大子
2025.11.22
今回は近場の小田原です。小田原城とその周辺の繁華街には観光客があふれているのですが、そこから少し離れると、とっても静かできれいな
空間がありました。
今回最初に訪れるのは板橋というところです。最寄り駅は箱根登山鉄道の「箱根板橋駅」駅なのですが、箱根とは言うものの、こちらも立派な小田原
市内で、昔は小田城の城郭内にあったところです。
11.22 SAT 天気:晴れ
8:00
今回のお散歩旅は秋の小田原散策です。小田原はもともと戦国大名であった北条氏の拠点として栄えた城下町です。もともとは15世紀に大森氏によって
築城され、その後に北条氏の手に渡ってからは、徐々に整備拡張が続けられて、豊臣秀吉の来攻の前には城下を囲む総延長9kmに及ぶ城郭が整備される
に至った。小田原城については現在もその遺構は残っているものの、市街地からは昔ながらの町並みは、ほぼ完全に失われてしまっています。

名残と言うほどのものではありませんが、「昔ここはこういうところだったよ」みたいな表示はあちこちにある。それだけ景色が変わってしまったと言うことなんでしょう。

8:30
こちらは国道1号線に沿って建てられている光円寺、近くには新幹線の高架もあって、お世辞にも静かなところとは言いがたい。光円寺は覚圓が実相寺と号して1651年に
創建、その後に現在の寺号に改められたという。
そびえるような銀杏が凄かった。

この光円寺の脇から西に向かって、細い通りが続いていて、これがかつての東海道でした。
景色が一変して、昔懐かしい景色がひろがります。

左は薬膳喫茶KURAというお店。昭和初期に建築された古民家をリノベーションしたお店のようで、カレーなどがおいしいみたい。
右は如春園という喫茶店です。もともとは豆腐屋さんだったということですが、その閉店後に築90年の建物を引き継いで古民家喫茶店を開店したとのこと。

1kmほど続く旧道の町並みの最後にあるのが、こちらの板橋地蔵堂です。ご本尊の「延命子育地蔵大菩薩」は弘法大師の作と伝わっています。建物は江戸中期に
建立されたもので、神奈川県下唯一の黄檗風仏殿の建築様式だそうです。(神奈川県の重要文化財)

迫力ある福興大黒尊天は板橋地蔵堂の鎮守ですが、もと小田原の城山に鎮座していた神像だった。
城山在住の瀬戸鶴吉氏は関東大震災の翌年、震災の復興と福徳招来を祈願するため、屋敷内にあって樹齢1500年の大楠樹を立木のまま彫ってもらい、後にこの地に
移されたという。
もちろん継ぎ目など一切なし。
あと賽銭箱には北条氏の家紋が残っていました。江戸時代にはこのようなことは許されなかったはずなので、こちらも近年に設置されたものでしょう。

このあたりは中心街からほんの少し外れているので、関東大震災や戦争のときの爆撃の影響が比較的少なくて、今も古い町並みが残っていたりするんだと思います。
この日も小田原駅と小田原城址には観光客があふれるほどたくさんいましたが、この箱根板橋の旧東海道のあたりは閑散としていて、観光とは無縁の雰囲気さえある。
確かに小田原城はそれなりに見応えはあるけれど、自分としてはこちらの板橋の方にも捨てがたい魅力があると思います。

旧東海道を歩いた後は道を少し外れます。
こちらは香林寺という曹洞宗のお寺で、大樹乗慶禅師が1487年に創建したと伝わる歴史と由緒あるお寺です。
このあたりは箱根のすそのが迫っているようなところで、紅葉に染まった背後の山々が良い借景になっています。

9:10
そのすぐそばにある松永記念館です。こちらは実業家であり数寄茶人としても高名であった松永安左ヱ門が、収集した古美術品を一般公開するため、自宅の敷地内に
建設した施設です。
松永安左ヱ門は幾度か破産を経験していて、なかなかに波乱万丈の人生を歩んだ人物ですが、最後は電力王としてその名を後世に残すことになります。本館にはその
生涯を解説する展示があります。(現在、敷地と建物は小田原市に寄贈されている。入館・見学無料)

別館の方には収集した美術品の一部が展示されています。
こちらは宗像志功、このときは廣本了やミロなどもありました。

収蔵品もすごいですが、傾斜地につくられたこの庭が素晴らしい。ちょうどイロハモミジが見ごろになってました。
この庭園は「日本の歴史公園100選」に選ばれていて、四季を通じ様々な花を観賞できるという。

こちらは安左ヱ門の居宅「老欅荘」の一室です。
訪れるなら絶対に朝が良い。格子からのぞく紅葉と差し込む光の関係が絶妙です。

いや、本当に全てにおいて隙がない。
写真に撮りたくなる場所がいっぱいあります。
こちらの本宅と茶室「葉雨庵」は国登録有形文化財に指定されています。このような文化遺産をすべて無料で拝見できるのは噓のような話です。

こちらの滞在時間は40分ほど、本当に静かな時間を過ごさせていただきました。(見学者は自分たち以外に1組のみ)
かつての小田原の風情を残す数少ない場所なので、もう少し訪れる人が多くても良いかなと思いました。
後北条氏の築いた小田原城は西側を早川が流れており、外堀の役割を果たしていました。このあとは早川に沿って海岸線に向かうことにします。

こちらは旧東海道の裏通りとも呼べる場所です。町並みの北側を1本の川が流れています。
こちらは小田原用水と言って、北条氏康の時代に小田原城下に水を引き入れるためにつくられたと考えられています。連歌師の紀行文『東国紀行』中にその記載が
あることから、1545年以前には成立していたものと推測されています。(日本最古の水道)
なお早川からの取水口があるのは、ここから100mほど上流で、「板橋」の地名は、この上水に板の橋がかかっていたことに由来するのだといいます。なお小田原用水は
現在も現役で活用されています。
用水の脇には古民家がちらほら、右画像のお宅は大工さんのようです。

9:50
現在の国道1号線と合流するところに大久寺というお寺があります。
こちらは北条氏滅亡の後に小田原を任された徳川家康の重鎮、大久保忠世が菩提寺として1591年建立したお寺です。なかには大久保一族代々の墓所があります。

こちらは注意しないと見落としてしまいそうな道標です。
かつてここにもう一つの小田原駅がありました。豆相人車鉄道といって明治28年7月に熱海~吉浜間で営業を開始し、翌年には熱海~小田原間の全線が開通する。
当時熱海は温泉宿約30軒ほどの保養地でしたが、小田原熱海間は25.6km、駕籠で約6時間もかかっていました。豆相人車鉄道は平均6人の乗客を乗せ、4時間かけて
日に約6往復していた。(すごい!)
明治の終わりには軽便鉄道に転身しますが、その後に怒った関東大震災によって軌道は寸断され、復旧を断念したという。
今もここから先、国道135号線に沿ってこの鉄道の遺産が点々と残っています。

この早川口あたりは本当にお寺の多いところで、50m間隔で古いお寺があるところです。いわゆる寺町的な地域なんだろうと思う。
さして広くない通りに沿って平成輔の墓があります。
後醍醐天皇が1331年に倒幕を試みてそれが露見した際(元弘の変)、平成輔は首謀者の一人として六波羅探題により拘束、鎌倉に護送される途中、早川の河口で殺害された
という。

こちらは正恩寺、もともとは鎌倉時代初期に平重好入道了順が尾張国に創建したのがその始まりとされますが、大久保忠世が小田原城主となった際に、関係の深かった
こちらのお寺も小田原に移転することになった。(1590年)

支配者が変わると、徹底して過去が消されて、新しいものに塗り替えられる。
それはどの時代、どの場所でも同じようなものなんだろうなと思いました。

途中で見かけたレトロなクリーニング屋さん、でももう営業はしていないみたい。

この裏通り散歩は楽しい。

10:20
こちらは閑静な住宅街の中にある小田原文学館です。 (入館250円、内部撮影不可)
左の画像が本館で、もともとは旧田中光顯伯爵別邸でした。明治から昭和にかけて、小田原には数多くの作家や文学者が居住していたことから、小田原市では
彼らの生涯や事績等を、こちらの文学館で紹介しているというわけです。
右画像は小田原文学館の敷地内にある、作家尾崎一雄邸の一部が移築されたものです。

小田原文学館本館の3Fからの景色です。
あたりはちょっとした高級住宅街の雰囲気がある。相模湾の向こうには伊豆や箱根の山々を望むことのできる眺望の良さがある。
11:00
海岸に出られそうなところがあるので行ってみることにしました。
海岸に出るためには、西湘バイパス(国道1号線バイパス)を越えないといけない。西湘バイパスは防潮堤の役割もあるので、一段高いところを通っている。

この海へと続く、この長いトンネルは、ちょっとした撮影スポットになっているらしいです。

一気に景色が開ける。この解放感がたまらない。
海でしばらく時間を過ごしたあと、小田原城址公園に向かいます。
途中、籠清や鈴廣といった、TVでも紹介されるような有名店が建ち並ぶところに出てきます。(通称かまぼこ通り)

通りで伊勢屋という老舗のお菓子屋さんが目にとまった。こちらでおいなりさんと和菓子、お茶などを買いこんだ。
小田原城でお昼にしようというわけです。

11:30
紅葉を期待していたのですが、もはや秋を通り越して冬の景色でした。
櫓の屋根にはカラスでなくカモメが止まっているというのが、海に近い小田原城らしい。
こちらには人がたくさんいて、天守閣に入る行列ができていました。

一方でその眼下では、今も発掘調査が続けられている。

結局、城郭の総延長9kmの総構の城は使われることなく、北条氏は滅んでしまった。
そして江戸時代になって、城の景色さえも大きく変わってしまった。
天守閣も昭和の時代になって再建されたコンクリート製のもので、それが今では人気の観光スポットになっている。
今ここから見る眺望は北条氏のものでも、ひきついだ大久保氏のものでもなく、2025年現在のリアルなものにほかならない、それが事実です。
2025.12
camera:Panasonic DMC-TZ85 / graphic tool: SILKYPIX Developer Studio pro
7 + GIMP 3.08 + Ichikawa Daisy Collage 10
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