芳賀




2023.05.20
 先日、那須に行った帰りに芳賀町に立ち寄りました。
 芳賀町を知っている人は少ないと思うので、少し説明すると栃木県宇都宮市の少し東側にある町で名産品というとお米とイチゴかな。鉄道や高速道路は
通っていないので、宇都宮市内に車で通勤する人が多いのではないかと思います。





2023.05.20 SUN 天気:晴れ
8:20
 まずは芳賀の中心地を目指します。真っすぐな道に延々と田植えの終わった水田が続き、そしてその向こうの水平線上に民家がぽつりぽつりと見える。
こういうところです。



 パッチワークのように、ところどころに麦畑がひろがる。



 ゆったりとした川の流れ。
 この橋からの眺め、結構気に入りました。



 通る車も少ないし、人も歩いていない。
 それでも沿道にはたくさんの花が植えられています。
 少し進むと地元の方々が花を植えたり、手入れをしたりしている姿を見かけました。



 ここは田んぼ3枚分ほどの面積にポピーを植えていました。
 満開を迎えてまさに見頃。





 ここも地図には乗っていない場所、故郷を美しく保ち続けたいそういう気持ちが本当によく伝わってきます。





 

9:00
 こちらは小高い丘の上にある「富士山自然公園」というところで、あたりいちめんを見渡すことができる。
 この展望台からは眼下に数百本はあろうかと思われる桜の樹が植えられています。きっとその季節になれば賑わうんだと思うけれど今はすでに6月、
人影もまばらです。





 

 この公園の見どころはもう一つあって、豊かな水源地になっていること。池や湿地帯があってこれからは水芭蕉の季節なんだろうと思います。
 いまはまだいちめんの緑なんだけど、それでも充分にきれいだし、そよぐ風も涼しい。

 田舎の人は時々遠慮がちに「ここは何にもないところだけど」というけれど、都会にないものはたくさんある。
 少なくとも自分は癒しの時間を過ごすことができて、心豊かになれます。







 那須と神奈川の間を行き来をするなかで、いろいろなところに立ち寄るのですが、そんななかで芳賀という町をお散歩することはこれまでありませんでした。
 というのも道の駅「はが」の近くには町役場があって、近くには少々のお店もあったりするのですが、よく見かけるような商店街なものはありません。この地区は
いろいろな建物や見どころが点々と広範囲に広がっているような感じなのです。
 タウンセンターがないとやはりお散歩はしづらいです。



 芳賀町は祖近隣の町村がいくつか合併してできた町なのですが、もともとは下野宇都宮氏の重臣であった芳賀氏一族の所領だったらしいです。またその
芳賀氏も真岡が本拠だったので、ずっと「中心街」はつくられてこなかったということなんだろうと思います。

 では歴史的な見どころはないのかというと、これがけっこうあったりする。

 

9:30
 こちらは1403年開山の高宗寺、境内が小学校のグランドのように広いです。
 立派な山門は真岡藩主だった稲葉政成が建立した政成寺が明治維新のときの神仏分離政策によって廃寺になった際に移築されたと伝えられるものです。
 山門から睨みを利かせる金剛力士像がとてもリアルな感じで、自分にはそうとうな達人がつくったように見えます。





 こちらはもっと古く、728年開山の崇真寺(通称:開運犬切り不動尊)です。北関東三十六不動尊霊場二十番札所。犬切不動尊というのは、供物を荒らす巨犬を
利剣で切り伏せて小僧(修行僧)の疑いをはらしたという伝説から来ているそうです。

 

 崇高な雰囲気で歴史を感じます。樹齢四百年のシダレ桜も有名。









 お隣には巨大な杉林に囲まれた八雲神社があります。建物はそれほど立派というわけでもないのですが、その創建は807年。またこの神社に伝わる舞は
神道大和流中臣の舞と称し、慶長年間の起源で郷土の発展を祈願して始められた伝統芸能だそうです。



 そしてこの神社との間を通る道が舞は立街道という古道で、近隣には古墳などもあります。画像左に見えるのはお寺の入口を飾る花で、近所の方が育てています。
 実際に訪れてみて、歩いて解説を読んで初めて知りました。すごくすごく古い歴史を持つところなんだけど、多分車で通りかかると何も気づかないと思う。





 

 こちらは延生山城興寺(通称:延生地蔵尊)、安産・子育ての地蔵尊として親しまれています。毎年8月24日「日の出のご開帳」が行われ、県内外からたくさんの方が
祈願に訪れるという。



 1584年の兵火で記録を焼失したため、お寺の開基等の詳細は不明なれど、古くから地域の信仰を集めてきたことは間違いない。





 

 

 こちらのお寺の周辺は「おじぞうさんとロマンの道」と名付けられた散歩道になっていて、近隣の集落にも歴史を感じます。
 このほか芳賀には平安時代創建の祖母井神社など、歴史的な建造物は多いです。
 多くの場合、街がつくられると寺社も一ヶ所に集められることが多いけど、この芳賀ではそれがなかったと言えるでしょう。



 そして周辺を一周して再び城興寺の入口を見て気づいた。
 長野の善光寺とは言いませんが、この長くて幅広い参道には意味があるのではないかと。今回訪れた寺社はみな広大な境内を持っていた。おそらくはここに
定期的に市が立ち、交易の場として使用されていた。そういうことなんだろうと思う。


Camden High Street ( J-DOLL ジュンプランニング 27cm 2007 )

 交易はすでに縄文の時代から始まっていて、人々は様々な生活に必要な物品を得ていた。
 この芳賀では街こそつくられなかったけど、こういった寺社が交易の場であり交流の場、情報収集の場所だったんだろうね。それが本日の結論です。



2023.06
camera: Canon Powershot G9X Mk.2 / graphic tool: SILKYPIX Developer Studio pro 7 + GIMP 2.8 + Ichikawa Daisy Collage 10



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