富水から足柄


小田原市街地の東側



2026.01.17
 年末のお散歩旅が小田原市街地の西側だったので、今度は東側を歩いてみることにしました。明治時代まではまだ酒匂川の治水は完璧ではなかったので、その昔は
酒匂川の氾濫原そのものだったところです。
 戦国時代には小田原城の巨大な城郭が築かれますが、今日歩くところはその外側で、おそらくはかなりの水害の被害を受け続けたようなところです





1.17 SAT 天気:晴れ
7:30
 スタートは小田急線の富水駅、ここから酒匂川に向かって旧道を歩きます。おそらくは足柄古道から枝分かれして江ノ島方面に続く道で、鎌倉時代の武将もこの道を
利用していたと考えられます。
 ちなみに足柄古道とは、東海道が整備される以前、関東と東海を結ぶ最も主要な道でした。



 歩き始めて5分ぐらいのところにある光明寺です。ご本尊は阿弥陀如来で、1473年の創建というからかなり古い。おそらくはこのあたりが開墾され、人々が住み始めた頃から
あるのだと思う。



 寒空の下、境内の寒桜がきれいに咲いていました。





 そのまま進むと放棄された商店街がありました。
 自動車のすれ違えるような道ではないので、この先の橋の架け替えとともに、新道の方に移転してしまったのだと思う。



 ここには歩く人もほとんどいません。
 橋の架け替えが1974年というから、もう何十年もの間、この一帯の時計は止まったままになっているのかもしれません。



 

 酒匂川を渡る手前にある厄除け地蔵尊(六夜地蔵尊)です。かなり大きなお地蔵様で、大きく立派な社のなかにあります。創建等の詳細は調べても分からな
かったのですが、昔からかなり大切にされてきたのが分かります。
 その袂には馬頭観世音碑や水神碑もあって、ここは地元の人にとって特別な場所だったに違いない。
 そして多くの旅人もまた、この先の安全を祈願するために立ち寄るような場所だったのでしょう。





8:15
 新しくできた橋を渡ります。
 振り返ると、左手から伊豆・箱根の山々、富士山、そして足柄古道の通る矢倉岳が望めます。この橋の名前が「富士道橋」というのも良く分かる。
 そして古代より旅人はこの景色を見てきた。



 北の方角を望む。広い酒匂川の向こうには、河津桜で有名な松田山、丹沢の山々、大山と続く。
 富士伊豆から神奈川県の名だたる山々が、ここから一望できるとは全く知りませんでした。車でこの橋を通過したことはあると思うけど、実際に歩いてみないと
分からないものだと思いました。
 この橋からの景色は絶景と言っても良いと思う。
 ここはやっぱり特別な場所です。



 小田急線の富水駅をスタートして酒匂川を渡り、今度は下流に向かって歩きます。このあたりも宅地開発はされているけれど、まだまだ田んぼや畑がたくさん残っています。
 そしてよくある村の神社のほか、通りに沿っていくつもの道祖神、馬頭観音、石仏といったものを見ることができます。



 なかでも特徴的なのがやはり水神様の存在でしょうか。その昔は何度も酒匂川水系の河川は氾濫し、人々はその水害に苦しんでいました。
 左側に写っているのは金瀬川築堤碑、1913年の酒匂川洪水でこの堤が決壊し、4年後に修復が完了するも、今度は関東大震災で再び壊滅したという。



 石碑の向こうに緑道が整備されています。もちろんその昔は堤としての役割を果たしていた。
 人間は少しずつ川をコントロールできるようになり、耕地を広げていった。



 通りかかった梅林では白梅が満開に近かった。
 小田原は梅の産地として有名で、この少し東側にある曽我の梅林は、毎年多くの観光客で賑わいます。





8:50
 堤を抜けて再び開けたところに出てきました。この道の少し先には富士見大橋があります。前に出てきた富士道橋の1本南側を通る橋で、ここも古来より酒匂川を
渡河するポイントの一つだったと考えられます。

 この近くには「猪駒塚」があります。こちらは源頼朝が行軍の際、愛馬「猪駒」が倒れて葬ったとされる場所です。頼朝は何度となくこのあたりを通って征西していると
考えられています。

 そして左手に目をやると、田んぼの真ん中にとても大きな樹が1本だけ立っている。樹にはあまり詳しくはないので、その種類は分からない。
 ふと思った、なんでこんなところに樹が1本残っているんだろう? 暑いさなかに農家の人が休憩するためか。
 それにしても田んぼの真ん中のいちばん邪魔になるようなところにある、切られなかったのが不思議なぐらいです。



 反対側に出ると、高さ40cmほどの石が立てられ、その手前には紐でつながれた2本の木。そして団子のお供え物とお賽銭が散らばっていました。
 2本の木と紐の組み合わせは、ここから先が神域であることを示すもの。簡易な鳥居と思えば良い。とするならば、こちらはすでに神社の形態を整えていて、
その向こうに見える大樹こそが神が宿る場所、つまりご神体と言うことになる。



 別な方角からは参道が伸びていました。
 そしてこの木の根元にも石の祠がありました。
 でもグーグルマップで検索しても、ここは出てこない。名前すら分からない。



 一体何なんなんだろう? 近寄ってみた。
 遠くから見ると巨大な1本の樹のように見えていたのですが、近くに寄ってみると、それが何本もの太い幹でできていることが分かりました。そして直径2mに近い
大きな根っこがあって、そこでそれらの幹は結ばれている。

 そもそもは巨樹だったものが何かしらの原因で倒れ、でもそれで枯れてしまわず、しばらくして残された部分からいくつもの枝が出てきて今のような形になったのだと、
自分には見えました。
 ここから先は想像ですが、倒木の原因が酒匂川の氾濫であったとすれば、水害に屈しない強い何かがこの樹に宿っていて、近隣の人からは神の宿る樹に思えたの
かも知れない。それが落雷によってもたらされたとしても同様でしょう。

 きっと人々は奇跡に見えるような有様を見てきた。だから治水がすすんだ今でも何かを感じてここに残すことにした。それなら田んぼの真ん中に1本だけ残され、
奉られているというのも頷ける。
 この樹の下にいると、確かに苦難に打ち勝つ強い生命力のようなものを感じました。そしてあとは何かに包まれている感じもする。







9:30
 「成田の樹」と名付けた場所からさらに南下してゆくと、東海道線や国道一号線も近くなってくるので、次第に田畑は減って住宅地になてゆく。



 いわゆる「巡礼街道」の終わりにある勝福寺というお寺です。坂東三十三観音の第5番札所で飯泉観音とも呼ばれています。



 こちらのお寺、本堂や仁王門もすごいけど、境内の巨大な樹木には圧倒される。特に仁王門を遙かに超える樹高の銀杏はすごい。ぜひ秋の紅葉のシーズンに来てみたいと
思いました。



 現在の地にお寺が健立されたのは、平安時代の830年頃、そして勝福寺と名乗るようになるのは室町時代とされる古刹です。隙がなく、何もかもが立派なお寺だと思いました。



 現在の本堂は1706年に再建、仁王門は1758年の造営されたそうです。
 そしてあの二宮尊徳も参詣したとがあるそうで、本堂前には尊徳の像もあります。





 再び酒匂川を渡って小田急線の駅のある西岸に出ます。  この橋も景色が良い。ただ違っているのは川で泳いでいる鳥の種類かな、富士道橋ではカルガモが
多かったけど、この飯泉橋ではバンという渡り鳥が多かった。きっともっと海に近づくとカモメが多くなるんだと思う。





10:05
 伊豆箱根鉄道大雄山線の踏切を越えます。ちょうど列車が五百羅漢駅から出発するところでした。電車のヘッドには「100周年記念」のプレートが取り付けられていました。
この大雄山線は1925年開業というからすごい歴史がある。
 現在、大雄山線ではいろいろとイベントを開催しているそうです。



 線路を渡った奥に見えるのは王宝寺、通称 五百羅漢と呼ばれています。その名のとおり本堂には像高24cmから60cmの羅漢像526基が所狭しと並んでいるそうです。
 こちらにもお邪魔したかったのですが、あいにく本堂では法事が行われていて見学はかないませんでした。
 こちらは又今度と言うことで。



 すぐ近くにある白山神社です。創建は不詳ですが、その昔はこのあたりの多古村の鎮守としての記録が残っているそうです。
 今でも祭礼では太鼓や木遣りが奉納されいて、地元の方々で賑わうそうです。



 こちらは「内多古の道祖神」と呼ばれる多数の道祖神や石仏等が鎮座する場所です。
 道祖神とは村の守り神であり、子孫繁栄や無病息災等々を祈る場所です。今回もたくさんの道祖神を見たけど、知られているだけで小田原市内には253もあるんだそうです。





 最後は小田急線の「足柄駅」がゴールです。
 今回のお散歩旅は距離9km、3時間ほどだったのだけど、どのぐらい「祈りの場」を見てきたんだろう。
 お寺や神社はもちろんのこと、歩いてみないと気づかないようなものが、数え切れないほどあったような気がします。もしかしたら、このあたりは神様にちょっとだけ近い場所かも
しれないと思いました。



2026.02
camera:Canon PowerShot G9X Mk.Ⅱ / graphic tool: SILKYPIX Developer Studio pro 7 + GIMP 2.8 + Ichikawa Daisy Collage 10



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