
集落の名前になっている「地蔵堂」で休憩です。
こちらもなかなかに歴史ある集落らしいのですが、時間の関係で今回はここでレポートは終了です。続きは近いうちに必ずやります。次回はここからスタートして南足柄ぐらいまでかな?
追伸
帰りのバスのことを考えて5時間という余裕をもったプランで考えていましたが、実際には3時間弱で踏破してしまいました。こちら地蔵堂バス停で2時間のバス待ちも嫌なので、
更に1つ先の集落までの3.5kmを30分ほどで歩き、そこで始発のバスに乗るという「バス旅」みたいなことになってしまった。
本当にバスが2時間から3時間に1本しかないと大変です。
2023.02
camera: Canon Powershot G9X Mk.2 / graphic tool: SILKYPIX Developer Studio pro 7 + GIMP 2.8 + Ichikawa Daisy Collage 10
サイトのトップページにとびます