木場・深川
松尾芭蕉の庵
2025.10.15
今回は松尾芭蕉が自らの庵を建て、全国行脚の起点ともなった深川を訪ね、その足跡を訪ねることにします。あわせて江戸・東京の街の成り立ちについても、
いろいろと見聞きしてきました。狭い範囲ではあるけれど、探せばいろいろとある場所だね。
10.15 WED 天気:くもり
10:30
あいにくのお天気でしたが千葉まで行く用事があったので、帰りに木場あたりで降りてみました。
今日はここで歴史散策です。この界隈は江戸時代に埋め立てが始まってつくられた比較的新しい土地です。
木場駅から清澄白河方面に向かいます。
こちらは木場橋、途中いくつもの川や水路を渡ることになるのだけど、それらに架けられた一つ一つの橋が今では歴史遺産になっています。
1923年の関東大震災以前に架けられた橋のほとんどは木造で、震災により多くの橋が被害を受けることになりました。そしてその後の8年間で約400もの橋が鉄製の
ものに架け替えられることになる。これらの橋は震災復興橋と呼ばれ、今も補修を重ねながら都市交通を支えている。
橋の下には屋形船、古き良き江戸の風情を感じる。
その昔は木材の一大集積地であったわけで、こういった水路や川にはたくさんの材木が浮かんでいたに違いない。
11:00
こちらは八幡橋(旧弾正橋)、1878年(明治11年)に工部省赤羽製作所において製作された都内最古の鉄橋だそうで、国の重要文化財に指定されています。
もともとは中央区にあったものが、震災後に富岡八幡宮の東隣りに移されて、名前も八幡橋と変わった。
今見ると小さな橋ですが、当時としては最先端の技術によって制作されたものだそうです。
あとこのあたりで目立つのは寺社の多さかな。ひしめき合うように立ち並んでいます。
1657年に発生した明暦の大火では、江戸の町が2日間にわたって燃え続け、江戸の大半を焼き尽くした。このときの出火は放火が原因とされているのですが、
このときの死者は10万人に及ぶという。
江戸の人口は1600年頃には15万人で、それから少しずつ増えていったとされている。だからこの大火では半数以上の人々が命を落としたことになります。凄いな。
その後は江戸にあった多くの寺社が、木材の木材の集積所、製材所のあった清澄白河周辺に集められて再建された。復興を急いだという幕府の姿勢のあらわれ
ということなんだろうと思います。
こちらは1627年創建の富岡八幡宮(深川八幡)です。江戸最大の八幡様で広く人々の崇敬を集めています。また深川八幡祭りは江戸三大祭りのひとつに数えられ、
神輿53基による勇壮な水かけが有名です。
こちらは江戸勧進相撲発祥の神社としても知られており、境内には歴代横綱の名を刻した横綱力士碑がある。
勧進相撲とは寺社の造営や修復に必要な費用を捻出するために開催されたもので、現在の相撲の原点とも言えるものです。なるほど、いろんなところでつながっているね。
この神社は伊能忠敬が測量の旅に出かける際には、必ず参拝した場所としても知られています。
そのほかこちらの神社には黄金の神輿とか、芭蕉が命名したという花水社などの見所があります。
11:20
こちらは深川不動堂、成田山新勝寺の東京別院で不動明王を本尊としています。厄除け・開運・商売繁盛のご利益で知られるお寺で江戸時代から庶民の信仰を集めて
いました
たまたま護摩祈祷が行われているタイミングで訪れたのですが、ものすごく迫力があって荘厳、このパフォーマンスは必見ですね。
富岡八幡宮から深川不動尊を巡ったあとは、進路を北に変えて両国方面に向かいます。
江戸時代、木場は江戸湾に面した木材の集積地だった。今でこそたくさんの埋め立て地がつくられて、たくさんの人が住むようになっているけど、昔は浅瀬が続く
良い漁場だったという。
今はその江戸湾の海底にいくつもの地下鉄が通っているのだから、すごい話ではある。
11:50
当時の景色が深川江戸資料館に展示されています。
江戸時代も最初の頃は城下町と言えるのは隅田川以西で、永代橋を渡ると田舎の風景が続いていて、さして注目されるような場所ではなかった。
しかしながらその後に起こった明暦の大火以前以降、この地にたくさんの寺社が建てられ、人々が多く住みようになって状況は変わる。
この深川江戸資料館には復元された実物大の深川の街が展示されています。 (入館400円、3館共通券もあって、こちらは500円でお得)
こちらは八百屋さん。
深川界隈は農産物の生産地や漁場に近いこともあって、おそらくは品物が入手しやすく生活しやすかったのではないかと自分は思います。
こちらは十五夜を楽しむ庶民の長屋です。
江戸時代も中頃になると、年中行事を楽しむ庶民が増えたらしい。そのほかにも芝居や本、その他の様々な遊びがひろまっていったのはご存じの通りです。
博物館内には、そのほかにも当時の他庶民の暮らしについての様々な解説がありました。
ここって結構リーズナブルに江戸庶民の暮らしの分かるところで、おすすめです。
その昔は隅田川を渡る橋は永代橋しかなかったのだけど、明暦の大火以降は避難路を確保するという目的もあって橋の数は増やされた。
それでも関東大震災や戦争での被害は免れなかった。
あと根本的にコンクリートでできた建造物の寿命は一般に数十年といわれています。決して永遠のものではない。大正から昭和にできた橋のなかには100年を数える
ものもある。もちろんちゃんとメンテナンスはしてるとは思うけど、下水道の話がある分、少し心配になりました。
あとは温暖化による海水面の上昇かな。それが顕著になった頃、超大型台風によって波が防潮堤を超えるだなんてことが、近い将来にあるかもしれません。
12:20
こちらは対岸にかかる清洲橋、ドイツのケルンにある橋をモデルにして架けられたのだという。
今いる万年橋あたりが俳人 松尾芭蕉が居を構えていたところです。近隣には川舟番所跡などもあって、水運の要衝でもあったようです。
清洲橋を望むこの一帯は、芭蕉庵史跡展望庭園として整備されています。芭蕉の句碑が点々とあって、隅田川をのんびりと眺められる。
表通りに「まいばすけっと」があったので、こちらで食べ物を調達して、庭園内でお昼ご飯です。これならとってもリーズナブル、でも東京都心で「塩むすび」が
79円で買えるとは思わなかった。恐るべし「まいばすけっと」。
景色はもちろん違うだろうけど、芭蕉もきっと同じ場所で隅田川を眺めていたに違いない。
その万年橋に近いところに「芭蕉稲荷神社」があります。ここはもともと芭蕉が庵を構えたところです。
芭蕉は1680年から没するまでの間、ここを本拠地として活躍し、「古池や蛙飛びこむ水の音」などの名句を詠み、またここから全国に旅立って「奥の細道」などの紀行文を
残すことになります。
だが残念なことに、芭蕉没後は武家屋敷となり、幕末から明治にかけて消失してしまいました。
13:20
芭蕉庵の模型は近くの「芭蕉記念館」に展示されています。(入館200円、3館共通入場券あり)
一見してものすごく質素な生活をしていたことが分かります。
芭蕉記念館に展示されているのは様々、こちらは芭蕉直筆の手紙や俳句などで、他にも人物相関や交流の記録などがありました。
正直、ここの展示は少し難しくて、近代文学に詳しくない一般人にはちょっと難しい。自分の場合には、すべてに目を通すことは、すぐに諦めてしまいました。
消失したと伝えられる庵跡から見つかった石のカエル、芭蕉本人もお気に入りだったとか。
芭蕉というと、やはりその紀行文が有名だと思う。
全国を巡り歩いた理由としては、その紀行文が江戸の街では本としてよく売れたからとか、弟子の曽良が幕府のスパイだったからだとか言われているけど、やっぱり
自分の目で見て聞いて感じて書くというのが、人の心に伝わる作品をつくる原動力になると信じていたからだと思う。
芭蕉の作品は間違いなくビジュアルかつリアルで、人の心に響く。
あとは全国に散らばる弟子や知人と会う、そしてともに研鑽するというのが大きな目的であったに違いない。
自分はそもそも近代文学は得意ではない(もともとは完全な理系)のですが、あちこち歩いているうちに、そう考えるようになった。
さて芭蕉記念館では、常設展のほかに「臨川寺と美濃派」という特別展も行われていました。
蕉門十哲の一人に数えられる各務支考が創始したのがいわゆる「美濃派」で、親しみやすい俳風で多く人々に受け入れられたという。臨川寺はその美濃派と芭蕉ゆかりの
お寺ということで、帰りに立ち寄ってみました。
臨川寺は1713年開山と伝えられますが、残念ながら現在はその趣は残っていません。芭蕉ならびに美濃派ゆかりの石碑が少し残るのみとなっています。
1680年に深川に移り住んだ松尾芭蕉 は、臨川寺の仏頂和尚と親交が厚く、たびたび参禅に出かけていった伝えられています。芭蕉の号「桃青」も仏頂和尚
によるものといわれています。
松尾芭蕉は一生結婚せず、妻子を持たなかった。寿貞という女性が愛人だったする説もあるようですが、はっきりしたことは分かっていないそうです。全国を
行脚する生活では家庭を持つことは厳しいと考えたのかもしれません。
51歳の時、門下の二人の間でもめ事が起こり、その仲裁のために大阪に向かいました。そして大阪に着いたところで病に倒れ、回復することはありませんでした。
遺体は遺言により滋賀県の義仲寺に葬られました。
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る (芭蕉)
こちらは亡くなる4日前に詠んだ芭蕉最後の句ですが、辞世の句ではありません。
病中ではあるものの、まだまだ夢は枯れ野を巡っているという意味だそうで、道を究めるため前向きに生き続ける姿勢にあふれている。まだまだ道半ばだったと
いうことなんだろうね、もちろん創作の道に終わりなどないのだけれど。
合掌
2025.10
camera:Canon Powershot G9X mk.2 ほか / graphic tool: SILKYPIX Developer Studio pro 7 + GIMP 2.8 + Ichikawa Daisy Collage 10
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